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スリー・タイムス・ブッダズ・フェイス

発端

概要

本編

午前6時。アパートの一室に、イミテイション太陽光が差し込む時刻。無慈悲なるソウカイニンジャ、ノーマーシーは音もなくベッドから身を起こした。長い夢を見ていたようだった。唐突にカイシャが爆発した夢。突如としてニンジャに襲われ瀕死の重傷を負った夢。自分もニンジャとして生まれ変わった夢。

コケシマートの未公開株券を強奪すべく、ヤクザの事務所に侵入する夢。ミヤモト・マサシのマキモノを奪うべく、歴史のある寺院に侵入する夢……。サイドテーブルの上には、まるでニンジャが使うようなメンポ、スリケン、そしてバイオ笹タッパーが置かれている。彼は、まだ長い夢の中にいるようだった。

【スリー・タイムス・ブッダズ・フェイス】

今日は休暇だ。念の為に携帯IRC端末を確認するが、緊急のメッセージは無いようで安堵する。彼の小さな相棒、モーターロクメンタイも今は沈黙を守っている。……今は間違いなく自分だけの自由時間だ。時間をかけて洗顔した後、コーヒーを淹れ、トースターから排出された食パンを頬張ることにする。

しかし自分はニンジャだ。無慈悲なるソウカイニンジャ。ならば、それに相応しい余暇の過ごし方というものがあるはずだ。ノーマーシーは腕を組んで思案した。ニンジャの休日。無為に過ごすことは許されない。本来ならば、今すぐにでも装束を纏い、メンポを付けて、この部屋を飛び出すべきかもしれない。

では外に繰り出して何をするべきか。邪悪なサンシタニンジャらしく人間狩りに勤しむべきだろうか。……ノーマーシーのニューロンに彼のセンセイの姿が浮かび上がる。その名はガーゴイル。かつて、ソウカイ・シックスゲイツの末席を占めていた実力者。今は亡きセンセイが、悲しげに首を横に振っている。

ガーゴイルは、彼のセンセイは、全てのインストラクションを伝授せぬまま都市伝説めいた死神に殺された。……少なくとも彼は、そう聞かされていた。ノーマーシーはニンジャに与えられた休日の過ごし方を教わることが出来なかったのだ。それさえ無ければ、センセイは彼にとっての第二のブッダであった。

……ブッダ?それにセンセイ?そんなものに縋るのはやめろ。おれはニンジャ。それも無慈悲なるソウカイニンジャだ。ならば己が恃みとするのは、己の強さのみ!ニンジャは如何して余暇を過ごすべきか!?答えは修行だ!自らの強さに磨きをかける!それ以外にはありえない!「センセイ、見ていてくれ!」

ノーマーシーのカラテとワザマエはサンシタニンジャとしては実際、悪くないものであった。それはニンジャになる以前の肉体労働者としての頑健な肉体と、ガーゴイルのインストラクションの賜物だ。明確な弱点もある。ニンジャになる前、そしてニンジャとなった後にも鍛えることのなかったニューロンだ。

ニューロンを鍛えるメソッドは聞いたことがあった。ドージョー、あるいは電算室で香炉を焚き、ザゼンする。瞑想の助けとなるような見事なカケジクがあれば、なお良いとされている。しかし、ドージョーも電算室も、ノーマーシーには無縁の空間であった。彼にあるのは、このアパートの一室だけであった。

同期のサンシタには徒党を組むことで難度の高い任務を任され、自由に使えるアジトを持つ幹部候補生もいるらしい。そういうニンジャであれば、どんなトレーニングも思いのままだろう。しかし「それが羨ましいのか?」と自問自答すれば「それはそれで大変そうだ」と尻込みするのがノーマーシーであった。

結局は自分のペースで、手持ちの駒で最善手を探すしかないのだ。では、この状況での最善手は何だろうか?すっかり冷えてしまったコーヒーを飲み干すと、ノーマーシーは携帯IRC端末を操作し始めた。自分にはニンジャの知己は無い。今は頼るべき上司も居ない。しかしハッカーをやっている旧友が居る。

……数時間後。高層マンションの一室にノーマーシーは正座していた。幾度となく足を踏み入れたことがある空間だ。初めて来たときは、まだハイスクールを卒業する前だった。あの頃の自分は、進級さえ危ぶまれる劣等生で、腕を組んで自分を見下ろすハッカーは、かつては品行方正な学級委員であった……。

「それでアトウダ=サン?私にビズの話というのは?この前のようにUNIXをハックしてほしいのか?今日は手ぶらで来ているようだけど……」クリスタル・チャブを挟んで、旧知のハッカーは当然の質問を繰り出してきた。一気にチャを啜って、ノーマーシーは答えた。「ハッカーのセンセイを探している」

ニンジャ聴覚を苛む静寂。凍てついた冬の湖めいたハッカーの瞳が一瞬、揺れ動いたように見えたのは錯覚であろうか。かつての学級委員の、見慣れた苦笑いの表情がそこに広がっていた。「……ハッカーの勉強?ハッカー・ドージョーに行けばいいと思うけど?」「信頼できるハッカーのセンセイに頼みたい」

ウブカタは「信頼」と「信用」の違いについて講釈してやろうと思ったが、一瞬で取りやめた。旧友の表情はシリアス。そもそも彼がジョークを好まない性格であることも長年の付き合いで把握している。「アトウダ=サン?悪質なハッカーの被害にでも遭ったのか?それなら私は力になる。ビズの話は無しで」

ハイテックにもIRCにも疎いアトウダのことだ。何処ぞのチャンネルで胡乱な広告でも踏んだか、ウカツな契約でもさせられてウィルスの被害に遭ったのだろうとウブカタは推測した。つまり、エッチなプログラムだ。素直に助けて欲しいと言えずに、こうやって回りくどい方法で助けを求めに来たのだろう。

「違う。おれはビズの話で来た」ナムサン。ウブカタの希望的観測は打ち砕かれた。アトウダは更に続ける。「ハッカーの被害に遭ってはいない。おれは被害を与える側に回る手段を学びたい。今からハッカーになれるとは思っていないが」「アトウダ=サン、まさかハック&スラッシュでもやっているのか?」

「ああ、おれの今の仕事を、そう呼ぶ連中がいる」ブッダ!数か月前、アヤセ地区にある彼の通うカイシャで原因不明のガス爆発が起きたことはウブカタも聞き及んでいた。社屋は焼失!経営陣も焼死!管理職はセプク!後追いセプクを免れた労働者も、何の救済も温情も無いまま路頭に迷うことになったのだ。

それもマッポーのネオサイタマに於いてはチャメシ・インシデントに過ぎない。真実は明らかにされないまま事故は忘れ去られた。解雇された労働者の中には路頭に迷う者も、いたであろう。首尾よく再就職を果たした者も、いたであろう。(アトウダ=サンは後者に違いない。)ウブカタは、そう信じていた。

再会した旧友が集団強盗に身をやつしていたとは!こんな形での再就職を果たしていたとは!「……あのマジメだったアトウダ=サンが」これもマッポーの一側面か。ウブカタは平安時代の哲人にして詩聖であるミヤモト・マサシのコトワザ、「男子は三日も会わないとスゴイ」を想起せざるを得なかった……。

頭を押さえて高級UNIXチェアに座り込む。そしてニューロンを総動員して言葉を探した。殺戮の道を突き進む友人を止められるような道徳的なコトワザ、ブディズムの警句、そして二人のユウジョウの記憶を……。そして、そんなものは世界の何処にも存在しないだろうと気付くのに時間はかからなかった。

「スラッシャーが危険なアウトローの仕事だというのは知っている。……それでも、ハッカーに説教をされるような謂れは無いだろう」沈黙に耐えかねて発言に踏み切ったのはアトウダの方であった。「タイムイズマネーだ。おれは行く。もう会うこともないかもな」そう言うとユノミを置いて、立ち上がった。

「マッタ!」ウブカタは叫んでいた。アトウダの言葉には常に真実があった。その彼が「もう会うことも無い」と言うならば、それは額面通りに受け取るべきだと彼女は身に染みて理解していた。「いいだろう、これでも私はテンサイ級だ。教えることに不安など無い」「……」「……問題は教わる方の資質だ」

助けを求めに来た親友が、遠い世界へ行こうとしている。ここで見送れば、それはアノヨへ旅立たせるのと同義であろう。「おれの資質か。難しいことを言う」「出来の悪い同級生に三角関数を教えるのとはワケが違うんだぞ。いや、あの時はあの時で非常に苦労したが……ハッカーの修練は、その比ではない」

「……三角関数よりも難しいのか」「当たり前だ!恐ろしくなったか?やめるなら今のうちだぞ」本当は非合法ビズから足を洗ってほしい。だが、それも叶わぬというならば。せめて旧友が少しでも長く生き残ることが出来るように、出来るだけのことをしてやりたい。そうだ。命さえあれば何とかなるものだ。

「引き返す道は無い。頼む、おれのセンセイになってくれ」「今回のビズは全額、前払いだ。そして効果も保証しない。返金もしないからな」「幾ら出せばいい?」「……三万円だ」アトウダは拍子抜けしたような顔をすると、懐から真鍮のマネークリップを取り出すと、そこから三人の聖徳太子を差し出した。

「それぐらいなら、すぐ出せる」アトウダが何の躊躇も無く三万円を出したのを意外に思った。もしかしたら、ハック&スラッシュの仕事で首尾よく稼いでいるのだろうか。懐に万札をしまうと、ウブカタは可能な限り、威厳を持って切り出した。「……いいだろう。では、このジュー・ウェアに着替えるんだ」

……五分後!応接間を出た二人は電算室で向かい合ってアグラしていた!ウブカタはタタミの上、アトウダはフートンの上だ。何処かに香炉でもあるのか、空間にはゼン・インセンスが満ちている。既にインストラクションは始まっているのだ。ザゼン修行。瞑想の中でソーマト・リコールめいた幻を垣間見る。

その過程で果たして何が起こるのか?その先の事象に関してウブカタは黙して語らなかった。恐らくは個々人が対峙する、そのヴィジョンに自らの求める答えがあるのだろう。ハッカー、ニューロン、ザゼン。三つの点がニンジャのイクサに、どう繋がるのであろうか。今更ながら、アトウダは不安に駆られた。

すると、どうだろうか。等間隔に立ち並ぶ謎めいた篝火の明かりに照らされ、暗闇の中に立ち尽くす彼のセンセイの姿が見えてきた。「ガーゴイル=サン!?」そのアクマめいた捻じれた角、黒い癖毛、穏やかな双眸、見間違えるはずもない。寝る間も忘れぬ、我が師のことを!「来たか、ノーマーシー=サン」


(続く)

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