ほんとうに本当に!!
自分の人生の中で切っても切り離せないものが「入院」と「傷跡」
この2つが「頑張った証」と堂々と誇れるものです。
①入院
大きく2つある
自分の足の切断での入院と息子の小児がんでの付き添い入院
どっちもトータル1年以上の長期入院
生きるか死ぬかどっちに転ぶか分からない状態の命がけだった。
やりたいことができない、食べたいものが自由に食べれない制限だらけの生活も似ていた。
周りから見れば辛く嫌なものだったと思う。
たしかに「嫌だった」「辛かった」のは間違いない。
そこに「滅多にない経験ができた」を付けたしたい。
人生100年時代の中でも、入院することって滅多にない中で、1年入院することってないから、時間が経った今「なんかよかった」と思えている。
色んな理由がありますが、嫌な中でも「友達の輪」を広げれたこと。
入院中の人間関係が築けたのは、同じ境遇であり辛いことも分かり合えるから、今も連絡を取り合う関係にまでなっている。
嫌なことも「ひとつの嬉しさ」に救われました。
②傷跡
自分も息子も大きな傷跡がある。
・自分→腹部と右足の切断箇所の傷
・息子→腹部の手術跡
体に傷なんて痛かっただろうに・・・・
目立つね・・・
これもよく言われたことであるし、なんなら今も言われる。
自分の場合は、見た人はドン引きするレベルかもってくらい大きい。
これって痛々しいもの。
これも堂々と胸張って言える。
生き抜いた証
これだけ大きな出来事から蘇って生きていること・それだけ大きな手術や治療に耐えれたことに拍手です。
決してみっともないことも恥ずかしいこともありません。
お腹の傷は普段の生活からしても、服で見えないのできにすることもありませんし、見えたときに事実をいえばなにも問題ないと思います。
見える傷であったとしても、「事故」や「病気」でできたものであるから、そのことを言えば周りにいちいち言われることも全くない。
冷ややかな目をする人も残念ながら居るし、態度に出る人もいる
全員がそうではないが嫌な思いをする人がいるというのはとても残念。
その「生きた証」「頑張った証」はとても素晴らしいもの。
これ以外も「抗がん剤で抜けた髪」「治療で失った部分」なども同じ
生死をさまよって現世にもどったことにもっと「普通に」してください。
普通にして普通に生活したいだけなんです。
最後に・・・