コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(27)

前回の記事で高校時代に塾に対して批判的な意見を持っていたことを書きました。
高校時代、あんなに塾のことを毛嫌いしていたにもかかわらず、大学1年生の時から現在まで学習塾にかかわり続けています。
この記事では、6年間塾講師として働いた経験をもとに形成された、教育業界に対する考えを書こうと思います。

嫌いだった塾でバイトを始める

以前の記事にも書きましたが、私が学習塾講師のアルバイトを始めたきっかけは、できることがこれしか思いつかなかったからです。コミュ障なため接客は向いていませんし、体力もないため引っ越し等の肉体労働もやりたくありません。
加えて手先が不器用で、運転免許も持っていない自分にできるバイトは塾講師しか思い当たりませんでした。

高校時代塾を嫌っていた理由

ここで、高校時代毛嫌いしていた理由についておさらいします。

1.偏差値至上主義への疑問
2.格差の拡大
3.社会システムへの疑問

1.偏差値至上主義

まず確認しておきますが、偏差値とは平均からどの程度乖離しているかを表す数値です。その点数を取るのがどのくらい難しいことなのかを表します。平均点を取っていれば必ず50になり、偏差値60で上位約16%、偏差値70で上位約2%となります。

高校時代、子供の能力を偏差値で測るのはおかしいと思っていました。
勉強が得意な人もいればスポーツや芸術が得意な人もいるため、偏差値教育を押し付けるのはいかがなものかと考えたのです。

今思えば、この意見には同意できません。
塾に通うのは生徒(保護者)の自由なのだから偏差値で戦いたい人は塾に通い、野球で戦いたいなら部活やシニアチームに入ればよいのです。

運動部やスポーツクラブ、ピアノといった習い事と同様に塾も習い事の一つであり、学力で勝負したい子供が通う場所だと考えれば、塾の存在が偏差値至上主義をもたらしているという批判は的外れであると言えます。

2.格差の拡大

この点に関しては、現在でも意見は変わりません。普段から月数万円、季節講習になると十万円以上かかる場合もあるため、家計に余裕のない人は通いづらいでしょう。

大学生の時、塾のバイトだけではなく週1程度で学習ボランティアもしていたため、裕福な家庭相手には給料をいただいて、余裕のない家庭には無償でサービスを提供している自分は格差是正に貢献しているとうぬぼれていた時期もありました。

格差の部分に関して自己責任を唱える人もいますが、仮に自己責任論を受け入れるとしてもそれは親の責任であり、子供の責任ではないと思います。そのため、親の経済格差が子供の教育や娯楽レベルに直結するのは今でもおかしいと考えています。

3.社会システムへの疑問

かつて、受験を勝ち抜いた人が優秀な人材であるとは限らないと考えていました。確かに、ペーパーテストで点数を取ることはできても仕事をこなせない人はいるかもしれません。

しかし、ペーパーテストで高得点を取れることと仕事を処理する能力には多少なりとも相関関係があると思います。そのため、ペーパー試験やウェブ試験を採用活動の評価基準にすることも一理あるでしょう。

受験という目標に向けて計画を立て、それを遂行する能力は社会に出たときにも生かされる能力だと思います。仮にテストで習った内容が社会に全く役に立たない内容だとしても、点数を上げるために頑張ったプロセスこそ価値のあるものでしょう。

営利企業としてのあるべき姿

上記に加えて、塾は金儲けに走っているというイメージも持っていましたが、塾は民間企業なのですから利潤を追求して当たり前です。企業というものは、素晴らしい人材を輩出したいという崇高な志で運営できるものではありません。

ただし、利潤を目的とするのはおかしいと思います。生徒や保護者のために行ったサービスの対価としてお金を受け取り、質の高いサービスを提供した結果として生徒が増え売り上げが上がっていくというのが塾のあるべき姿だと考えています。

利益は目的にするべからず

利益は目的ではなく手段であると考えます。質の高いサービスを提供し続けるためには当然資金が必要となります。
質の高いサービスを提供し、その結果として利益を伸ばすことで塾にかかわる多くの人が幸せになる。そんな教室にしていきたいと考えています。

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