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創造的な仕事

AIに代表されるようなテクノロジーによって、ルーチンワークは自動化され、人間はより創造的な仕事をすべきであるといった論調を見かける度に思うことことがあります。創造的であるとはどういうことか。
某氏は「極論すればヒマをな時間を割り当てる新しい活動のことを創造的と呼んでいる」と言っていた。そして、「本来的には生存するうえでは不要なもの。優先順位は低いもの」としていた。
個人的にこの表現が素直に受け入れられた。
このnoteではビジネス現場での具体例と、実生活においてどうすべきかを考察していきたいと思います。

創造的な仕事

ビジネスの世界ではどうだろうか。例えばデジタルマーケティング。
顧客を獲得するためにダイレクトメールを打つのはインターネット発達前はなかったアプローチなので、無から有を生み出したと言って良いと思う。いわゆる0→1の仕事なので、お金に換算すると価値が高い。
ただ、多くの工程が自動化されているので創造的な仕事ではない。
数年前までは0→1になる可能性の高い人達を人間がゼクメント化してそこにメールを送っていた。このセグメント化が創造的な仕事とされて来た。この仕事のおかげで0→1になる確率が少し増え、購入単価も少し上がったようだ。お金に換算すると価値がある。(前者ほどではない)
しかし、今はこの人達も自動でセグメント化されるため、あまり創造的な仕事ではなくなってきている。
さて、困った。ヒマだとバレたら職を失う。創造的な仕事をしなければ…となっているような気がする。
そして多くのビジネスパーソンは、なおかつやりたいことがないのではないだろうか。だから創造的な仕事をするのが難しい。

以前、私はデジタルマーケティングツールを提供する仕事をしていたが、提供先が頭打ちになり、デジタルマーケティングと相性が良くなさそうな顧客へのサービス提供が増えたので仕事を変えた。

実生活もそうなっている

そしてよくよく考えると実生活もそのような状況になってきているように思う。
調理キットの通販や安価な外食産業によって食事の準備と片付けにかける時間はかなり減ったように感じるし、お掃除家電のお陰で洗濯や掃除にかける時間もかなり減ったと感じる。
結果、私は家族とペットと過ごすことに空いた時間を割り当てている。もちろん人生の幸福度は上がったわけだが、創造的という言葉のイメージとはだいぶ乖離があるように思う。
このようにテクノロジーの進化によって生きるためにやらなきゃいけないことが減っている。
これ以上にヒマを持て余すようになったらどうしようか。
社会性の高いボランティアみたいな活動をすれば良いのだろうか。

そんなことを考えながら今後もnoteを書き続けようと思う。

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