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夢のきっかけをくれた亡き父の話

父が他界したのは2017.01.30の雪降る夜
22:22だった。
1.30は母の誕生日だし、ゾロ目の時間だし
死ぬまで話題作りの男だった。

父は生前、陶芸家として窯で働いていた。
それは趣味のようなもので、地元では
誰もが知っていると言っても過言ではない
くらい、顔の広い父だった。(顔もデカかった)
〇〇(名字)です。といえば、
『あー!あそこの娘さん!』と言う感じで
子どもの頃から持つべきものは親父の人脈
と感謝して生きてきた。

そんな父がずっと夢見ていたのが
自分の作ったお皿で料理を提供したい。
ということだった。
父はまず窯の展示場で、ランチ提供から
はじめた。
お店の名前は私の名前。
その看板を見て何のお店か気になる人たちが
テレビ局に連絡をしてくれて、メディアにも
取り上げてもらえた。
その時は父も母も予想しない程のお客さん。
なんと、3組程のちっちゃくしていたカフェに
2時間待ちの行列が、、。
私も名前が使われていると言う理由で写真だけ
出演させてもらった。

そんな父の提供していたメニューが
焼きカレーとピザ

自分でレンガで窯を作り、薪を焚べ
日を起こし営業の準備開始。
陶芸家だからこそできる。私にはむり。


2013.10.7
父が居酒屋を始めた。
昼はランチ、夜は居酒屋。
社会人になってわかるが、
朝から仕込み
ランチタイムはパートさんにお願いして
10時から陶芸
夕方買い出しして居酒屋へ
夜23時から片付け日付を跨いで
家へ帰る。 
そんな生活が出来ていたのは尊敬する。
そんな父を支えていた母をそれ以上に
尊敬するのはここだけの話にしよう。

そんな父の癌が見つかったのはオープンして
半年後だった。
私は4月生まれで、誕生日前にお腹をこわした。
でも、ケーキが食べたい。と思い内科へ。
お腹が痛くて〜と伝えたが、そんなことより
お父さんに至急くる様に伝えてくれと伝言を
受け、私はビオフェルミンを受け取り帰宅。

帰って父に伝えると、
『貧血以外は異常ないやんか!大丈夫!』
『ばあちゃんに絶対言うなよ』
そう、うちのばあちゃんはお節介がすぎる。

誕生日は近所の鍋屋さんへ。
家族、近所のおじさん、彼氏(今の旦那)と
ご飯を食べた。

翌日父は胃がんの検査へ

素人が見てもヤバイと分かったと言っていた。


胃がんのステージ4だったのだ。
もちろん全摘出。
その手術は6月に行われた。

これから父が亡くなるまでの事は次書いていこうと思う。

今日は長くなりすぎたので、ここまでで。


まだまだ私はこの時保育士。
自分の夢には気づいていない。

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