_表紙_ジャムおじさんを殺したい

百歩蛇(ひゃっぽだ)『ジャムおじさんを殺したい』①

 熱帯の夜空に、九官鳥が三羽飛んでいない。そんな光景を見たことがない。僕は目殺をするために、日本の東北地方のとある民家の窓辺で双眼鏡を覗いていた。そしたら茶雌が現れたから僕は目殺しようと思った。茶雌をじっと睨み、頭の中からショットガンを取り出す。このショットガンは今まで数々の命を木端微塵にしてきた。しかし、このショットガンを手にした者は全員銃口を口に咥え、足の指で引き金を引き、自らの頭をぶち抜いているという。正にいわくつきのショットガンだ。だが、僕はそんな馬鹿な奴らとは違う。僕が死んだらこの世界はどうなることか、僕以外の人間はあまりに知らなさ過ぎる。さて、茶雌の様子を見ると、間抜けな面をしてイヤホンで音楽を聴きながら歩いている。自分だけの世界に浸っている顔をしている。これは危険だ。僕はショットガンを茶雌に向けた。茶雌はここから七メートル離れたところを歩いているけど、油断は禁物だ。慎重に標準を合わせる。風が吹いて茶雌の痛んだ髪がなびいた瞬間、僕は引き金を引いた。ド、という音と共に茶雌の頭蓋の右側はこそぎ取られ、辺りに散った。まだ何が起きたのか理解できないでいる茶雌はぬちぬちと血液を噴出させながらiPodの操作に夢中だ。目殺は成功。僕は玄関を出て、歩道に散らばっている茶雌の血肉を回収した。茶雌はえぐられた頭を気にも留めず、すたすたと歩みを止めることなく住宅街へと消えていった。赤黒い血痕が真っ直ぐアスファルトの上に伸びていた。僕は家に戻ると、茶雌の血肉を煮込んでシチューを作った。もちろん妻に食べさせるために。

 県道を外れ、山道に入る。そこには僕の目殺した魚たちが一斉に浮かんでいる貯水池があり、アオミドロのにおいがする。風が吹くと、枯葉と共に腐乱臭が舞い上がり、夏の終わりが近づいているのが分かった。ここにはたくさんの死骸が埋まっていることを僕だけが知っている。これから妻に会うことでどれほどの罪が浄化されるのか、楽しみで仕方がない。僕はクーラーボックスに入った食べ物を取り出して、優しく撫でた。

 道に迷ってしまった。何度も何度も来ている場所なのに。獣道のような処を歩く。途中虎が喉を噛み切ろうと向かって来たが、王水を体内に溜め込んでいる僕に噛みついた瞬間、虎は牙や口の周りが溶けて二度と狩りの出来ない身体になってしまった。僕は喉の噛み傷から王水を垂らし、あらゆるものを溶かしながら上へ上へと登っていく。じきに傷口は塞がった。

 午後二時きっかりに妻のいる病院に着いた。また近隣住民を目殺してしまったが、いずれその罪は償うつもりでいる。白い病棟の壁には枯葉をつけた樹木の陰がはっきりと揺れていた。

 四階の妻のいる病室に向かう。薬品のにおいが鼻孔をつく。銀色の取っ手のついた引き戸を開けると、妻はなだらかな光を浴びて、ベットの上に身体を起こしていた。僕は妻を見ていて、妻も僕の姿が分かるとササッと揺れるように笑った。それはきっと美しい光景に違いなかった。

 きょろきょろと廊下を見回して病室に鍵を掛けた。僕は妻を裸にして、身体を拭いた。浅黒く隆起した傷口。ケロイド状になった皮膚。扁平になった胸部。その全てを拭いていく。

足を洗っている時に

「おなかが減った」

と妻が言ったので、足は湯に浸しておくことにして、僕はカセットコンロでシチューを加熱して待った。だんだんと溶けていくシチューは食欲をそそるにおいをふりまいて、なんだかそれが嬉しかった。充分に火が通ったところで、妻にシチューをよそった。妻は小さな口を開けて少しだけ食べた。

「美味しい」

大きな目が少し輝いた。僕はその言葉を忘れないように脳味噌をぎゅっと縮込ませて、妻の肉声を閉じ込めた。

 それから二言三言会話をして病室を出た。帰り道に色々と妻の言った言葉を思い出してはにやけた。今度は迷うことなく家まで着いた。

 今まで妻を殺してきたのは二人だけにしか分からないような心理というか、別に妻を憎んで殺してきたわけではない。料理の最中に包丁で手を切ってしまったとか、そのような日常に溢れているどうしようもない生の部分と言おうか。お互いより良く生きるために、ただそれだけのために僕は妻を殺してきたのだ。

 でも世間にそれが理解されることは一度として無く、僕は妻を殺す度に警察官に取り押さえられて、痛い思いをする。留置所の床は冷たいし、取り調べも辛い。しかし、裁判にあたって精神鑑定をすると

「責任能力がない」

と言われ、しばらくすると釈放され、精神保健福祉士という公務員に社会復帰についてごちゃごちゃ言われる。それを繰り返してきた。

 妻は僕の必死の祈りと現代医学の粋を結集したお陰で何度となく生き返った。その度に僕は嬉しくなって、妻を両腕でぎゅっと抱き締める。妻のもう体臭になってしまった消毒液のにおいが僕の涙に混じって床に落ちる。床は浄化され、そこから芽生えたたくさんの花々が僕たちを包む。いつもそんな光景を見ているような気がする。そうだ、妻には花が似合う。僕に似合うかどうかは分からないけど。

「僕に花って似合いますかね」

そんなことを誉田さんに言ったら、誉田さんは目尻を下げて

「生きてる内に花が似合う男なんていねえよ。

 似合う頃には死んじまってる」

と言った。

 綺麗な風景が見たいと思い、最寄駅から電車に乗った。赤い服を着た茶雄がいて、血を吐いたらいいなと思ったので、頭から殺鼠剤を混入させたミルクを取り出して渡そうと話しかけたら無視された。僕はセンチメンタルな気分になり、やがてうとうととして眠った。

 起きて車窓を見ると電車は鉄橋の上を走っていた。鉄橋の下には川が流れていて、中州には中学生と思われる発展途上雄が数人いた。彼らは互いを殴り、蹴り、やり場のない憎しみを四肢から伝達していた。もうすぐ暴風雨が来るのに、彼らは増水するであろう川の中央にいる。

「向こう見ずな奴らだ」

そう思った。車内に僕の降りる駅の名がアナウンスされた。

 国道沿いを歩いた。雨はポツポツと降り出して、やがて加速した。濡れていく髪の毛。上着。ズボン。サンダル。古傷に触れてしくしくとなる。やがて巨大なスーパーマーケットが見えてきた。ここは娯楽施設も充実していて、周辺住民の憩いの場になっているようだ。休日ということもあってか、駐車場はほぼ車で埋まっていた。一台一台のボンネットに耳をそばだてる。大きな雨粒が大量に落ちて、機関銃の悲鳴のような音がする。傘を持っていない人間が自分たちの車に向かって走ってゆく。なかなか車が見つからないらしく、不安そうな顔を浮かべてはうろうろとして濡れている。何だか戦場みたいだなと思い、またそれを綺麗だと思い、僕はびちゃびちゃのアスファルトに腰を下ろし、じんわりと尻が濡れていくのを感じていた。駐車場の隅で思うのは、やはり妻のことだった。

 「あたしの首をちょん切ってください」

妻が上がり框の上で泣いていた。よほど思い詰めていたのだろう。妻の首には無数の引っ掻き傷があり、さらに自分で首を切ろうとしたのか、剃刀の刃が横筋に食い込んでいた。

「早くしないといけない。そうでないと間に合わない」

妻は急いでいる様子で、頭を上がり框に擦りつけ、

「もう駄目え。早く早く。行きたい。もう駄目え」

と淫靡な悲鳴を上げた。妻がどこに行こうとしているのかは分からなかったが、苦しんでいるのは確かで、その苦痛を取り除いてやりたかった僕は、倉庫に眠っていた家宝の日本刀を持ち出してきて、妻の首めがけて振り下ろした。ガツンという手ごたえがあり、血飛沫がそこらじゅうに舞い上がったが、首の骨を切断することが出来ず、結果何度も刀を振り下ろし、最終的には出刃包丁のように刃に全体重を乗せ、ようやくボトリと妻の首は胴体から取れた。顔や腕は妻の血でべとつき、擦ると赤黒い垢のようなものが出た。

「苦しませてしまった」

という悔恨の念があり、妻の首を手にとってみた。目は閉じられ、口から少量の血を垂らしているが穏やかな表情に思えた。

「結構重たいのだな」

と思っていると、

「動くな!」

という怒声と共にピストルを構えた警察官が何人か入ってきて、乱暴に僕の身動きを封じた。妻の悲鳴を聞きつけた近所の住民が警察に通報したのだろう。九月のとても暑い日のことだった。

 誉田さんの車で精神科に行く。誉田さんは無地の黒いTシャツにジーパンを履いていた。もうすっかり秋の陽気だというのに、運転席の窓を全開にして誉田さんは煙草を吸っていた。薄くなった茶色い前髪が風にそよいでいる。僕は真っ青で高い空を見つめていたが、いつまでも空に焦点が合わず、気持ち悪くなって自分の爪を見た。左手の中指の爪の間に土が詰まっていた。ラジオからは知らない人間の声が笑っている。

 待合室でも無言だった。前のベンチに座っている黒雌を目殺しようとも思ったけど、よした。予約通りの時間に来ても結局待たされることがほとんどで、やんわりと光る待合室にはきっと殺意が充満しているに違いない。じり、じり、と体力が奪われ、やがてベンチに横になってしまう。誉田さんは僕の様子を見て、自分の鞄を僕の首元に置いた。酸っぱい革のにおいがした。

 医者にはとにかくありのままのことを話す。僕の話はどこかがおかしいから医者はそれをカルテに書く。そして薬を処方し、診察室を出る時に

「お大事に」

と言う。

勝手に「小田維持煮」などと誤字変換をしてしまい、笑った。誉田さんは前を歩いている。

 「また薬が増えたな」

誉田さんは薬局から渡された薬の説明文を見て言った。

「エビリファイ」

今度は呟くように言った。

 帰りにスーパーに寄って花と弁当を買った。レジの前でくしゃみを三回したから、妻が僕のことを話しているんだと思って嬉しくなった。

 初めて人間を殺したのは十三歳の時で、美術の授業中のことだったという。絵筆の先から少し水を含み過ぎた赤い絵の具が画用紙に垂れていく様は覚えている。ぽたりと音がしたような気がして、赤い斑紋をじっと見た。すると辺りが真っ白になってしまい、僕と赤い斑紋だけが存在した。赤い斑紋は自由自在に形を変えたり大きさを変えたりして、炎のように僕に襲いかかって来る。助けを呼ぼうにも真っ白な世界で、自分がその空白に吸い込まれていくようで怖ろしく、もはや逃げ道のないと知った僕は、何故か手に持っていたカッターナイフをむちゃくちゃに振り回した。生温かい感覚がして、赤い斑紋はどんどん膨張した。あっという間に赤い空間に閉じ込められた僕は、なんとかそこから抜け出そうとして、だんだんと身動きが取れなくなっても抵抗を止めずにカッターを振り回し、ふっと視界が正常に戻った時には二本の蛍光灯が光る病室で、手足や首を拘束ベルトで縛られていた。ぽたりと点滴が落ちるのが見えた。

 僕は同級生二人を殺傷した罪で逮捕されたが、十三歳という年齢と心神喪失状態にあったとして不起訴処分になった。その時だ。誉田さんと出会ったのは。

 駅から歩いて五分ほどのところに僕の生家はある。「おさない精肉店」と掲げられた看板はもうひび割れ、窓ガラスは割られたままで、もちろん人は住んでいない。僕が事件を起こしたから、世間が糾弾しに僕の家を襲撃したのだ。電話は鳴りっぱなし。インターホンも鳴りっぱなし。怒号。野次。脅迫文。爆竹なんかも投げつけられたみたいだ。お母さんとお姉ちゃんはお母さんの実家へ行き、お父さんは一人ここに残ったけど、僕が三度目の殺人を犯し、留置所から戻ってくる前日に倉庫で首を吊って死んだ。四十歳だった。

 お父さんは大学生の時、精肉店でアルバイトをしていたことがあり、肉を切ったりミンチにする作業が大好きで、大学を卒業して会社員になってもその時の感触が忘れられず、脱サラをして故郷に帰り、精肉店を開いた。仕入れからこだわる厳正された質の良い肉は評判を呼び、ローカル番組で取り上げられたこともあったらしい。特に人気だったのがカツサンドで、売り切れることもしばしばあった。毎日買いに来てくれる人ももちろんいて、その中に僕と同い年くらいの女の子がいた。母親に寄り添うように歩き、いつもピンク色のジャージを着ていて、目は大きくてよく動き、少し唇がとんがっていた。全く妻に似ていなかった。

 妻に会わない日は河原を歩くことにしている。まだ空気が冷たいのに東からの日差しが強く、今日は暑くなるな、と思った。河川敷ではスポーツカイトを飛ばしている人間が数人いた。ひゅんひゅんと音を立てて舞うカイトの糸を切ってみたいと発作的に思った。

 三羽川という川は酒岩川の支流であり、その分岐点には小さな水門がある。僕は酒岩川に架かる橋梁から、その水門までおよそ三キロをひたすら歩く。途中犬を連れた白雌やランニングをしている茶雌に会うが、目線は決して合わさない。僕はふっと足を止め、自分の靴のつま先を見ていた。白は汚れるから黒が良いという僕に、妻は白を強く薦めた。「あなたには白が似合う」と言った。土や埃で薄汚れ、穴が開いたその靴を捨てられずに今もこうして履いている。僕はまた歩き始めた。

 鬱蒼とした緑の茂みにちらりと肌色が見えたので足を止めた。近づいてみると二体のマネキンが折り重なって捨てられていた。上になっているマネキンは雄を、下のマネキンは雌を象っていた。正常位の形だった。僕はマネキン工場のことを思った。薄いパーテーションで区切られた密室が碁盤の目のように工場全体を覆いつくしている。その中で、仮マネキンの雌雄たちが交接している。工場は仮マネキンの喘ぎ声や仮マネキンから分泌される体液のにおいが充満していて、湿度が高い。約一ヶ月間仮マネキンの雌雄は交接しあう。上手く子を孕めば二人は結ばれ、子を育てられる。子を孕まなければ性器を切り取られ、魂を奪われて本当のマネキンになってしまう。この茂みの中のマネキンは魂を奪われてもなお、互いのことを愛していて、工場を抜け出し、逃亡を続けた結果ここに辿り着いたのだろう。そう思うとこの何でもない緑の茂みがだんだんと美しく見えてきた。しばらくそこから動けなかった。

 次にそこを訪れたらマネキンの雌雄はいなかった。まだ安住の地を追い求めているのだろう。

続きは、本編②へ。

あとがきは、こちら。(先行公開中)

https://note.mu/carnofsilver/n/n6f6196143566


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