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仕事と住処が決まった。2024年がはじまる。

2023年が「終わろうとしている」のか、
2024年が「始まろうとしている」のか。
同じ出来事にしても、表現1つで印象は変わる。

同じならば、明るい響きの方が良いな。なんて明るい気持ちで前回のnoteの続きを書いていく。
結果としては、自分の願っていた状況に近い生活を送ることができている。
そこに辿り着くまで不安だったり、虚無感に満ちたり、焦りが湧いたりと、気持ちが安定しない日もあった。「そんな日もあるよね」なんて受け流しながら日々は進む。
ゆるりと振り返る。


無職&旅暮らしをしていたその頃

1年半の無職期間を旅に費やし、ようやく「仕事をしたい!」「定住するぞ!」と暮らしの実験をはじめた。

👇うんとこしょ、と、重い腰が上がるまでのあれこれ

住処が決まった~!

まずは、今の生活から。

11月より、静岡県のシェアハウスに住み始めた。
住所は榛原郡川根本町、最寄り駅は大井川鉄道の千頭駅という駅になる。
静岡駅から車で1時間20分。島田駅から車で1時間ちょっと。山をグググッと登ったその先にある、見晴らしのよい丘の上にそのシェアハウスはある。

見晴らしがよい

敷地内では、オーナーの翁がヤギと鶏を飼っている。生みたての卵も購入できる。とはいえ、生みたてよりも2~3日ほど時間を置いた生卵の方が美味しいらしい。卵をいただくたびに、鶏たちの顔が頭をよぎる。
洗濯物を干しているときに野生の猿と何度も遭遇した。渡り鳥の鳴き声がどこかから聞こえる。正体を見分けることはできないけれど、鳴き声を聞くに、何種類もの小鳥が遊びにきてくれることはわかる。野菜は地域の人からもらったり、畑で収穫したものをいただくようになった。スーパーで野菜を買う機会は、うんと減った。
必要な食材を求めてスーパーやコンビニへ行くと、知り合いと遭遇する。連絡先を交換したり、近況報告をする場になりつつある。通っているうちに、店員とも顔見知りになる予感がしている。

にわとりと翁
ヤギと子供たち

小さな集落で、経済が循環していた。ただし、その担い手の多くは高齢者であった。若者は都市部へ流れてゆき、いずれの産業においても深刻な担い手不足となっている。今住んでいる集落も、6割以上が65歳以上の高齢者だ。
この生活はいつまで続くか分からないな、とも思う。
それは移住して2か月弱の私でもわかる事情だった。
高齢化が進み子供たちが外へ出ていくこの町で、この地に住む人々は近隣住民を気にかけあって生活している。回覧板を隣人へ届ける文化の残ったこの町。電話を掛けることに抵抗のない住民たち。いただきもので生活の半分が成り立つ「お互い様」な精神。
人との距離を近くに感じられるこの町が好きだ。

石に顔を書いて遊ぶ

仕事も決まった~!

11月より、産業保健師として働き始めた。週3回の時短勤務(なんてありがたい働き方…)。たまーに、お惣菜屋さんのお手伝いをしている。近所の季節労働も手伝ったり、その他諸々とゆるりと生きていこう。
…と思っていたのだが、最近になって大好きなコミュニティの業務委託を受けたり、三ツ星天文台のスタッフをすることになった。年の瀬に新しい環境へ身を置くことになり、不安と、期待と、好奇心で興奮している。

玄関のガラス窓。かわいい。

1年7か月ほど、無職で住所不定だった頃が懐かしい。私自身は何も変わっていないが、置かれる環境は激しく変化した1年だった。

今年の夏に仕事先を探していた。東京都~神奈川県で仕事を探していたが、上手く決まらなかった。週5で働きたいという気持ちが湧かなかった。
仕事自体は、楽しいと思う。働きたいとも思う。それでも会社が求める働き方と、私が希望する働き方が合わないのであれば無理に決めないことにした。
東京都~神奈川県で仕事を探していた今年の夏。それを断念して静岡県の川根本町へ住むことを決めたのは、9月末のことだった。

私の寝床(移住して5日目)

静岡県の川根本町へ

就活を断念した私は、9月のある日に友人と「村を作るシェアハウスVokettoVillage」へ向かった。大掃除中だったその家へゆき、食器を譲り受けることが目的だった。今後について何も決まらず、空白の時間に鬱々とした気持ちになっていた頃だった。

先述したシェアハウスの発起人であり、私と友人らが宿泊した「ゆる宿Voketto」のオーナーであるショウキチさんに誘われ、滞在1日目にこの町に移住した人たちと野外で鹿鍋を食べた。
その日は、とても天気の良い日だった。日中からお酒を飲みながら火をくべ、川根本町という場所に若手(20代~60代とムラはあったが、この町において60代は若手だ)が集まった。
この町の人か、なぜこの町へ来たのか、この町の魅力はなにか…話の導入として、ざっくりとそんな質問をした記憶がある。刻々と時間はすぎ、日が落ちるまでの間にどれだけの人と交流しただろうか。人数は覚えていないが、その時に話した人たちの表情をよく覚えている。生き生きと、無邪気に楽しむ表情がそこにあった。
肩の力が自然と抜けた。

ゆる宿Vokketo にて

もっと居たいから、住む

川根本町へはじめて訪れたのは4月のことだった。読書合宿を「ゆる宿Voketto」にて開催し、あまりの居心地の良さに1週間ほど滞在した。
6月中旬にも4日間ほど滞在した。「村を作るシェアハウスVokettoVillage」の大掃除を手伝いに行ったのだ。
9月に再々訪して、もっとこの町に居たいと思った。
これまでも四季の移ろいとともに仕事が変わる川根本町の暮らしに魅了されていた。
職人肌で専門性に富んだ人々が多く、こだわりを持って生きている人々にも魅了された。人に仕事が付いてくるような働き方(単純に自営業と言うのは憚られる、地に根差した仕事)をされていて、仕事と遊びと暮らしの境目はこんなにも曖昧になるのだと感心した。

「どうせならやったことのないことに溢れているこの町に住もうかな」
「私の理想とする生き方/働き方をしている人達が多い町だな」

そうした思いはあるものの、移住した理由はもっとシンプルだ。
あまりにも星空がきれいで、なんだかすべてがどうでもよくなってしまったのだ。

シェアハウスと冬の星座たち

9月末に川根本町へ訪れて「もう少し長居したいな」と感じた心に従い、11月より川根本町のシェアハウスへ住むことにした。
仕事を決めぬまま、住む場所を決めて、10月に突入した。
そして10月中、産業保健師としてリモートワークできる求人がないか探し回って、11月上旬にとある会社で採用していただくこととなった。それが今働いている会社だ。
安定した収入源が決まらぬまま川根本町へ行くことを覚悟していただけに、土壇場で仕事が決まったことに感謝に堪えない…。

シェアハウスと北極星

思い通りにいかなくてよかった。

神奈川県に大好きな人達が集まっているものだから、生活するなら神奈川県にしようと考えていた。まあ、残念ながら上手く決まらなかった。(住む場所を探した結果、好きな場所が多すぎて決められなかった)

はじめは週5勤務で働こうとしていた。
収入は安定するし、生活リズムも一定になる。仕事内容も学びたいこと、経験したいことだと思えていた。働きたいし、働けると思っていたが、時短勤務で働くことに今はしっくりときてる。
アンテナを張っていたら、産業保健師としてリモートで働くことになった。

あんなに藻掻いていたのに、とんとん拍子で決まった。

その生活ぶりを、まさか11月30日のADDressPicnicにてお伝えするとは思わなかった。

いまは、シェアハウスの生活(主な生息地)+ADDress生活(月5日ほど利用)で暮らしている。生活と旅の比重がどのように変化していくのか、今から楽しみだ。

シェアハウスでの生活は、まだはじまったばかりだ。
1か所に同じ人間が住みつくと、同居人の癖であったり性格であったり、良くも悪くも多面的な人間像を知ることができて面白い。全く違う個性を持った同居人たちを前にして日々気づきがあったり、関心したり、学ぶことも多い。お互い様な生活をしている。

住民たちと、クリスマスにケーキを作った!美味しかったねえ

2か月間住んでみて実感したのは、「正しい暮らし」などないが、各々にとって「快適な暮らし」があるということだ。そしてそれは、必ずしも相容れない。これまでもADDressを通して「他人と一緒に住むこと」を経験したわけだけれど、1か月単位となると感じ方も変わる。
育った環境が違えば、価値観も違う同居人たち。シェアハウスで過ごしながら「一人で暮らしたほうが快適な暮らしはできるな」と思うこともあるが、それ以上に「予測できる生活は単調でつまらないな」とも思う。
得られるものもそう多くはないだろう。

関心の矢印が自分に向いてしまったり、まだ起きていない未来に気持ちが向いて焦ってしまうこともあるけれど、それすら面白がりながら2024年も静岡県の川根本町で過ごしたいと思える。
移住したばかりの私を歓迎してくれるこの町で、私も「ありがとう」と言ってもらえるような温かな循環を生み出したい。

2023年はお世話になりました。ありがとう。
2024年もよろしくお願いいたします。

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