言葉は平気でウソをつく
「わからない。こういうの全然わからないんです」
その人は言った。便宜上,えいさん(仮名)とする。
本来,出張サービスはしないのに「対面じゃないとわからないんです」と押し切られて,えいさんの指定した場所へ行った。
今,考えてみれば,最初からオカシナ感じだった。
「困っていることなんてありません」
お試しセッションで,主訴(今,自分が困っていることなど)を聞いた時,えいさんは強くそう言い切った。
「何かお困りだからわたしのセッションを申し込まれたのですよね?問題がなかったら,ご自分からお申込みされないです。選ばれたのはえいさんですよね?何か気になっていることはありますか」
えいさんは,困ったような顔をした。
「じゃあ,少しずつ,えいさんのこれまでの経緯とかお聞きしていいですか」
わたしはインテークという,カウンセリングの受理面接を始めた。
細かく順を追って,必要なことだけを聞いていくが,えいさんは黙ってしまうことが多かった。
そこへわたしの携帯が鳴った。
えいさんに許可を得て電話に出たところ,学童の先生からで,子どもが熱を出したから迎えに来てほしいというものだった。
あと少しでインテークが終わりそうだったので,そこで,ある手法を使って,からだの声を聴くことにしたのだけど,えいさんはそこで冒頭のように困ってしまったのだった。
それでもアセスメント(心理査定)できたし,さて帰ろうかとすると,今度は一向にえいさんの話が終わらない。
いつお暇を切り出そうかとすると気をもんでいた。
こういう時,普通は相手の事情というか相手の顔色を読んで,状況を察するものだが,えいさんにはここらへんの《空気を読む力》がガッツリ抜けていた。
つまり,相手の立場や場の雰囲気を察する,いわば言葉ではない非言語コミュニケーションの力が弱いのだ。
えいさんの行動,言葉の端々から,その傾向はみてとれた。
言葉を変えれば,相手の立場に立つ視点がごっそり抜けている。
これでは,人と関わる仕事で苦労するはずだし,家庭内でも問題が起こっていた。
とりあえず,その日のやるべきことを終えて,お暇を告げた。
後日,アセスメントの結果を報告しようと,連絡した。
「あのようなものでわたしの何がわかるんですか。雑談ばかりでわたしは何がなんだかさっぱりわからなくて苦痛でした」
「そのようにお感じになられたのですね。アセスメントというのは,科学的データに基づいて分析するもので,このアセスメントは診療報酬でも加点されている信頼性の高いものです」
「えいさんは,雑談と感じられたのですね。でもわたしが興味本位でおたずねしている雑談ではなくて,全部必要な然るべきものです」
「わたしは権威とか,データとか,そういうことを聞いているんじゃありません!」
と,今度はこちらをえらい剣幕で攻撃してきた。
そ,そんなことを言われても,心理学は心を数量的に科学する再現性の高いものだから,再現性と信頼性が高いとされているんだけどなぁ。
えいさんとの一連のやりとりから,うすうすとわたしは,気が付いていた。
ああ,この方は,ボディイメージ(身体イメージ)の認知がとても苦手だけど,大人になるまで上手く見逃されてきた発達デコボコの方なのだと。
あぁ,子どもの頃に発達相談だったり,医療で気付かれていたら,こんなにこじらせることはなかっただろうし,サポートも受けられたのになぁ。
そして,わたしとのやりとりは《トリガー(引き金)》に過ぎなくて,過去のトラウマ(心的外傷)的なやり取りを刺激されちゃって,闘うか逃げるか,凍り付くかの神経回路のパターンに陥っているに過ぎないんだと。
このように自律神経系の働きから説明するのが「ポリヴェーガル理論(多重神経系迷走理論)」だ。
とはいえ,相手はそんな理論は一切知らないし,心理士のような専門家でさえ知らない新しい理論だから,一度,導火線に火が付いたら止まらない。
ああ,まさにこれぞ,発達性トラウマ。
18歳までの間に神経系の土台をがっつり作ることが叶わなかった未完了の記憶が同時発火して燃えている。
こんな時は何を相手に何を言っても,聞こえない。
子どもが泣き始めたら,何を言っても反応しないで泣きじゃくるのも同じで,神経系が耐えられないからシャットダウンして,《生き残る》ことだけを優先する。
子どもの神経系は大人と違って,同時にいくつものことを処理できないから,簡単にフリーズする。
そしてゆっくりと時間をかけて丁寧に18歳までに人と関わることで育てられていく。
これらの神経系の育ちは,アタッチメントといって人生の土台とリンクする。
だから,温かなふれあい,愛されていることが希薄だったとしたら,また,途中で《母性的養育のはく奪》が起こったら,未熟なままだし,自分1人では育てられない。
人との関わりでしか,獲得できない。
だから,《自分は何に困っているかがわかる》という《内受容感覚》(五感)あるいは《外受容感覚》(外からの情報刺激)に気づけることって,とても高度な心の働きなのだ。
そして何より,子育てで大事なことは「安心して見守られながらこれらの感覚を育むプロセスをサポートする」ことに他ならない。
えいさんには,その感覚に気づいて欲しかったけれど,残念ながらわたしにはそれを説明する機会も与えられなかったし,「I’m ok,your OK」の関係性を互いに築くまで「待つ」体力はなかった。
セラピストであっても,攻撃的な人からは自分を守ることを優先する。
お互いの安全性が守られてこそ,セラピーの場は成立するから。
※お断り:えいさんは,個別のモデルが存在するのではなく,いくつかのエピソードを改変して《創作》したフィクションです。
とここまで書いて,学童に子どもを迎えに行ったら,神経発達症のうちの子どもがわたしの心を一瞬で打ちのめすことをしでかしていた…。嗚呼。
女40代からの夏ストレス混みあっております…。
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