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父の残り1ヶ月の生活

父はクリスマスに入院して以来年越しも病院だった。
弟と彼氏(旦那)と3人で『あけおめ』と
顔を見に行った。
年を越せるのも最後だな。ははは〜と
明るく言っていた。
私たちは必死に『そんな事言いながら10年後も行きとったらギネスやね!!』とわらいながら話した。
年明け1週間で父は帰ってきた。
いよいよ、在宅に切り替わったのだ。
癌は全身に転移している。
私はイマイチ理解出来ていなかったが、今できる事を!と思い、精一杯私なりに看病した。
痛み止めの坐薬は私が入れる係だ。
お風呂が好きな父を一生懸命抱えて一度入れたが力が敵わず、その一度しか入れてあげることができなかった。

料理好きな父はカセットコンロで料理を作ってくれた。
私の大好きなブリを取り寄せてブリ丼を作ってくれた。
最後の力を振り絞ってみんなでご飯を食べに行った。
アイスを求めてきつい体を奮い立たせてドライブに行った。
いとこもおばも町のアイスボックスをかき集めてきてくれた。
私は働いていたが、今しかないと夜中3時まで父と語りながら毎日一緒に寝た。
毎日の様子をメモしてお医者さんに提出した。
疑問もお医者さんにメモで質問した。

夜な夜な、自分の死亡保険で母に車を買ってあげたいと、父と一緒に選んだ。
意見が一致してトヨタのwishのワインレッドになった。
普通に考えると自分の死なんて考えたくもないのに、死亡保険で人に車を買ってあげるなんて想像もしたくもない。凄いなと思う。
人間、死ぬ前に一度元気になるよ。と聞いたことがあった。
父はこの頃もしかして癌が消えていってる?と思うほど元気だった。
これが最後の元気だとは思わなかった。
その二日後からまともに話す事もできなくなった。
ただひたすら痛み止めのシールを貼り、そのシールのランクが高くなっていく一方で、だんだん眠る毎日になっていった。
父の友人や後輩は聞きつけて泣きながら会いに来る人も多くいた。

1/29、明日が山場だと思って下さい。
帰りに先生からの一言でゾクっとした。
寝たままお風呂に入れる介護用のお風呂がある説明をしてくれた。
それを予約し30日の朝、父はお風呂に入ることができた。ずっと寝ていた父は『あちっ』と声を発して家族で大笑いした。

数日前から修学旅行に行っている弟も今夜帰ってくる。どうにか夜までと言いながら父の歯を磨いた。
弟が帰ってきた。私は泣きながら弟を出迎えた。
ホッとしたのだ。弟はもう父が亡くなったと思ったそうだ。

弟はお土産で買ったディズニーランドのブランケットを父にかけて父の横で一緒に横になり父との時間を噛み締めていた。

母の誕生日ケーキを見せて今から食べるよ!と言うと、コクリと頷いた。
そして叔母がお風呂に入りに家に帰った。
1時間で戻ってくる。と父に伝えて。

21時頃だっただろうか。
父の顎がカクカクしだした。亡くなる前になると聞いていた現象だ。急いで看護師さんに電話した。すぐ来てくれるとのこと。どうすることも出来ないのに、20分後また私は電話した。するとすぐ到着してみんなで話しかけてあげて下さいと言われた。

叔母が戻ってきた。車のドアの音でホッとした。『◯◯◯〜!◯◯◯〜!(名前)』を必死に呼んでいた。
そしてすぐ、息を引き取った。1/30 22:22

父ちゃん、ありがとう。

次は父主催の家族会議について書きたい。

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