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[読書の記録] 湯之上隆『日本型モノづくりの敗北』(2014-01-10読了)

湯之上隆『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)

 池田信夫が書評を書いていたりして、もともと気になっていた本だが、
さらに職場でも話題になっていたので読んだ。

 日本の製造業、特に半導体集積回路産業の課題について書かれた本である。
 ちょうど1年ほど前、自民党政権交代の直後、産業競争力強化法の名のもとに1兆円を投じて国内にある半導体の余剰生産設備を政府が買い取るという「バカなのか?」という政策が打ち出されたのは記憶に新しい。
 これはまぁ、個人的な印象だといかにも自民とぅ~なバラマキ施策なのだが、逆に言えばそれほどまでに今、日本の半導体産業の競争力は地に落ちている。

 本書は9章から構成される。

 第1章では著者のバックグラウンド紹介とともに日本の半導体産業の栄光と転落の歴史が概観される。
 著者は日立の半導体製造技術のエンジニア出身で、日本がDRAMの世界市場でヘゲモニーを誇っていた1987年に入社した。その後日本の半導体は転落の一途をたどり、筆者自身もITバブル崩壊後の大規模リストラに巻き込まれ、早期退職という形で技術者としてのキャリアを終える(今はコンサル兼ジャーナリストを生業としているもよう)。

 第2章は半導体の種類と製造工程の解説である。
 高性能な半導体を製造するうえで高度な要素技術(加工技術)が前提となるのは当然だが、実際の生産において高い歩留まり率を実現するためにはそれらの要素技術を効果的に組み合わせる「インテグレーション技術」や、精度を高く維持したまま大量生産を行う「量産技術」が必要になる。
 したがって、「日本が誇る高い技術力」などというときの、「技術」が指示する対象が必ずしも一枚岩でない。

 そして日本国内であっても、メーカーごとに得意な種類の技術はそれぞれ異なることが第3章で明らかにされる。
 日立とNECの合弁により誕生したDRAMメーカー、エルピーダメモリは、2009年に産業再生法の適用を受け、2012年に経営破たんした。
(注1:DRAM・・・PCなどで、主記憶装置であるHDDから一時的にOS情報を読み取り、起動させるための半導体メモリ)
 それはエルピーダを合弁により誕生させたNECと日立の技術文化の違いにひとつの原因があると著者は見る。
 日立は新技術開発力が高く、一点突破に優れているが、歩留まりを向上させる技術力は高くない。
 一方NECは、均一性を病的なまでに重視し、技術を細分化する。その結果、高い歩留まりを実現する技術力は高いが、品質至上主義的な工程フローを構築してしまうため低コストでつくる技術力は高くない。
 そのようななか三菱は、最先端技術を開発する技術力は低いが、少ない人数で効率的にインテグレーションを行い、上記2社よりも低コストでDRAMをつくる技術力に優れていた。
 PCの普及でDRAMの低価格化ニーズが進行する中、エルピーダメモリにとっても製造原価を抑えて利益率を向上させることが至上命題だったのだが・・・
 新技術開発ができないことに不満を覚えた日立社員の多くはエルピーダを去り、結果NEC流のコテコテの工程フローを構築してしまったエルピーダは、低コストでのDRAM生産をすることができず、倒産することになった。
第4章では、そんなエルピーダと対照的に世界を席巻するモンスター家電メーカー、サムスン電子についても解説されている。
 サムスン電子には、開発と量産の一体化、4世代同時開発、既存装置を使いこなす高度な技術、歩留まり向上を重視しつつも不必要な高歩留まりは目指さない、という特徴がある。つまり、DRAMを短期かつ低コストで製造する技術力を向上させてきている。
 さらに精鋭マーケッター部隊が世界中に展開して情報収集し、しかもその情報は即断即決で経営戦略に反映されているという。

 DRAMから撤退した日本は、メディアにあおられてブームになったSOCにいっせいに飛びついた。
(注2:スマホやタブレット端末などで、主記憶装置、メモリなど含めてワンチップ化されたプロセッサ)

 しかしそこに確たる戦略はなかった。なにより自己決定能力を欠いており、皆で一緒に護送船団方式でSOCに鞍替えした経緯とその後の顛末が、第5章では記述される。
 SOCで日本半導体を復権させるために、政府主導でコンソーシアムや国家プロジェクトを次から次へと立ち上げることにより、プロセス技術力の強化を図ろうとした。この背景には、日本のプロセス技術力への過信があったと筆者は分析している。
 しかし仮に、コンソーシアムや国プロでプロセス技術力が強化されたとしても、いわばニッチの集合体であるSOCにとっては的外れだった。メモリの発想だったのだ。
 ニッチの集合体のSOCに真に必要とされたのは、プロセス技術力よりもまずもって、どこの国のどんな産業の誰がどのような半導体を必要としている/必要とするようになるかを探るマーケティングだった。
 次にシステム設計力である。SOCの付加価値はチップ上で動くシステム、要はソフトウェアである。

 トヨタやデンソーから呼称ゼロのマイコンを要求されていたルネサスエレクトロニクスが注力したのも、壊れない高品質の追求であり、そのプロセス技術力の強化だった。しかしマイコンもSOC同様、付加価値を持たなかった。

 結局日本の半導体産業は、30年以上j前にメインフレーム用の壊れないDRAMによって構築された技術文化から何一つ変わっておらず、当時の強烈な成功体験からくる「ジャパンアズナンバーワン」の過信がバリアとなって、自身は一切変化しようとしないのが問題だと筆者は指摘する。
日本半導体は、上位発注者から言われた通りに、ひたすら高品質につくることだけに注力し、利益が出ず、壊滅状態に陥ったのだ。
 これは、旧帝国海軍の言うとおりに、どうでもいいマイナーチェンジを繰り返しているうちに米国戦闘機に追い越されてしまった零戦と重なる。

 半導体産業だけでなく、テレビ産業もまた高品質病から抜け出すことができなかった典型例であることが、第6章で指摘される。
 日本テレビ産業壊滅の背景には、技術者のエゴ(高画質厨)、イノベーションの誤認識、グローバル展開の不備、マーケティング不足があった。しかし何にも増して決定的だったのは、デジタルテレビのコモディティ化に対応できなかったことにある。
 たとえば液晶パネルは、液晶、配向膜、カラーフィルタ、透明導電膜、ガラス、偏光板、薄膜トランジスタ(TFT)アレイ、バックライト、ドライバーICというモジュールから構成される。
 これらのうち、TFTアレイ以外は、すべて購入可能らしい。しかもそのほとんどが日本の材料メーカーによる独占的シェア状態らしい。

 したがって、いくらシャープが液晶パネルの一貫生産を「完全ブラックボックス化」しても、韓国や台湾のメーカーがあっという間にキャッチアップし(人を通じた技術流出)、追い抜いて行ってしまう。
 サムスンは、このような液晶テレビの模倣容易性を理解していたからこそ、他社との比較優位性を持たせるために、上述したような徹底したマーケティングを行っていた。

 第7章は、太平洋をはさんだ米国の雄インテルもまたが直面する危機についてである。
 インテルはこれまで、「ウィンテル連合」という参入障壁を築き上げて殿様商売をしてきた。価格支配権を持ち、DRAMが1個100円になろうとも、PC用プロセッサを1個2万円で販売し続けてきた。
 念願のスマホ用プロセッサのファンドリーに参入したは良いが、その先には1個1000円の世界で、先駆者のファンドリーメーカーたちと血みどろのコスト競争が待っていた。
(注3:ファンドリー・・・半導体製造のみを専門に行うビジネス)

 本気でファンドリーに参入するなら、台湾のTSMCのように、ファブレス、IPベンダ、EDAツールベンダ、アセンブリメーカー、EMS等とエコシステムを構築し、廉価の半導体でも高い営業利益率をたたき出せる仕組みを作っておく必要がある。
 そんなTSMCにとっても脅威は存在する。またしてもサムスンである。
2006年ころから台頭し始めた台湾のDRAMや液晶パネルに危機感を覚えたサムスンは、多数の幹部を台湾に派遣して徹底的に研究し、台湾のIT産業を順番に潰していく「台湾滅亡計画」なるものを作成したらしい。
 サムスンから狙い撃ちされたHTCが急速にシェアを落としたり、シャープと鴻海の連合を妨害したり等、、、確かにそんなこともあった。
そしてこの計画の柱のひとつがファンドリーらしい。数年前からファンドリーに注力したサムスンはまず世界第2位だったUMCを標的にし、4位に追い落とした。最終攻撃目標が、TSMCのもよう。。

 ではこうした日本の半導体産業に救いの道はあるのか。第8章ではその可能性が模索される。
 日本は過去に、製造技術に競争力の源泉があり、摺合せ技術、および持続的技術が必要な分野で成功してきた。
 それは例えば高度成長期の繊維産業や鉄鋼業であり、90年代以降の自動車産業であり、半導体産業においては、1980~1990年代のDRAMと現在のNANDフラッシュメモリである。
 また、洗浄・乾燥、コータ・デベロッパ、CMPなど、液体材料を使う半導体製造技術に、日本は特徴的に強いらしい。
 常に変化する世界の中で新市場を見つけだし、これら日本が強い技術力を発揮してイノベーションを創出することができれば、日本のものづくりは再起できると筆者は述べる。

 ではその新市場はどこにあるのか?
 第9章で筆者はオーデット・シェンカー著『コピーキャット』を引用し、「創造的模倣」の重要性を指摘する。
 日本はそもそも創造的模倣に優れた民族であり、クルマ、家電、半導体産業は、WW2後に米国をお手本としてジャパン・アズ・ナンバーワンに至った好例である。そのプロセスでは、日本は小さく、安く、そして高品質な製品を作り出し、先行者であった米国も凌駕した。
 シェンカー氏によれば、模倣は稀少で複雑な戦略能力であり、イノベーション創出に不可欠な要素である。日本半導体および電機産業は、一度捨て去ってしまった模倣能力を、いまいちどよみがえらせることが、再生への近道なのではないかと提案されている。

 筆者は、イノベーションとは技術革新ではなく、爆発的に普及した技術や製品であると述べる。しかし新しい市場の発見と開拓はおいそれとできるものではない。
 ここで筆者は三宅秀道氏『新しい市場のつくりかた』を引いてくる。三宅氏によれば、どんな技術も商品も誰かの幸せの役に立たなければならない。だから新市場を創造するためにはその幸せがイメージできなければならない。これを「問題の発明」と呼ぶ。
 発見ではなく発明であることがミソである。それまでになかった価値を創造するのである。例としてはウォシュレットがあげられている。

 問題を発明するためには、経営者や技術者が海外に駐在し、潜在ニーズの発見に努めるべきだと筆者は提案する。このやり方はまさにサムスンの”模倣”なわけだが。
 そして問題を発明した後は、既存製品のローカリゼーションや創造的模倣が重要なのだと言って締めくくっている。

以上は要約。
以降が私の感想。

 われわれはついつい商品やサービスの価値は一意に定まると思いがちだが、商品やサービスの価値というものは人間の主観的な効用によって決まるので、経済学の一物一価の規範は実は当てはまらない。
 フェラーリenzoとカローラがあったとして、普通はenzoのほうが価値が高いと思いがちだが、マニュアル車を運転できない女子大生にとっては無用の長物だ。
 同様に、速く手軽に食事をしたいサラリーマンにとっては松屋の牛丼のほうがロオジエのフルコースより価値がある。
 マーケティングの考え方の基本みたいな話だが、こういう目線がなかったからこそ日本の半導体メーカーはオーバースペクの製品ばかり作って韓国や台湾に惨敗した。
 まさにクリステンセンのイノベーションのジレンマを地で行ってしまったということだ。
 まあ、どこかできいたことのある話のような気もするが、最近の日本の製造業のイケテナサは、生産のオフショア化についていけてなくて製造コストが高い話に何かと回収されがちでもあるので、実は製造工程が複雑すぎて規模の経済が働きにくいという半導体業界の事例は面白かった。
 また、日立やエルピーダに実際にいたことがある筆者だけに、ディテールは非常に興味深い。特にNECと日立の技術文化の違いの暴露は元インサイダーならではだ。
 結局少数精鋭の多能工中心でやっている三菱のようなところが、これからは強いのかもしれない。
 特にこれからは、エコノミスト誌などで第三次産業革命期などという言葉も登場し、生産のインバウンド回帰が進むとも言われていますし。よりマーケットの変化に寄り添うことが重要になる。

 そういう意味で女性誌って最強なんだよな。
 コンテンツのパーツひとつひとつは陳腐化しきっているんだけど、既存のものを組み合わせるだけで価値を創造している。まさにシュンペーター的な意味でのイノベーション。
 しかも顧客のセグメントがものすごく細かいので、変化への対応がきわめてクイックである。もちろん変化への追従だけでなく、「新市場の創造」にも長けていると思うし。
 女性誌からは、マーケティング的に学ぶところがたくさんあると思う。

 では、国はどうするのか?
 サムスンの徹底したマーケティングと、調査結果のフィードバックから打ち手の決定までのスピードが繰り返しこの本でも書かれているけども、それはやはり民間企業だからできることである。やっぱり社会にインパクトがあるくらいの規模の政策を国が打つためには、事前に波及効果を予測しておかなければならない。
 経済学はひとりひとりの価値の効用が違うことを読み込んでいるが、分布はありつつ、期待値は一意に定まることが前提だ。

 ただ、先に述べたように、一次同次的な関係が成り立たないところでこそ、イノベーションは起きる。
 エージェント個々の効用に分散があることを前提としてモデルを組むと、簡単に複雑系と呼べるレベルの話になるのではないか。そうすると、大規模な打ち手を出せるほどの精度で、産業政策のイノベーションへの波及効果を実証するのは、極めて難しいんじゃないかと思えてくる。

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