できるできないじゃない!!
「障がい」について考えたときにどう思いますか?
車いすを使う人・義足を使う人・白杖を使う人・補聴器を使う人・精神の障がいのある人など「特徴」があると思います。
人って「五体満足」が基準としてまだまだ根強く残っているんですが、障がいがあるからといって、「線引き」されていると感じます。
障がいがあるから「障害者枠の就労」「障がいがあるから特別支援学校」「障がいがあるから行政の補助」なんかがあります。
就労がわかりやすいかと思うかと思うけど、フルタイムで働くことが難しかったり、重労働ができなかったりするから業務が制限されたり、時短勤務であったり、配慮や勤務時間の短縮ができたりする。
学業も、集団行動や日常の生活に支援が必要だったり、医療的ケアがないと生活ができないから支援学校へ行かないといけない。
障がいがあるから、フルで就労できないから行政の補助により働くことができない分の補充をしてもらっている。(障害年金や免除など)
深堀してしまえば「できる」「できない」という線引きをされている感覚になってしまうことも少なくはない。
健常者からは、「何もしなくてお金もらえる」「助けてもらって当たり前」とかもあっさり言われてしまうことも多い。
この「金銭的補助」は、本来就労するはずだった分の補充であり、実際に金額は障がいの度合いによって、変動します。
楽してもらっているものではありませんし、もらっても贅沢できるというためのものではありません。
助けてもらって当たり前でも当然ですがそうではありません。
たしかに誰かの手を借りることは普通の人より多く、頻度も少なくないのは事実です。車いすを推してもらってり、席を融通してもらったりもありがたいことですが、当然のことではありません。
態度が悪かったりしたら障がいのあるひとであっても、手を差し伸べたりは誰もがやりたくないはずです。
逆に健常の人でも誰かの手を借りて生活をおくっていると思います。
重い物を運ぶとき誰かの手を借りますよね、家事が多いから誰かと手分けして行いますよね??
できないからお願いしてませんよね?できないことを補ってもらってる。
障がいある人もそこは同じです。
できないことをお願いしたりしますが、すべて丸投げではありませんし、できることは、自分でやります。
そのサポートしてもらうことが少し多かったりするだけです。
線引き=できない
こんなダウンなイメージにしかならないので「考え方」をもう少しご配慮
いただければと思います。
できないから言わないではなく、どうしたらみんなできるか
決めつけではなく、相談してお互いの意見交換をして「垣根」のない世の中であってほしいと思う。
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