母が事故に遭った話。
それは、私が実家から脱退した後、つまり、絶縁後に起こった。
母が事故に遭ったのだ。
ある夜、その時家族の中で唯一連絡をとっていた兄からLINEが入った。
「お母さんが事故に遭った」
聞くと、どこかから転落したらしい。
“転落”ーーーと聞いて、私はすぐに“自殺”を思い浮かべた。
「私のせいで、私が絶縁したせいでお母さんが死んだらどうしよう」
縁を切っていても、連絡を絶っていても、反射的にそんな言葉が頭を巡った。
流石に気分が悪くなり、育児を夫に任せた。家事は終わっていたし、夫のいる時間で本当に良かった。
絶縁から時間は経っていたが、私を襲ったのは「罪悪感」だった。
元々、絶縁直後はものすごい罪悪感に苛まれていたのだが、それも時と共に薄れ、洗脳されていたが故の感情だったのだと理解した。
それなのに、今、母の事故を聞いて、しかも“転落した”と聞いて、私の心は罪悪感でいっぱいだった。
それならどうすれば良かったのか。そんなの分からない。それでも、私は母に死んでほしくないし、ましてや自殺して欲しくなんてないのだ。
幸い、兄からの次の連絡では情報が更新され、自ら転落した訳ではない事が分かった。文字通り「事故」であったと。その言葉に胸を撫で下ろす一方で、悪い知らせもあった。
どうやら、母は今、生死を彷徨っているらしい。
普通の親子関係なら、この連絡を受けたらすぐにでも、車や電車に飛び乗って会いに行くのだろう、と思った。しかし、私は、この期に及んで足がすくんでしまっていた。
「会いに行くべきか、否か」
私には答えが分からなかった。
元来私は、自分の気持ちが分かり易い方で、好きとか嫌いとか、良いとか嫌だとかがはっきりしている方であった。なので、夫から「自分の気持ちが分からない」と聞いた時は、そんな人もいるのかと心底驚いたものだ。
しかし、絶縁して、母が事故に遭って初めて、私は自分の気持ちが全く分からないという状態に陥った。会いにいきたいのか、行きたくないのか、全く分からない。こんなのは、初めてだった。
今でこそ、淡々と語れるようになったが、当時は本当に気分が落ち込んでしまい、目の前のことにも手がつかず、常に心ここにあらずであった。
兄は、私が絶縁したのを知って、シンプルな情報だけ送ってくれた。しかし、心がざわついている私は、連絡が遅いと感じてしまっていた。
結局、私は会いに行かなかった。
というより、思考能力が大幅に低下しており、日常を続けるので精一杯だった。落ち込んでいても、子どもの世話はしなければいけないし、ご飯も作らないといけない。頭が母に支配されたまま、私はロボットのように自動運転していた。
夫には、「命に関わるようだったら、会いに行ったほうが後悔しないんじゃない?」と言われた。
それはそうだ、と私は思った。でも、会いに行くということは、父親にも会うということだ。そして、絶対に会わせたくなかった孫を見せることにもなる。
顔を合わせれば、私はまた父の言うことを聞いてしまうだろう。かわいそうな母の面倒を見てしまうだろう。そして、いつの間にかまた、実家に取り込まれるのが恐怖だった。せっかく、ここまで頑張ってやっと離れられたのに、元の木阿弥に戻ってしまうのか?
それは、子どものためになるのだろうか?
「親に会っても、言う事を聞かなければいいじゃない」と言われるだろう。私もそう思う。でも、長い間、しかも幼い頃からずっと洗脳されていると、身体が勝手に動いてしまうのだ。
そして最悪なことに、同じことを子どもに求めてしまうかもしれない。それだけは、私と同じ思いをさせることだけは、絶対に避けたかった。
だから、私は会いに行けなかった。私と母、1対1なら会いに行けたかもしれない。でも、現実には家族の日常は続いているし、夫も仕事は休めない。一人では何もできない父は母に張り付いているだろう。家は…きっとめちゃくちゃだ。
そんなのを目にして、果たして何もせず帰れるだろうか?そう考えた時、「私はまだ弱いのだ」と感じた。
「実家」という名の殻を破って出てきたものの、まだまだひよっこで、羽が乾き切っていない。皮膚も柔らか過ぎて、外敵に見つかればあっという間に食べられてしまうだろう。
離れているから、顔を合わせないから、強くいられるのだと知った。情けないが、今はそれでいい、とも思った。
私は、「私の家族」を守りたい。その為には、私が強くあらねばならない。決して、強者に屈して子どもにさせたくないことをさせてはならない。私はもう、父に会ってはいけないのだ。
結果的に、手術が成功し、母は元の生活に戻れるくらいになった。多少支障はあるらしいが、あの父親が家事をかって出るとは思えない。きっと不自由になった母が、以前と変わらず甲斐甲斐しく父の世話を焼いているのだろう。
それを想像して、また少しイライラしたが、すぐに私には関係のないことだと思えるようになった。私は情けなく、まだまだ弱いけど、それでも少しずつ強くなっていくのだ。これからも。
今回はこの辺で。
おやすみなさい。また、あした。
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