引用#12

W・Gゼーバルト『アウステルリッツ』(鈴木仁子訳、2012年、白水社)

一度、とアウステルリッツは言い添えた、建築物を大きさの順に並べたリストを作ってみるといい、この国の建物でふつう以下の大きさのもの——たとえば野中の小屋、庵、水門わきの番小屋、望楼、庭にある子ども用の小家——がいずれも少なくとも平和のはしくれ程度は感じさせてくれるのに、ひるがえってかつて絞首台が置かれていた通称首吊り丘、あそこに立つブリュッセル裁判所のような巨大建築物について、これを好きだという人は、まともな感覚の持ち主にはまずいないでしょう。(18)
たとえば街を彷徨っているうち、何十年間少しの変化もないひっそりした裏庭などをのぞきこむと、忘れ去られた事物のもつ重力場の中で時間がとてつもなく緩やかに流れていることが、ほとんど肌身で感じられるのです。すると、私たちの生のあらゆる瞬間がただひとつの空間に凝集しているかのような感覚をおぼえる。(246)
この図書館はその記念碑的な大仰さからして、大統領の自己永遠化の欲望から発案されたとしか思われず、はじめて訪れたときにはやくも感じたとおり、そのとてつもなく大がかりな外観と内部の構造において、真の意味で書物を読む人の求めに徹頭徹尾、背を向けた建物でした。(262)
情報の増殖と歩調をあわせるように霧消していく私たちの記憶の能力について、もうとうに起こっているこの図書館の崩壊(269)

鈴木仁子による訳者あとがきから

アウステルリッツ、それは交通の結節点でありはるかな異郷へとつづく駅に幻惑されて薄暗いプラットホームにいつまでとなくたたずむことを好む、奇矯な主人公の名だ。(292)

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