#024 無知の知
こんばんは、代表の笈沼です。
1か月ほど前から、ものづくりの工程のうち、デザインをひとまず終え、製造準備に入ってきました。
僕は、過去、JINSでコンタクトレンズの事業開発をしていたので、工場さんとのやりとり、工程管理、製造原価、仕入原価(下代)の構造、交渉や契約の進め方はそれなりに泥臭く経験をしました。当時、候補先となる海外の工場はほぼ全て見学し、対話、交渉をしました。3カ国で計15社くらいありました。英文契約書も一言一句チェックし、自分で手を入れました。
また、眼鏡事業では、僕の管掌はMDや調達部門ではないものの、経営管理において、製品別、部材別の原価率(為替で結構変わる)、在庫消化、欠品などの指標を毎週追いかけて、毎月それらを含む管理会計指標と月次PL、事業概況を取締役会で報告しておりました。従って、数字面でも比較的にSPAという業態を理解している方だと思います。
しかし、服という商品は、なかなか学びが多い商材だなと感じています。
僕はアパレル業界の新参者なので知ったかのように話せることは全くないのですが、、一つ言えることは、コンタクトレンズや眼鏡とは異なり、サプライチェーンが複雑です。製品の構成要素は、生地(色×素材×機能×重さでとんでもない数があります)と付属(ボタン、ファスナー、糸、ゴム)は多様ですし、それぞれに対して、メーカーはもちろんのこと、問屋や工場が分かれているケースも少なくありません。
工場は、生地の特性や得意とする縫製工程によって分かれます。大きくは、布帛とカットソー、その中でもニット(=メリヤス)に強い、特定の縫製技術があったり、自社で生地が作れる工場もあったり。事業形態も、縫製工程のみを主として行っている工場もあれば、ボタンの縫い付けだけをするところもありますし、上流で発注者に提案ができるパタンナーを抱えて製品の企画から関与していくOEMもあります。また、工場と発注者をつなぐ振り屋もいます。
さて、ケアウィルは、プロのパタンナーやファッション業界で経験が豊富なアドバイザーに協力いただいてはいるものの、僕を含むコアメンバーは、服作りのずぶの素人です(笑)
ただ僕自身は、マネジメントとしては異なる業界でそれなりにタフな状況を乗り越えてきてきました。また、専門職として、M&Aアドバイザリーやコンサルティングの多くのプロジェクトに参画してきました。
幸いにも、それら経験から学んだことがあります。それは「学習と行動を続けていればビジネスの多くのことはいつか必ず分かるようになる」ということです。
特に、業界における言語(これは特に歴史が長い業界には独自の言葉が多い)と思考、オペレーションについては必ず答えがあるので、知識をインプットしながら、臆することなく(その時は鈍感力も大事)、その業界の方々と真正面から対話をしていけば、つまり、インプットしながらアウトプットをしていけば、ある時に"パッと" 視界が開ける瞬間があるのです。
例えば、以下はここ1か月で溜まってきた業界用語集の一部です。これもその瞬間にむけた一歩一歩の記録です。
郷に入りては郷に従え、、よりも、まず「知れ」。取引先の方には「すんません、素人なもんで、、それってどういう意味ですか?」と何度も聞いてしまい、本当にごめんなさい。僕らは「アパレル業界」全国模試で偏差値30ぐらいなんです(笑)
ただし、それは ”まだ” そうである、というだけ。学習と行動さえ続ければ多くのことは必ず分かるようになる、僕らはそう信じています。だからその時までは(まぁ、その後もですけど..) 淡々と頭、足と耳を使って、インプットとアウトプットの汗をかき続けることが大切です。
また心持ちとして、挑戦の過程において無知であることは何ら恥ずかしいことではありません。事実、グローバルなコミュニケーションでは、質問をすることは「相手に関心を持っている」「議論に積極的に参加している」と受け取られ、大変歓迎されます(もちろん会話の中で良質な質問へ発展させていくことは大切ですが)。一方、質問をしなければ、その人は「理解した」とみなされます。
だから「なんとなくわかったふりをしている」ことの方が危険です。なぜなら、分かった気になって物事が進めば、自分が判断や交渉戦略を誤るリスクも高まります。また、前提が噛み合っていないまま相手との議論や交渉を進んでいけば、最初は良くとも、時間が経つにつれて両者の認識の相違は広がり、どこかで決定的な破談が起こります。
あと、分かる、ようになることは、目的ではなく過程です。その先のアウトカムを得るために必ず必要な工程です。逆に、アウトカムというメインディッシュをお腹鳴るぐらい妄想し、それを味わうことを楽しみにしていれば、前菜を美味しく食べられます。
僕らは異業種にいたからこそこの業界に可能性を見出しています。だから、まだ分からないことだらけでも、"パッと" 視界が開けたその先に革新が必ず訪れると僕らは信じています。これは毎度、僕には根拠はなく本能的なものなのですが、じりじりした先にそういう出来事が必ず待っている、ただそういうものなのです。
だから、40歳になっても心躍る挑戦ができること、そのために新しい「分らない」に出会える、新入社員みたいなフラッシュな気分になれる、ってとても幸せなことです。そういえば、以前に「くるたのしさ」と言う言葉について触れましたが、今、僕はサラリーマンではないですが、この感覚と全く同じです。
では、また!