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多様性をどう思う?

先日りゅうちぇるのニュースで「多様性」について放送がありました。

多様性:ある集団の中に特徴・特性をもつ人がともに存在する

自分に当てはめると、周りは五体満足の中で右足がありません。
車いすを使って生活していて周りには持っていない道具を使います。

これだけで「特徴のある人」と認識されているのが現世ですよね。

りゅうちぇるの場合は、当時まだ今のように多様性が表に出ていなかった時に自分の性に悩んだり、周りと違う格好をするのに相当な葛藤があったと想像してしまいます。
自分の好きなものを隠し周りに合わせての生活は、本音がだせずほんとうの共存にはなっていくことは難しいでしょう。

○○は見苦しい、男女で結婚が当たり前、同性婚や同性愛などなど、今のよのなかで問題になっていることは、上げればキリがないです。

これらすべて、「その人の強さ」「個性」と捉えることはできないでしょうか?
数が多いほうに強制するのではなく、特徴をもっていてもどういう風に接すればいいか、配慮が必要かな?など社会のマナーとなにも変わらないことだと自分は思っています。

たしかに人としてのマナーは必要です。
そこの部分は、誰であろうとお互いが気持ちよく暮していく上では守らなければいけないことだと思まいます。

足がないから義足を使う、車いすを使う
目が見えないから白杖を使う、盲導犬が必要
男性だけど女性の格好が好きだったり、男の人が恋愛対象
女性だけど男性の格好が好き、女の人が恋愛対象

これらも含めて数は少ないですが、実際にこういった考えをもったりする人がいるのは事実です。
その人たちも含めたすべての人が不自由なく暮らせるのが本当の意味で「共存」ではないでしょうか。

すべての人が同じ性格で全く同じ姿かたちであればルールも1個あれば問題ないですし、今みたいに法律などで苦労しないでしょう。

住みやすい形にしてくださってるのはいまとても感じています。
しかしそれがすぐのすぐに実現するかといえば、そうではありません。

大きい法律や制度は正直国の専門にお願いするほかありません。

そんなか私たちにもできることは、困っているひとがいたらお手伝いをしたり、声をかけあっていくことであることだとおもいます。

どんなひとにでも手を差し伸べなくては・・ではなく必要なひとに必要なお手伝いをすることです。
困っているひとが「できます」「大丈夫ですよ」など言われたら優しく見守ってあげてください。

そして自分以外の趣味や好きなことは「そうなんだ」とその人の好きなこととして包んでください。


いままでの積み重ねがいまの世の中をつくっています。
そこから180度変えようと思ったらさらにそこから積み重ねが必要です。
それを加速させるためには、わたしたちもできることとを小さくてもいいので継続していくことです。

人は必要だからこの世に生まれて、存在しているのです。
絶っていい命はありませんし、あってはいけません。

少しでも辛いとおもうのであれば、我慢しないで吐き出してください。
必ず助けてくれる人がいるので頼ってください。

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