きゃろ19歳
これまでの自分の人生を振り返るといろいろな記憶が蘇ってきました。
今回は、19歳の頃のぼくを思い出せる範囲で書きたいと思います。
『予備校三ヶ月で挫折』
特になりたい職業や目標もなく、なんとなく通い始めた予備校。三ヶ月がたったある日、友人が訪ねてきました。
17万円入った給料袋を差し出し、『おれの初任給、最高!一緒に働こう!』
翌日面接~翌々日から就職!こうして僕の予備校生活は幕を閉じました。友人に感謝です😊
『不眠豪遊~事故』
エレベーター取付会社に就職したのですが、毎晩不眠で遊びまくりそのまま出勤しました。
結果、ろくに仕事も手につかず状態。そんなある朝のバイク出勤時、居眠り運転→右折途中の対向車と正面衝突!
気づけば総合病院のICUにいました。外には会社の社長夫婦が来てくださっていました
『自業自得』
その時の社長夫妻の会話が聞こえてきました。
「あなた、どうするつもり?このまま働かせるの?」
「長期間働けないならやめてもらうしかないな」
当時ぼくは車を購入したばかりで、ローン返済が始まる矢先での出来事でした。
この一連の流れで事の重大さに気づきました。まさに自業自得です
『退院』
精密検査の結果、一週間は念のため自宅療養と言われていたのですが、社長夫妻の会話を聞いていたので翌日から出勤しました。
「大丈夫か?」との社長の問いに対して『平気です、頑張ります!』と空元気で答えてとりあえずその場はクビは免れました。その場はですが…
『退職』
改心して一時は真面目に働き始めますが、結局夜遊びはやめられず最後は自分から退職したい旨を伝えて、人生初の会社員生活は半年で終了しました。
その後、夜遊びで行きつけだったフードショップでバイトをしつつ、バイト→夜遊び→昼間仮眠→バイトという生活を三ヶ月続けました。
『二度目のバイク事故』
毎日つるんでいた仲間内で、『人生一度切りだし、上京しよう!』ということになり、職業安定所で季節労働の募集に応募して全員採用されました。
そして出発を二日後に控えた早朝、僕は夜通し遊んだ後、借りていたバイクを返す途中、再び居眠り運転をして事故をおこしました。
『学習しない男』
平日の朝九時、大勢の出勤途中の人がバスを待つバス停の目の前での追突事故です。
倒れている僕に『救急車呼ぼうね』と声をかけてくれますが、事を大きくしたくない僕は『大丈夫です、ありがとうございます』と言って起き上がろうとしますが、下半身に感覚が全くありません。
『一月五日再入院』
結局救急車を呼んでもらい、救急隊員の方に状況を説明しながら再び総合病院へ。
前回は脳震とうのみだったのですが、今回は左膝の複雑骨折です。
この時点で一ヶ月の入院が決定しました。そして、その日は一月五日。実家では何も知らない家族がぼくの帰りを待っていました。
『家族全員集合、そして…』
ぼくの事故の一報を聞いた家族全員が病院に駆けつけました。
「慰めてもらえる」というぼくの期待も虚しく「バカかお前は!」「迷惑ばっかりかけて楽しいか?」「二度とバイクには乗るな!」等、その当時はヒドイ!と思いましたが、みんな至極当然な説教をしてくれました。
『後悔』
その後友人も駆けつけてくれましたが、全員に説教されました。
みんな僕のことを本気で心配してくれていたんだと今ではハッキリわかります。
そして、せっかく決まっていた季節労働も僕だけキャンセルになりました。後日談ですが、ロッカーには僕のネームもきちんと貼られていたそうです。
この時19歳の春でした。
続く
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