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🐻Ye (イェ) をよりよく知るためのAtoZ

はじめに

本記事では、米国のヒップホップ/R&Bプロデューサー兼ラッパー兼ファッションデザイナー、カニエ・ウェスト(Kanye Omari West 、現在の芸名Ye)に関連した事項や人物を頭文字のアルファベット別に1つずつ挙げていき、内容を概説した。
Yeは2023年現在のポピュラーカルチャーを代表するお騒がせセレブであり、私生活におけるスキャンダルや他の著名人との衝突などは枚挙に暇がない。中でも、2022年10月のパリ・ファッションウィークにおける”White Lives Matter” Tシャツの着用は最悪の不祥事となってしまい、これを機に、アパレルデザイナーとして関わっていたアディダスやギャップとの契約が次々に解除されていった。ヒップホップファンの間ですら、Yeは今やほぼオワコン扱いである。
しかし待たれよ。デザイナーとしてはともかく、音楽家としてのYeの才覚はこれまで、どんな状況下でもブレずに世界最高の水準を保ち続けている、というのが私の見解だ。昨今では大規模なチームで制作を行っているため品質が大崩れしないという理由もあるが、稀代のビート構築スキルを持つ音楽プロデューサーであり、唯一無二の作詞上の着眼点とヘンテコな押韻スキームを持ちあわせるラッパーでもあるYeのキャリアが、アパレル周り起点のゴタゴタくらいで終わるわけがない。いや、終わらせてはいけない。彼が作る音楽を入り口としてファンになった身とすれば、むしろファッション業界から干されて音楽活動に専念してくれるほうがちょうどよいとすら言える。
近い将来、Yeが戻ってきた日にあたふたしないよう、ヘッズたちと彼について語り合えるよう、一度ここまでのYeにまつわる情報あれこれを整理しておきたいと思う。

AtoZ

A: Adidas

Yeは2013年にアディダス社と契約し、翌年2014年に自身のシグネチャーモデルであるスニーカーYeezy Boostを発表した。それ以前にはナイキの元で、非アスリートのシグネチャーシューズとしては同社初の製品となるAir Yeezyを発売していたことがあった。当時ナイキとは恐らく何らかの確執が生まれており、同社との契約解除の直後に発表したアルバム『Yeezus』(2013)には”New Slaves”など、明らかに既得権益層に対する反発をラップした曲が複数含まれていた。
とにかくYeはアディダスに移籍した。Yeezy Boostの人気はAir Yeezyをすぐに上回り、2019年には単年で15億ドルを売り上げるシリーズにまで成長した。Yeはその後アディダスの他製品が自分のデザインアイデアを盗用しているなどと申し立ててビーフを展開し、2022年に起こした”White Lives Matter”Tシャツ騒動がとどめを刺す形で契約をカットされるまで小競り合いを続けた。
ところで、特に本邦ではあまり語られることが無いが、アディダスはそのルーツにナチ党が関与している。創業者のAdolf ”Adi” Dasslerはナチ党員で、戦時下では工場労働者としてユダヤ人を強制徴用していた。既に同社は過去の経緯について正式に謝罪しているものの、未だに当時者内外を巻き込んだ論争が続いている。
Yeはある時期よりナチに強い関心を示しており、ゲシュタポの制服デザインを称賛したり、様々な反セム主義的な言動が近年まで目立つ。彼がアディダスのエンドーサーとなったことはある意味でナチ党との関係を想起させる契機になってしまった。

B: Blues Brothers

1980年のJohn Landis監督映画『ブルース・ブラザーズ』のクライマックスとなるのは、Dan AykroydとJohn Belushi演じる主人公2人がネオナチの集団を橋の上から突き落とすシーンである。実はこの橋、シカゴのサウスサイドの公園にあり、Yeが育った家から徒歩3分ほどの距離に位置しているらしい。そんな場所で生まれ育ったYeがナチに心酔してしまうとはなんとも皮肉である。なお、Yeの生家自体も後述する『jeen-yuhs』でフィーチャーされたこともあって観光地化しているそうだ。

C: Chipmunk

シマリスのこと。2000年代にYeが得意としていた、ソウルのレコードを高回転でサンプリングし、音程を高くした状態で作られたトラックに対して”chipmunk soul”なる呼称が与えられた。なお名付けたのはDr.LoveことQuestloveである。筆者はリスの鳴き声をきいたことがないが、ピッチシフトされた歌声がアニメに出てくるリスのキャラクター(チップとデール的な?)が出す音に似ていることからきているそうだ。
Yeプロデュースによる楽曲でいえば、Kanye West ”Through The Wire”(2004)、Jamie Foxx & Twista ”Slow Jamz”(2004)、Common ”The Corner”(2005)などがchipmunk soulの代表曲である。Ye以外のプロデューサーではJust Blazeもこの技を多用する。

D: Drake

本名Aubrey Drake Graham。1986年10月24日カナダのトロント生まれ。芸能界デビュー当初は俳優として売り出されていたが、2006年以降音楽家としてのキャリアを本格化し、”Best I Ever Had”(2009)や”Hotline Bling”(2016)、”One Dance”(2016)といったヒット曲を世に送り出し続ける人気者。基本的にはラッパーなのだが、同時にオートチューンを使った歌唱を芸の基軸に置いている。
そんなDrakeの芸風の下地を作ったのは、オートチューンを大々的にフィーチャーしたYeの4thアルバム『808s & Heartbreak』(2008)であると言われている。ラッパーのソロアルバムでありながらほとんどラップが出てこないこのアルバムの登場を受けて、2000年代終わりから2010年代初頭にかけてはDrake以外にもオートチューンで歌うラッパーやシンガーの数が増えた。そんな二人は2009年の”Forever”で共演しており、ビルボード総合チャートTOP10入りを果たした同曲は複数国でマルチプラチナム認定された。

E: Elon Musk

Elon Reeve Muskは1971年南アフリカ共和国出身の起業家でありエンジニア。スペースX、テスラの創業者にして代表を務める。
広く知られる通りYeとMuskは友人関係にある。それ以前から交流があったのかわからないが、少なくとも両氏のソーシャルメディア上での交流が大衆の耳目に触れるようになったのは2020年のコロナ禍初期の頃である。彼らはウェブを介して互いの作品や発明を称賛しあっているうちに、現実世界でも協働するようになった。なおYeの愛車群にはテスラのModel S P100Dの改造モデルが含まれる。
2020年7月、Yeは「スターウォーズ」の名を冠した街を作る計画(思い付き?)についてツイッターに投稿を行った。これにMuskが応答し支援を表明。これ以降、彼らは様々なイベントやSNS上で一緒にいるところを目撃されるようになった。
Yeが大統領選への出馬することを宣言した際にも、Muskはまたしても支援の姿勢を示し、資金提供も含めて公式にYeの選挙活動を後押ししている。Yeはオールドエコノミー推しの共和党支持なので、宇宙探査や再生エネルギー研究への投資をプッシュするMuskとは直観的には政策的に対立しそうなのだが。。
とにかくMuskクラスの公人が、トラブルメーカーであるYeのような人物と大っぴらに付き合っている理由は常人には度し難いところがある。とはいえ、一連のツイッターの買収劇や無党派層に対する共和党への投票呼びかけなどで、最近ではMuskにもすっかりお騒がせセレブが板についてきてはいるのも、また事実だ。

F: 50 Cent

1975年ニューヨーク州クイーンズ出身のラッパー。本名Curtis James JacksonⅢ。あわや死にかける事件が起こったせいで1stアルバム発売が遅れたのはYeと同じだが、50 Centの場合はワル仲間の敵対勢力から9発の弾丸を食らうというハードコアなパターンだった。奇跡的に一命をとりとめ、Dr.DreとEminemの後ろ盾を得て数年後にデビューした後は、ギャングスタなイメージそのままに、ラッパーをはじめありとあらゆる業界人にビーフを挑む好戦的な立ち居振る舞いと、ニューヨークのMCらしいシュアなラップスキルで名を成す。
そんな50 Centが、目立ちたがり屋揃いのヒップホップ業界でもひときわ目立ちたがる(しかしギャングではない)シャバゾウのYeに喧嘩を売りつけるのは当然のなりゆきだったと言える。ビーフが発生したのは2007年8月で、翌月には50centの3rdアルバム『Curtis』とYe(当時はKanye West名義)の3rdアルバム『Graduation』が、全く同じ日に発売予定を控えていた。この機を逃さなかった50 Centは、「9月に出るアルバムの初週のセールスでKanyeに負けたらラッパーを引退する」というカマしを発動した。
結果は『Curtis』が米国内69万1000枚で2位だったのに対し、『Graduation』が95万7000枚でトップを飾り50 Centの完敗だった。そのうえ引退もしなかったため、この事件はヒップホップ史上最もダサかった事件としてヘッズの記憶に刻まれている。

G: Gucci

Yeは今でこそ服飾周りの仕事でも耳目を集める存在だが、登場時はヒップホップ的にかなり風変わりな出で立ちとファッションセンスを見せていた。『College Dropout』の頃の彼を象徴する服装といえば、発色の良いラルフローレンのラガーシャツを重ね着し、グッチのバックパックを背負ったスタイルだ。2023年の現在ならハーフパンツを合わせれば韓国の若者風にもなりそうである。従来のヒップホップファッションにアイビー/プレッピーの要素を取り入れるという意味ではRussell Simmonsが元ネタなのだろうが、超オーバーサイズのベースボールジャージーとノンウォッシュのデニム、ティンバランドブーツやエアフォース・ワンが定番アイテムだった時代にあっては、どうしても異質だった。
なおデビュー前のYeはロッカフェラ・レコーズに常勤社員として就職しようとしたことがある。その際、Jay-Zとの面接(ようは社長面接)にジャストサイズの白Tで挑んだところ、口を開く前からJay-Zの顔には「こいつは採用できん・・・」という表情が浮かんでいたそうだ。

H: Hawaii

サッカーにせよバスケットボールにせよ、現代はチームで行う競技スポーツにおいて、試合での勝利に対してスタープレイヤーの個人技が持つ力が従前より弱まってきている時代である。相対的に組織の力が重要になってきているのだが、この流れには音楽もある意味で連動している。
yeは5thアルバム『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』の制作にあたり、2009年に共演者やスタッフをハワイのスタジオに一堂に集め、合宿形式での録音を行った。名付けてRap Camp(ラップ・キャンプ)である。参加したのはRihanna、Elton John、Drake、Rick Ross、Jay-Z、Pusha T、Nicki Minaj、Kid Cudi、No I.D、、、、、など有名どころだけでも膨大なリストになる。そんなわけなので製作費総額は一瞬で300万ドルを突破したという。
ラップ・キャンプでYe本人は楽曲の制作の進行管理を複数曲にわたって並行して行うプロジェクト・マネジャー的な動きをし、実働部隊としては、デモがあがった各曲にアサインされたミュージシャンとレコーディングテックから成るチームが様々なサウンド、ビート、リリックを試しながら同時並行で収録を進めていくという方式がとられた。そうして数か月をかけて集約した音素材をyeは再編集し、キャリア最高傑作の呼び声も高い『MBDTF』へと仕立て上げた。この制作方法はかつてエレクトリック期のMiles Davisがスタジオセッションで収録した素材の編集を全て盟友Teo Maceroに任せてフランケンシュタイン的なアルバム群を作っていたことを思い出させるが、規模が文字通り桁違いであるところと、名義主であるYeがポストプロダクション作業まで行っているところが異なる。
Yeはこれ以降は自身の作品について、全て個人でなくチームで制作を行う方針を明確に打ち出している。長年ゴーストライターの存在を隠していたP. Diddyとはエラい違いだ。さらにYeを追うようにBillie Eilish、Radiohead、Tyler the Creatorらのミュージシャンもチームでの制作を導入する旨を相次いで公表しており、ポピュラーミュージックは俄かに組織の時代を迎えている。

I: ”IZZO”

YeはJay-Zの2001年作『The Blue Album』の先行シングル曲”IZZO (Hova)” のビートを提供した(当時Kanye West名義)。同曲はビルボードのHot100チャートで第8位を獲得しJay-Zのキャリア上でも屈指のヒットとなった。Jackson 5やWilson Pickettなどの大ネタを取り入れたIZZOのトラックが全米に流通しラジオにも流れたことで、yeにはソウルサンプリングマスターのイメージが定着した。いっぽうでJay-Zの付き人というイメージもついてまわるようになった。Yeはこの後も”Heart of The City (Ain’t No Love)”を含むJay-Zのヒット曲の制作に携わり、ロッカフェラとの関係を強める。

J: jeen-yuhs

”jeen-yuhs: A Kanye Trilogy”は2022年2月にネットフリックスで公開されたドキュメンタリーシリーズ。yeの長年の友人であり映像作家/コメディアンのCoodieとChike Ozahによって撮りためられた実録映像を中心にして構成されている。各エピソードが約90分の長さを持つ3話構成で、第1話はyeがラッパーデビューする前に経験した様々な苦労話に、第2話はカレッジ3部作の発表でソロアーティストとして絶頂を迎える頃の話に、第3話は実母の死と失調期にフォーカスが当たっている。最終節ではあまりにもおかしな虚言妄言を繰り広げるYeを見かねたCoodieが撮影中断を決意することでシリーズが幕を閉じるという衝撃作だが、Yeがただの「突然現れたヤバい奴」なのではなく、元々はあふれんばかりの情熱と才能を持ち合わせたひとりの若者だったのであり、あんなことがあってこんなことがあって、今に至っているのだ、ということが理解できる構成になっている。簡単に言うとyeに好感ないしは同情が持てるつくりだ。少なくともスキャンダルまみれの今よりは。。。全編にわたってポピュラー音楽シーンの変化の速度とYeの速度の本質的なズレのようなものを感じ取ることができ、彼が有名になる前も後も、常に「速すぎる天才(Genius=jeen-yus)」であったことがわかる。
また、2000年代前半のヒップホップ界隈の記録映像としても貴重であろう。特にJay-ZやPharrell Williamsのスタジオでの立ち居振る舞いはクールすぎて主役そっちのけで見入ってしまう(Scarfaceとの差よ!!)。そして第1話中盤で見ることができるママウェストの「巨人は自分を鏡に映せない」スピーチ/説教は全視聴者の心に残ったはずである。
しかしそれにしても、無名時代から情熱大陸ばりに行く先々でずっとカメラを回していたら当時は相当悪目立ちしただろう。げんに第1話~2話ではYeに張り付いているCoodieとカメラの存在にツッコミを入れる人物たちが多数登場する。ということでYe本人も認める通り、元から自意識過剰が過ぎるヤバい奴ではあったのだろう。

K: Kim K

Kim Kardashianは1980年カリフォルニア州ロサンゼルス出身のテレビタレント。当初はParis Hiltonのスタイリストとして有名になり、リアリティショー中心にメディア露出を増やすと、その家族を含めた豪華絢爛なライフスタイルが注目を集めるようになった。
YeとKimは2012年に交際を開始。交際発表の直後にYeは自分たちカップルのことを「歩くパフォーミングアート」と呼び、ひんしゅくを買った。当時Yeは既にパリ・ファッションウィークで自身のアパレルブランド”DW Kanye West”を発表するなど、ファッション界にがっつりと参入していた状態だった。いっぽうで、Kim側はリアリティーショーあがりのセレブとして、ファッション業界の中ではやや鼻つまみ者扱いだったようだ。このことを踏まえると、2014年に2人が婚約し、米国版『Vogue』の表紙を飾ったときの世間様からの反応も、さもありなんというべきだったのではないか。
Vogue誌のAnna Wintour編集長はそもそもKimを嫌っていたとされるため、表紙への採用は恐らくAnnaの友人であったYeから相当強引な働きかけがあったと言われている。この表紙の人選を受けて、読者の側からはVogue全体に対する大きなキャンセルムーブメントが起きた。背景にあったのは当然、お騒がせセレブカップルの掲載は同誌の信頼性や権威を損なうという意見だ。
しかし米国音楽史上でも屈指のナルシシストであるYeがそんな騒動を意に介すはずがない。後年発表された”Famous”のMVでは、Kimと並んで裸でベッドに横たわるYeの隣に、それまでに関わったセレブたち(男女問わず)の蝋人形が置かれるという演出がなされている。その中にはAmber RoseやTaylor Swiftらとともに、Anna Wintourの姿もあった。
なおKimとYeの結婚生活については、2021年初旬に離婚調停中であることが発表され、同8月には裁判に決着がついた。Kimのほうはそうでもないようだが、Ye側は破局をかなり引きずっている様子で、現在に至るまで明らかに彼女を意識した公の場での発言や歌詞が目立つ。

L: Liposuction

Yeの偉大なる母Donda Westは2007年10月に58歳で亡くなった。直接の死因は十分なインターバルを置かない状態での脂肪吸引の反復による合併症であった。大学教員を務めるほどの良識と教養がある女性をも、死に至るレベルで狂わせてしまう痩身美容の中毒性を伝えるニュースとして、当時は米国ではそれなりに話題になったようである。
身体に大きな負荷がかかる脂肪吸引は通常であれば十分に安全性を考慮して行われるためこのような事故が起きることは稀だ。しかしDondaの場合は正式なプロトコルを踏まない闇医者的な人が施術していたと言われており、費用は恐らくYeが負担していたことから、彼にも相当な自責の念があったと思われる。それにも関わらず彼はDondaの逝去からまだ日が浅いうちから全米コンサートツアー(Glow In The Dark Tour)を敢行するのである。この様子は前述の”jeen-yuhs”にも収録されている。
また2008年には、4thアルバム『808s & Heartbreak』をリリースしている。かなり実験的な要素が多く評価が分かれる作品だが、歌詞世界はストレートに喪失感をテーマにしており、Yeもまた他の多くの優れた音楽家と同様、人生とともに音楽を生きている人間なのだと感じさせる内容である。

M: MTV Video Music Awards

Yeの愚行奇行伝説の中でも有名なもののひとつが、2009年のMTVビデオミュージックアワード授賞式でのスピーチ乱入事件だ。”You Belong With Me”でその年の最優秀女性アクト部門を受賞したTaylor Swiftが受賞スピーチを行っている最中、客席にいたYeは突如ステージに突進し壇上に駆け上ると、Taylorからマイクを奪ってスピーチを中断させた。
Yeは憤慨した口調で、同部門のノミネート作であったBeyoncéの”Single Ladies (Put a Ring on It)”は「史上最高のMVのひとつであり、Taylor Swiftよりも受賞に相応しい」とまくしたてた。あまりの出来事に、観客の中には声を失う者もいれば、ブーイングする者、笑いだす者などが混じっていたが、最もショックを受けたのは当然Taylor本人である。当時の映像を見ると明らかに震えているのが分かるほどうろたえている。Yeがひとしきり話し終えた後にTaylorはスピーチを再開するものの、出来ばえという意味では推して知るべしであった。
後日YeはTaylorにこの件について謝罪した。しかし他人のスピーチへの乱入癖は治っていない。

N: New Orleans

2005年8月末、カテゴリー5の超大型ハリケーン「カトリーナ」が、ニューオリンズを中心とする米国南東部一帯を襲った。死者数は1833名、被害総額はおよそ1,250億ドルという未曽有の自然災害となった。Yeは、当該のハリケーン被害からの復興支援にあたってのGeorge W. Bush大統領(当時)の対応の不十分さを批判する文脈で、ジャズの故郷と言われ、他にもファンクやブルースなど様々な黒人音楽とソウルフードのメッカでもあるニューオリンズの人種構成を意識しつつ、「大統領は黒人のことなんて考えちゃいない!」と喝破。当時は胸のすく思いがする人も多かったと思うが、今となればいたずらに社会の分断を広げる言葉だったか。
なおBush側も2021年になってからNBCの記者に、「あれは自分の大統領在任中で最も不快な出来事だった」と語っており、それなりに喰らっていたもよう。

O: Oprah Winfrey

Oprah Gail Winfrey氏は1954年ミシシッピ州出身のアフリカ系アメリカ人女性のテレビ司会者である。極貧の家庭に生まれ性的虐待に怯える壮絶な年少期を過ごしながらも、10代のうちにテレビ局のアンカーマンの職を得た。1986年からは番販型のトークショー『オプラ・ウィンフリー・ショー』のホストとなる。日本で言えばテレビ朝日『徹子の部屋』、読売テレビ『情報ライブミヤネ屋』、TBSテレビ『王様のブランチ』を足して割り戻さないような内容の同番組は2011年の放送終了まで、女性を中心に、しかし老若男女問わず広く人気を集め、Oprahも米国社会で大きな影響力を持つようになった。
あまり知られていないが、2000年代のYeは母Donda Westとともにオプラ・ウィンフリー・ショーに何度か出演していた。OprahとDondaの間で交わされる理知的な会話も好評だったらしいが、同等かそれ以上に、YeとDondaが見せた親しく微笑ましい関係も反響を呼んでいたようだ(番組内で司会者より、”You are a mom’s boy. / ママっ子ね” というイジリあり)。Yeが番組内で語ったのは、母への敬意や感謝、シカゴサウスサイドの片隅で母子家庭が身を寄せ合って過ごした慎ましい日々など・・・Yeは実は母親との関係性によって「泣かせる」奴だったのである。そんなYeのマザコンぶりがさく裂した佳曲”Hey Mama”(『The College Dropout』収録)を森進一「おふくろさん」(1971)に喩えたのはカリフォルニア州在住の映画評論家、町山智浩だったか。
なおOprahは2020年にYeが独立候補として大統領選に出馬することを決めた際、「やめときなはれ」的な言葉をかけたという。このことは2022年5月に公開されたJoe Roganのポッドキャスト番組の中で、Ye自身の口から語られた。

P: Porns

前掲の『jeen-yuhs』の第1話に、まだ売り出し中だったYeがイベント会場から宿泊先のホテルに向かう際、スタンドで所謂成人向け雑誌を買うシーンがある。8ドルという価格について販売員に不満を漏らしつつ、そのあとYeはカメラに向かって「俺は(ポルノ)中毒なんだ」とつぶやく。
当該の映像から20年近く経った後の2022年9月、Yeは自身のインスタグラムアカウントにて、「30代、40代でも露出度の高い恰好をしてソーシャルメディアに投稿している女性たちがポルノ中毒者を生み出している。そいつらに俺の家庭は壊されたんだ」という旨の投稿を行った。これは明らかに前妻のKim Kardashianのことも意識していると思われる。また、「ポルノ産業を巨大化させたのはユダヤ人だ」という反セム主義的な発言もある。Yeの人生でポルノは常に意識せずにはいられない存在のようだが、あまり個々の発言には真剣に取り合わないのが吉だろう。

Q: Quentin Tarantino

1963年テネシー州出身のアメリカ人映画監督。ミドルネームはJerome。自作にカメオ出演することなどで有名。2022年10月、YeはTarantinoの2012年監督作『ジャンゴ 繋がれざる者』(原題:Django Unchained)に関して、「俺が”Gold Digger”(注:Kanye West名義での2004年発表楽曲)のMVを元にしたアイデアをプレゼンして、それが映画になったんだ」と言ったが、すぐにTarantinoにより「そんな事実はない」と否定されている。なおGold DiggerでメインシンガーとしてフィーチャーされているJamie Foxxは『ジャンゴ』にも出演している。

R: Republican

Yeと同郷のCommonやJohn Legend、Chance The Rapperらは、ヒップホップ・R&B好きで知られるBarack Obamaが政権を取っていた時代に、ホワイトハウスでライブをしたり、大統領と対談したりと、ほぼ親衛隊ともいえる距離の近さを見せていた。そのいっぽうでYeが共和党支持者であることは米国産ポップカルチャーの中に明らかな異化効果をもたらしている。「有色人種が全員リベラルである必要はない」といういかにもYeな屈折を嗅ぎとることは容易だが、それにしてもYeは、大統領選への立候補も含め、ただの天邪鬼だと見過ごすにはあまりにも極端な言動をとってきている。
2018年4月、Yeはツイッター上で、共和党サイドの保守系コメンテーターCandys Owensのファンであることを表明するや、同月の別の日にはDonald Trumpの支持を宣言した。TMZ(右派テレビ局のFoxが制作するワイドショー)に出演した際、「400年も続いたのだから奴隷制は黒人自らの選択だったと思う」と発言し、大炎上した前月である。
共和党絡み、もしくは広くYeの右翼性に端を欲する騒動は挙げていけばキリがないのだが、中でもYeのキャリア最大の騒動となったのが”White Lives Matter”事件である。2022年10月、Yeezyの新ラインナップを発表するためパリのファッションウィークに登場したYeは、クローズドパーティで当該の文言を背面に、教皇John PaulⅡを前面にあしらった長袖Tシャツを着用した。その場に居合わせたゲストがスマホで撮影した映像がSNSで流れ、すぐにYeは針のむしろに。さらにこの時同伴していたのが前掲の共和党支持者で白人至上主義者Candys Owensであり、彼女が着ていたのはYeと同じ”White Lives Matter”Tシャツだったことも火に油を注いだ。
言うまでもないことだが、”White Lives Matter”は”Black Lives Matter(BLM)”と呼ばれる一連の社会運動の名称のもじりである。BLMはもともと、米国における警察権力からのアフリカ系に対する不当かつ過剰な暴力に対する抗議として2010年代に生まれた運動で、直接的には2013年7月、前年に黒人青年Trayvon Martinの殺害の罪に問われたGeorge Zimmermanに無罪判決が出たことを契機としている。さらに翌年Eric GarnerとMichael Brownという黒人ふたりが相次いで警察官に殺害されたことで運動は全米に広がった。連日、スマートフォンで撮影された白人警官による黒人への暴力がネット上にアップされ、2015年1月に人気テレビ番組サタデー・ナイト・ライブに出演したD’Angleloがステージ上で黒人犠牲者に追悼をささげるなど、BLMに共感を表明するミュージシャンも現れた。
公の場でBLMの反語を身にまとったYeに対してはもちろんパリ・ファッションウィークが終わった後も著名人や論客からのバッシングが鳴りやまず、彼は一時期雲隠れせざるを得なくなった。そしてファッションウィーク後に初めてメディアの前に現れた際のインタビューで、何故あのようなTシャツを着たのかという記者の質問に対し、「誰でも”White Lives Matter”と書かれたTシャツを着ているやつなら殴ってもよい、というグリーンライトを出す意図だったんだ」と回答している。読み解くのが難しい発言だが、このような過激な言明に踊らされてしまう我々の精神状態を自覚させるためにとった行動と意図していた、とも解釈できる。
他項でも述べたとおり、Yeはこの一件が原因でアディダスやギャップをはじめとする主要なビジネスパートナーとの契約を解消されてしまう。「一夜にして20億ドル相当のディールを失った」と語ったのは本人。この金額にどの程度誇張があるのかわからないが、いずれにせよ契約金が前払いでなくフローベースだったことも我々を驚かせた。

S: Sunday Service

2019年の年始より、YeはSunday Serviceと称するゴスペル音楽イベントを毎週行うようになった。当初は完全招待制で、Yeが100人規模のクワイアとバンドを率いてゴスペルバージョンにアレンジした自身の楽曲や伝統的な礼拝音楽を演奏する集いとして開催された。
もちろん、このイベントはYeによる霊的生活の一部ないし到達点として捉えるのが自然だ。ある時期から彼は宗教的なコンセプトと自身の想像したファンタジーを音楽の上で組み合わせることを試みるようになり、自身の信仰について公の場で語り、キリストの福音を広める強い意思を示し続けている。『Yeezus』(2013)、『The Life of Pablo』(2016)、『Jesus Is King』(2019)、『Donda』(2021)、『Donda 2』(2022)という現在まで続くアルバム群はあからさまに信仰をテーマにしておりゴスペルアルバムと呼んでよいほどの内容だ。プロパーの(?)クリスチャンラッパー勢からは概ねスルーされているのが気になるところだが。。
Sunday Serviceは徐々に話題を集め、今や全米のあらゆる場所で開催されるようになった。参加者についても当初のような招待ゲストだけではなく一般に開放する方針がとられている。むしろ最近の会場はほとんどの場合屋外であり、実質近所にいれば誰でも参加可能な状態になっている。ここで言う参加とは、Yeとクワイアのパフォーマンスに合わせて歌ったり踊ったりすることなので、イベントは一見するとペンテコステ派の礼拝を屋外でやっている様相を呈する。もちろん内容がゴスペル中心なのは引き続きだが、それに加えて最近ではセレブリティや有名ミュージシャンによるゲストパフォーマンスも行われるようになってきた。
このイベントに対する世間からの反応は二分されている。一方では、「福音を広めるポジティブで良い催しだ」とする声がありつつ、「ゴスペル音楽を盗用して金儲けをする行為だ」という厳しい意見もある。もちろんこれらにはYeの言動一般や音楽に対する見方も混ざっているので、Sunday Service単体での評価を取り出すのは難しい。

T: Tremaine Emory

ジョージア州アトランタに生まれ、ニューヨーク州クイーンズで育ったストリートファッション業界のカリスマ。デニム・ティアーズの創設者であり、2022年からはシュプリームのクリエイティブ・ディレクターに着任している。Yeとは元々友人関係にあった。しかしYeの各所での奇行が目立ち始めるにつれ、一義的には音楽家でありながらもファッション業界への憧れを隠そうとせず、それでいて業界人になりきれない焦燥を慢性的に抱え、何かと首を突っ込んでくる”イキりきったトーシロー”である彼に対して良い感情を持たなくなった。それが証拠に、コロナ禍のさなかに二者の間で口火が切られた直接・間接の舌戦は段階的にエスカレートしてきている。
ことの始まりは2020年7月、Emoryはツイッター上で名指しでYeによるDonald Trump支持を批判した。Emoryはまた、Yeが自分の利益のためだけに活動を行っており黒人コミュニティへの還元を十分に行っていない旨の非難も付け加えた。
これを受けてYeはすかさず連投ツイートで反撃。Emoryは、Yeとの意見の相違を自分が注目を浴びるために利用しているブレイモノだとした。
同年10月になると、Emoryはコンバース(および親会社であるナイキ)とコラボレーションして新しいスニーカーシリーズを発表すると予告。yeとナイキとの確執は周知の事実であり、これはye自身およびYeezy Boostの製造販売元であるアディダスへの忠誠心への直接的な挑戦ととられた。
さらに翌2021年3月、某ポッドキャスト番組に登場したEmoryは、yeがアパレルブランドのギャップと協業している(Yeezy Gapというラインが存在)のは愚かだと口撃を加える。曰く、yeはギャップの事業や製品に本当に関心があるわけではなく、ただの話題集めのためにコラボしているのだと。
Emoryの波状攻撃は止まらない。同年6月に発表したデニム・ティアーズの新作コレクションには、Trumpのパンチラインである”Make America Great Again”の文字をあしらったベースボールキャップ(いわゆるMAGAハット。Yeが後にこれを着用した状態でホワイトハウスに押しかける騒動も発生)をガイコツがかぶっているデザインのTシャツが含まれていた。もちろん、共和党&Trumpを支持するYeに対する当てつけである。
こうしてビーフについて時系列で再整理すると、積極的に仕掛けているのは意外にもEmory側からであることがわかる。それもそうである。どうにかしてファッション業界の中枢に踏み込みたい、仲間に入れてもらって生き残りたいYeにとっては、業界の顔であるEmoryは本当は仲良くしたい相手のはずだ。しかしEmoryにとっては、友達ヅラをしながらも自分が愛する神聖な界隈をかき回すおかしなミュージシャン風情となったYeは、徹底的に潰しておくべき輩、といったところなのだろうか。。

U: “You Don’t Know My Name”

Yeはまずもってヒップホップのプロデューサーだが、その溢れる才能は隣接ジャンルであるR&Bでもいかんなく発揮されている。”You Don’t Know My Name”は21世紀を代表する自作自演系R&Bシンガー、Alicia Keysの2ndアルバム『The Diary of Alicia Keys』(RCA/JIVE、2013)から先行カットされたシングルであり、Alicia本人とともにYe(当時はKanye West名義)がプロデューサーとしてクレジットされた曲である。同曲はビルボード総合チャートで最高位3位を獲得したほか、R&Bチャートでは8週連続でトップを張り、Aliciaの実質的な出世作となった。
ヒップホップネイティブの世代でありつつ、Clive Davisにフックアップされた後は端正なソウルマナーを前面に打ち出していたAliciaの芸風は、シカゴのオールドソウルオタクだったYeとそもそも相性が良かった。”You Don’t Know My Name”でも、ハーレムのボーカルトリオであるThe Main Ingredientsの1976年作”Let Me Prove My Love To You”を堂々とサンプリングし、Alicia嬢の歌を引き立てている。生粋のニューヨーカーだった才媛の作曲がシカゴ色のプロダクションと出会った瞬間だ。なお、バックグラウンドボーカルには当時まだ裏方だったJohn Legendが起用されているほか、MVにはラッパーのYasiin Bey(当時はMos Def名義)が出演している。
勢いを得たYeはこの後しばらく、Brandy ”Talk About Our Love”、John Legend ”Number One”、Jamie Foxx ”Slow Jamz feat. Twista”などなど、R&Bチャート上でヒットを量産する無双状態に入った。

V: Virgil Abloh

1980年イリノイ州ロックフォード生まれのファッションデザイナー。オフホワイトの創業者であり、後にLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループでも重役を務めた。Yeとは2009年にフェンディのインターンシッププログラムで同じ釜の飯を食った仲間同士である。同インターンシップは両名にとってファッション業界への扉を開くきっかけとなった。
Ablohは2011年11月、がんのため41歳の若さで亡くなってしまうのだが、その後Yeは自身のインスタグラムに、「LVMHのCEOであるBernard Arnaultが俺の親友(=Abloh)を殺した」という内容を投稿した。これに嚙みついたのはまたしても”番犬” Tremaine Emoryだった。Emoryは、その投稿のスクリーンショットと共に「“Yeは被害者”というキャンペーンのために、Virgilの死を利用することは許せない」と声を上げた。さらに「去年の今頃、君はYeezyチームの前でAblohのデザインは“ブラックコミュニティの恥”と言ったよな。なんでVirgilの葬儀に招待されなかったのか皆に教えてやれ。Virgilが末期ガンだと知りながら、グループチャット、Yeezy、インタビュー、曲などで彼を利用した」と続け、次のように締め括った。 「君は被害者ではない。ファッション界から認めてもらいたくてたまらない、ただの不安定なナルシシストだ!」

W: Wire

2002年10月、ロサンゼルスのスタジオからホテルに向かう道中、Yeは自動車で大事故を起こし、かろうじて一命は取り留めたものの下顎が3つに割れてしまう大けがを負う。Biggie SmallsやJ Dillaの死の床となり、ヒップホップ史においてはもはや記念碑的な場所になっているシダーズ・サイナイ病院に緊急搬送され、金属製のワイヤーを埋め込んでバラバラになった顎をつなぎとめる手術を受けた。既にプロデューサーとしては成功を収めつつあったものの、自身の念願であるラッパーとしてのデビューに向けて売り出し中のYe(当時はKanye West名義)にとっては晴天の霹靂でしかなかった。
しかし不屈の精神が彼を動かし続ける。流動食しか食べられなくなり、口も効けない状態になった2週間後に、医者の許可も得ずスタジオに駆け込み、鬱陶しくて仕方ない顎のワイヤーについてラップした”Through The Wire”を制作した。実際にこの曲でのYeのラップにはかなり活舌が悪い箇所がある(通常運転であっても、ものすごく聞き取りやすいタイプというわけでもないが)。
”Through The Wire”というタイトルは、David FosterがプロデュースしたChaka Khanの1985年のヒット曲”Through The Fire”から取られており、トラックは同曲のフックをYeお得意の高回転サンプルで丸使いする形で制作されている。あまりにもそのまま使っているので、Yeはこの曲の知財権は全てChaka Khanサイドに明け渡しているらしい。
いずれにせよ、この曲とMVが大ヒットしたことで、それまでロッカフェラ・レコーズ内で冷遇されていたYeのソロアルバムの発売が決定した。転んでもタダでは起きないのがYeのヒップホップ魂である。

X: Lil Nas X

本名Montero Lamar Hill。1999年ジョージア州アトランタ郊外出身のラッパー。従来白人音楽とされていたカントリーの要素を大々的に取り入れた2019年の楽曲”Old Town Road”が大ヒットし有名になる。Taylor Swiftがカントリーポップのリスナー層を女性や若年層、非白人に広げたことに応えるかのように、ヒップホップ側からもルーツミュージックのボーダーレス化を推し進める存在と目される。Xは元々ヒップホップの同性愛嫌悪的な側面が好きではないと公言していた。
実はこのような人種や性別と紐づいた音楽ジャンル間の境界の超克はYeの活動とも重なる部分がある。例えばYeは『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』(2010) のレコーディングセッションにインディー・フォークバンドのBon Iverを招聘した。
両者の絡みといえば、なんといってもYeがLil Nas Xの2021年曲 ”Industry Baby”をプロデュースしたことだろう。同曲は別のZ世代ラッパーJack Harlowをフィーチャーしており、既往のラップ曲に頻繁に登場する男性間の性行為を揶揄する表現をネタにして笑い飛ばす内容である。Xは「ヒップホップヘッズでなかったことを公言しているラッパーと仕事をしたがるヒップホップ業界の人はいないだろう」と考えていた。そんな彼にとって、Yeがプロデュースを引き受けてくれたことは同曲を含むデビューアルバム『Montero』の制作過程で最大の驚きだったというのは本人談。
しかしながらYeは、他の状況においてはLil Nas Xが体現するようなヒップホップの「左傾化」とはむしろ逆行するような言動もとっていることは、ここまでの項目の内容を読んでいただければわかると思う。

Y: Yoon

1976年生まれの韓国系アメリカ人ジュエリーデザイナー。本名Yoon Ahn。2008年に、配偶者である日本人MCのVerbalと共にアントニオ マーフィー & アストロのセカンドラインとしてスタートさせたジュエリーブランド、Ambushは著名人やアーティストからの支持を集め、Lady GagaやRihanna、Rita Ora、Soranj、Odd Futureらが着用している。2023年時点では、東京を拠点に活動している。
Yeは「ASAP RockyがYoonと不貞関係にある」と訴えたことがあったが、直後にYoon本人により否定され誰の相手にもされなかった。この一件は他項で紹介したVirgil Abloh事件と間を開けずに起きており、俄かにYeの虚言妄言癖が頂点に達していた時期といえる。

Z: Zoolander

Yeは2016年のBen Stiller監督映画 "Zoolander 2"に出演した。同作にはJustin Bieber、Usher、ASAP Rockyらミュージシャンをはじめとして多数の著名人がカメオ出演しており、その中でYeはあまりにチョイ役だったためあまり世間の耳目は集めなかった。しかしながらYe本人はZoolanderフランチャイズにおけるWill Ferrellの大ファンであることを公言しており、ツイッター上では、「(Ferrellは)神の化身の領域に達した」などと同作を褒めたたえる連投を行い、自身が出演を楽しみにしていることを明らかにした。

おわりに

Yeは存命であり、彼の人生はビートを刻み続けている。本記事で並べた内容はあくまで、2023年3月時点で1人の歯牙無い音楽ファンが見ているYeの外延に過ぎない。ひとつひとつの項目を見ていけば、将来的にはYeを語るうえでの重要性が薄れてきたり、あるいは何か新しい出来事が起きて、より詳しく取り上げるほうが適当になることもあるだろう。
Yeは21世紀の大衆文化を語るうえで欠かせない、コンテンツとその制作者が身を置いているセレブリティカルチャーの間に生じるアンビヴァレンスを体現する存在でもある。彼が起こす騒動や政治的に正しくない発言の数々は、それ自体決して褒められたものではなく、彼が公人として、米国社会やよりグローバルな人々の連帯の中にある分断を深く、広くしているのは紛れもない事実だろう。しかしそれを踏まえても、私は彼が音楽家として送り出している作品群には手放しで称賛を送りたい。高速回転サンプルやオートチューンの仕様、チーム体制でのプロダクションスタイルなど、ポップミュージックの発展に対する貢献度も既に殿堂入りクラスだ。
我々はYeの音楽を聴くとき、その外側にある不祥事のノイズを同時に聴きとる。音楽そのものに加え、音楽家の人生で起きていることをここまで強く意識させる人物はYeを除けばあとはR. Kellyくらいだろう。便宜上外側と書いたが、既にしてノイズは音楽の内側にも存在している。しかしこれはBilly EilishだろうがThe Weekendだろうが、程度の差はあれ同じである。ソーシャルメディアが奇形的に発達した現代で音楽を鑑賞にあたり、どうしても回避できないアンビヴァレンスなのだ。大げさは承知だが、この動かしがたい大前提を我々に伝えているのが、Yeという奇才だと言うこともできよう。

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