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呼び名に違和感が消えない

「障がい者」「障害者」という呼び方を健常者に言われると不思議と違和感がすごくあるのはなんでだろう。

確かに間違ってないし、事実です。けど自分だけかは定かではありませんが
毎回違和感しかありません。
自分は、中途障がい者であり足を失って9年目になりました。
おおかた見られようが、なにを言われようが何にも感じないし、感情的にもなることはあまりありません。

でもこの呼び方については、9年が経とうとしていますが消えません。

自分の見えないところで・・・・

どこかで差別してるんだろうな


こんな感じで見られてるんだろうと自分が思ってしまってるんだろうな。
障がいをもった気持ちというのは、どれだけ経っても周りにはなかなかわかりずらいことも多くあるし、家族であっても当事者の気持ちはわかってもらえないことも少なくない。

心のどこかで無意識に「闇の自分」がそう思っているんだろうか。

自分はもう障がい者という自分を受け入れた・なんとも思わないと言ってきましたが、隠れたところでまだ残っているのかもしれない。

入院仲間や事情を知ってくれてる方は、障がいの部分を見るのではなくて「中身の自分」と接してくれているので本当にありがたいです。

「障害者」「障がい者」など言う人も悪気があったわけでもなく、差別するわけでもないのはわかっているんですが、自分のどこかで引っかかっているので、今回の記事になってしまいました。

障がい者というのは、「配慮してもらえていいな」「お金あっていいね」「税金のおかげで」とか言われますが、、、、

全くそんなことない


「配慮」は当たり前ではなく、筋のとおったことをしないといけません。
当たり前や踏ん反りかえった態度だと誰がお願いしても受けれません。

お金も「補助金」「●●年金」「●●補助」など名の付くものは、本来働けていれば得れたであろう賃金の「補填」なんです。

なんで補填があるかと言えば、「仕事」選択肢が極端に少ない・雇用されても「障がい者雇用」だとか、そもそも体調が悪く働くことすらできない人もいるから、生きていくために必要な金銭をもらっている。

だから、本来ならみんなと同じ五体満足だったら同じように働き、生活していたいんです。

けどこの「配慮」や「補助」も全部丸投げでもありません。

自分でできることはやるし、働けるなら働いて金銭を得ます。

どうしてもできない・障害により難しい時に周りにお願いしたり、ヘルパーさんを利用したりして補助をしてもらっているいます。

できないとき・難しい時に助けてもらうのは、健常も障がい者も何も変わらないところだと思っています。

垣根がなく全員が暮らしやすい世界というところを目指すというのは、やっぱり「中身」をみてください。

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