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ポルトガル旅 学問・奇跡・大航海の街#1 Coimbra

おことわり
2023年の旅行記です。1年後の同日付にアップしています。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の後日談です。


2023/5/30

サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
病院の寝台のように頭を壁、脚を窓に向けた状態で、細長い通路のような室内に、横並びに寝ている。

8:00

巡礼者列伝 Yさん

とにかく広い巡礼宿 Albergue Seminario Menor

ベッドで支度をしているとYさんという女性に話しかけられる。誇らしく仰っていたのでここでも書くが80才ということである。フランスの道を歩き終えた人であった。遡ること数年前、コロナ禍以前に途中まで歩いた際に、病院に3日入院するほど体調を崩したために、終点までたどり着けなかった。それを今回、その続きからやり通したとのことであった。
4月から7月まで滞在の予定だが、まだ時間があるので、ポルトまで行って、もうひと歩きしようと考えているそうだ。
巡礼終了後の身の振り方は人それぞれ。多くはこの街で2,3日滞在するようだ。問題はその後だ。勢いが止まらない巡礼者は90km先の「地の果て」フィニステレFinisterreまで行くものもいる。また、少なからぬ人間が巡礼完了直後に再び別の巡礼路に出かけている。旅の最初に出会った韓国人のヨンちゃんはフランスの道を終えた後、ポルトガルの道を歩いた。ドイツ人のパイも同様だ。そしてYさんもまた、もうひと歩きするという。
ウォーカーズハイになって、歩きたくなっちゃうのだろうか?そういう要素も多分にあるのだろう。
もう一つの理由はどうやら時間調整のためということらしかった。これは特にフライトの都合もある非ヨーロッパ系に言えることだ。高い物価でホテル代を払うより、歩いている方が安上がりだし、何より楽しいということでもあるらしい。

サンティアゴ・デ・コンポステーラのバスターミナル

僕はと言えば、このまま街を後にする。目的地はコインブラだ。

カフェでコーヒー頼む。ハモンを載せたゴージャスなサンドイッチ。食べきれないと判断して、ナプキンに包んで昼ごはんにする。旅で知り合ったカミラたち(巡礼者列伝)も同じバスだった。

チケットはオンラインで購入済みなのだが、いかんせんどのバスが正解なのか不安。

8:30
バスに乗るといつもとは違う落ち着きの無さを感じた。
ここしばらく歩くスピードを超えることがなかったので、自動車のスピードで流れていく車窓の景色が速すぎると感じた。すこし怖いと感じた。

サンティアゴ・デ・コンポステーラを出るとTuiを過ぎるまでは、僕が歩いて来た道を遡っていった。ときには自分がその上を越えた橋ともクロスした。歩いた時間を蹂躙するような残酷な行為に感じた。

10:20
ポンテベドラPontevedraまで50分

時計を見ると時間が変わっていないので、そういえば1時間時差があることを思い出した。

10:20
2時間でヴァレンサValençaに着いた。
バスが休憩に入る。20分かと思ったら40分も止まっていた。

porto campanhaの休憩。
カナダに住むというフランス人と話す。45才男性。日本のアニメが素晴らしいという。自分の人格形成の一部というようなことを言っていた。フランスやスペインは日本アニメの需要が早かったのでこの世代含む上の世代の人たちも理解がある。イギリス、ドイツ、アメリカなんかは若年層はいざしらず、50代だとそうでもない。

Coimbraに到着

学問の街

As noites sem dormir geram Grandes ideias ou grandes monstros
眠らぬ夜は、大いなる思考、または大いなる怪物を産む
さすがヨーロッパ最古級の大学都市、落書きが哲学的だ。

【コインブラ】12世紀から13世紀にかけてポルトガルの首都。1290年に創立されたコインブラ大学はヨーロッパでも最も古い大学の一つとしてつとに有名。モンデーゴ川に臨む豊かな農業地帯の中心都市としても知られ、古くから宗教・学問の中心地として栄えてきた。旧市街にはロマネスク様式の旧大聖堂やジョアニーナ図書館などの歴史的建造物が多く残り、中世の城郭都市の面影を色濃く残している。

15:00
コインブラ着。運転手の声はあまり良く聞こえない。地図アプリで場所を確認しているので、降りる。降りてから運転手にコインブラか?と聞くと「そうだ」という。

Coimbraバスターミナル

同じバスにいた韓国人の男性はやはりカミーノを終えた男だった。カバンの脇差には卒業証書の筒のような入れ物があった。旅を終えてもランナーズバックパック一つで実に身軽だ。そう言えば旅先で見た韓国人はとにかく身軽だった。同じくコインブラで降り、ターミナルで分かれた。

エンリケ航海王子Infante Dom Henrrique  ゲストハウス

15:09
宿に着く。呼び方が分からず、しばし、入り口のボタン類と格闘する。結局呼び鈴みたいなのを押したようで、しばらくしてなかから人が来て開けてくれた。

気さくに話しかけてくれたDiva

受け付けてくれたのはディーバDiva(バイーア出身のブラジル人)だった。サンパウロにも住んだことがあってDiademaに4年いたという。僕がポルトガル語が分かると見ると気さくに話してくれた。そして、2階に行くと、宿の所有者という男性が、よく来たねといい、食堂で打ち合わせをしていた、アンゴラの二人を紹介してくれた。宿の所有者はDivaに命じて僕にワインを振る舞った。僕にはコップになみなみに注いでくれた。乾杯のためにと言って、自分たちにも半分ついで出会いの盃を交わした。

15:30
コインブラ大学へでかけた。急な坂道を登る。坂の上だということは遠目にも、地図でも分かっているだが、こっちだろうと思う方向が今ひとつしっくりこない。構造が導く「こっちのほうが中心ですよ」というメッセージが街から聞こえてこない。

しょうがなく丘の上まで来るが、それが、大学の鉄の門と呼ばれる有名な門だとも気が付かなかった。また、大きな広場が旧大学のメインの建物を取り囲む場とも知らなかった。

なんか入り口っぽいところを見つけ、チケットの買い方を学ぶ。オンラインで良いらしい。

図書館だけは見ておこうと思い、オンラインでチケット購入。その後、時間まで、学生食堂でビールを飲む。

15:45
ショップが閉まってしまった。コインブラ大学のパーカーを買おうとおもったのに。

部屋でシャワーを浴び、一休みして、出かける。

As noites sem dormir geram Grandes ideias ou grandes monstros
眠らぬ夜は、大いなる思考、または大いなる怪物を産む
さすがヨーロッパ最古級の大学都市、落書きが哲学的だ。
夕食はFadoを聞きながら。街へ繰り出す。

20:10
タパスの店で、ファドを聞くことにした。

歌手が男なのがコインブラ流と聞いていたが、ここではInês Graçaさんという女性歌手だった。
コインブラのAleのビールがあるというので頼んだが、いまや世界中どこにでもあるマイクロ・ブルワリーのエールのようであった。迂闊に地ビールが良いとも限らないなと思った。

Maria
Julia florista
Cidade garina
リスボンについての歌などを歌う。(曲名はあやふやです)

インターバル休憩に何故か間違ってBGMとしてジャミロクワイのVirtual Insanityがかかった。30年前の曲と考えると、不思議な気がする。店員は曲が間違っていると気がついたのか、メローなピアノポップスに変えた。

オリーブ

ファドがド演歌かと思っていたけど、昔の歌謡曲という感じなのだろうか。
・ギターはほぼベース。
・shの音が多い。シュ。
・9thで終わる曲。ジャーン。
・Nao tem nada de fazerという曲の 「オヨアイ」という掛け合い。客の参加。

3rdステージ
・Sou Portuguesaわたしはポルトガル人。大阪で生まれた女。
・Canta fado 歌えファド。全部同じに聞こえる。
・カバキーニョのようなぶつかる音を出す。
・曲想はそんなに変化ない。

22:30
サンタクララ教会の横のカフェがやっていた。ビールとナタ。
地元の女子2人組が来てビールを飲んでいた。安全なんだなと思う。

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