何もやっていない時間はない
先週書いた記事の最後の部分です。
強調したいのは都市伝説風に締めた最後の部分ではありません。関さんは好きです。
そもそも、何もやっていない時間はないんです。
ある日の記録です。
この日は仕事が休みだったので、朝やるべき家事がをこなしているのが分かります。
子どもたちの朝食などを準備し、ゴミを集めたりした後にたすくまを眺め、その日のやることなどを確認します。
そこから朝食をすぐに食べれば良いのですが、「だらだらしていた 気づいたら」をやっています。
文字通り気づいたら"だらだらしていた"わけです。
これは何もしていなかったわけではありません。"だらだらしていた"んです。
それって何もしていなかったのと同じじゃないの?と思われる方がいるかもしれません。
この時の記録(メモ)を見てみると、ご飯何食べようかなーと考えてたら、以前美味しそうで簡単そうな朝食のレシピがあったので、それを見てたらネットサーフィンしてしまっていたという感じでした。
それを僕は"だらだらしていた"と感じ、"だらだらしていた"と記録します。
タスクシュートを始める前の僕であれば、何もやっていなかったと捉えていたと思います。
この何もやっていなかったというのは、「何も生み出さなかった」と言い直しても良いかもしれません。
でもその「何も生み出さなかった」って本当ですか?
そしてこの"だらだらしていた"時間を何もやっていなかったことにすると、おそらく次に考えるのは「この時間に何か出来たんじゃないか?」ということです。
果たしてそう考えることは良いことなのでしょうか?
僕自身はそう考えなくなってすごく楽に生きられるようになりました。
何もやっていない時間はない。ただそれだけの当たり前の話なんですけどね。
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