ロフト広告は何故炎上したのか ~ハズキルーペとキャンメイクと午後の紅茶~


ロフトの広告が炎上した。

朝起きてTwitterを見たら何やら煙たいので火元を探ってみて見ればそれがあった。この広告に関して、自分の最初の感想は「それでこれは一体何の宣伝になってるんだ?」である。

悪い事はあっても、良い事は無さそう。そして実際に炎上してしまった。

何が悪かったのだろう。


①あるあるネタの利用方法 ~午後の紅茶~

以前キリンの「午後の紅茶」の広告が似たような感じで炎上した事があり、今回も度々それを思い出す人を見かけた。

あれの何が悪かったかというと、テレビでたまにやっている身近にいるウザい女あるある番組みたいなノリを何故か広告に持ち込んでしまった事である。

実際、そういったテレビ番組のように嫌な女の例を挙げて「あるある~~w」と嘲笑うタイプのコンテンツは存在する。それでいて消えないという事は多分一定の人気を博している結果なのだと思う。筆者はそんなに好きではないが、何事もあるあるネタというのが使われがちなのは理解できる。

だがそれを広告に持ち込むことの意味については、考えるべきである。


こんな事あるある!あるよね!だからそうならない為に!弊社の製品をお買い求めください!!


ちょっと脅し臭いが、これならまだわかる。この広告を目にしてドキッとして冷や汗をかく人間や、確かにそれは必要かもしれないと合理的に判断する人間がいるからである。

ところがこの午後ティーの広告は、ディスってるウザイ女子像のそれがあろうことが午後ティーを片手に立っているのである


……欲しいか?これ見て欲しいか?午後ティー。持ってたらdisられるんだぞ?欲しいか?買いたくなるか?

今回のロフトの広告も同じく、あるあるネタを持ち込んだばかりに、何故か購買層が貶められるのである。

買ってくれた人間に唾を吐く広告、欲しくなるか?


また、あるあるネタと言っても「ねーよ」と言われてしまったらおしまいである。何のネタにもならない、何も面白くないただの不愉快な人格批判にしかならない。午後の紅茶もロフトも、その点への指摘は何度も目にした。

作った側がこういう奴いるよね!という気持ちで作ったり、誰かしらのモデルが存在していたとしても、「そんな女子、出会った事ねーよ」という人にとってみれば、これは捏造した不愉快女像になってしまう。

恐らく今回の件において「女性蔑視」というワードを出している殆どの人は、そのような女性に出会った事が無い、もしくは自分とは違うタイプの女性だと判断したのだと思う。だからこのような捏造女性像を繰り出してくる事に対して、他ならぬ差別と思うのだ。

……筆者も「陰湿で裏のある女性」と出会ったのは、中学校が最後だ。居ないと言い切る事は出来ないが、ある程度成熟した中では会った事がない。

もしこれを読んでいる20代以上の人の中に「いや、女って実際陰湿だろ!」と具体例が次々に出てくる人がいるのなら、即刻身を置く環境を変えるべきだと思う。陰湿な女性がいるのは否定しないが、そんなのがゴロゴロいる質の悪い世界からは早く逃げた方が良い。自分の知る限りそれは中央値ではない。


②「女性」性の正しい使い方 ~キャンメイク~


女の子ってホントに楽しい!

これはキャンメイクのCMでお馴染みのキャッチフレーズである。

これ自体も多様性に反するからと嫌いな人はいるかもしれないが、これの良い所は実際に楽しそうな所である。ファンシーな演出や背景をバックに、河北麻友子が化粧を楽しみながらニコニコして言葉を発するのは実に楽しそうなのである。

また、そもそもキャンメイクのターゲット層はオシャレを始める小中学生の女の子である。

化粧品に明るくない人の為に解説すると、キャンメイクは非常に安価な化粧品ブランドである。安価である代わりに、見た目や出来栄えについては高価なものと比べて当然見劣りし、おもちゃのようだと考える人も少なくない(※中には値段の割に質も良いと評価されているものもある)。その為大の大人は基本的に利用しない代わりに、おこづかいの少ない子供にとっては有難い存在なのだ。

そんな一番ませたい盛りで女の子を楽しみたい年頃の子たちに対して打つ広告として、これは効果的だ。まさに女の子を楽しみたいと思っている子に対して、最初の一歩、はじめてのお化粧に踏み出す勇気を生んでくれるだろう。

勿論化粧をしたくない女性も少なくないとは思うが、かといって化粧がしたい子供たちがターゲット層なので、ターゲット層に対して言えば適切な広告と言うべきだろう。化粧したくない女性はターゲット的にアウトオブ眼中だと言われてしまえばそれまでだ。

さて、これと同じフレーズが使われてる今回のロフト広告。同じフレーズなのにロフトは炎上してしまった。一方キャンメイクは不快な人はいるかもしれないがそのような大事件には発展していない。何が違うのだろうか?


まずその大きな要因の一つが「楽しそうじゃない」だ。

ロフトのCMでは女子同士の陰湿な裏側や描かれている。楽しいどころかネガティブなイメージが付きまとう。そんな中で「楽しいよね!」と言われても皮肉にしか取られないのは正直当たり前だ。


また、女性性に対するネガティブな扱い方である。

キャンメイクにおいては、女性性に憧れる女の子にそれが楽しい事を宣伝するものだった。お化粧やオシャレを楽しみたい女の子に向けた発信としてポジティブなものだし、逆に女性性に憧れない女の子に「女の子らしさ」強制するものではない。(「らしさ」という表現が好ましくないのは分かるが、他に適切な用語が思いつかなかったためこのような表記になっている)

しかしロフトの広告は「女って陰湿よね」というクソデカ主語になりかねないのである。それがあまりポジティブではない上に、特にこれといったフォローや救いも存在しない。大きな主語は危険なものだ。


③ターゲット層への宣伝 ~ハズキルーペ~

ハズキルーペのCMと言えば、美女が尻でルーペを踏みつぶすシーンが非常に有名だろう。どうもこれにはオッサン臭いニュアンスを感じざるを得ない。価値観が古いというか、なんかちょっとスケベオヤジ感が強すぎる。実際これをキャバ嬢に真似させるなんて話も聞いた事がある。

そもそもルーペとかいう、老人向け商品の広告に若くて美しい女性を起用する事自体、スケベハートをくすぐる以外の目的がない。

だがハズキルーペのCMは大炎上してCMが放送中止になった……なんてことは起こっていない。というよりルーペにヒップアタックする女性の数が地味に増えていたりなど、むしろ好評を博していそうな勢いだ。

ただ前述した通り、ハズキルーペのCMは明らかに昭和の旧時代的価値観の上で成り立っている。平成も終わろうとしているのに全く遅れてる、そういいたくなる人が多いのも頷ける。それでもこのハズキルーペの広告が存続しているのは、ターゲット層に刺さっているからである。

価値観的には大分遅れてると評価を下したいこの広告だが、なんせこの広告のターゲット層はその旧時代的価値観のおじさんたちなのだ。ターゲット層の感性に合わせたものを発信しているので、広告として意味を成しているのである。

加えてハズキルーペのCMは何かとセレブな雰囲気が漂っており、退職前はそれなりの地位を築いていたオッサンの浪漫を体現しているのが良く分かる。万人が見て気持ちのいい宣伝ではないかもしれないが、買って欲しい層には確実に刺さっている。





頭に書いた通りだが、ロフトの広告は全くターゲット層に刺さっていない。

というかターゲット層が透けて見えないぐらいには、よくわからない。


一般的にバレンタインデーにおける主要なターゲット層は若い女性のはずである。彼氏や好きな男性1人にあげるのは勿論、学生時代などは学校でクラスや部活・サークルに全員分など大々的に拡散させる事もある。また最近は友チョコというのもすっかり根付いており、友人同士という需要も非常に多い。美味しいチョコレートが多く出回るこの時期、自分用にという事もある。

そんな中、前述した通り「ターゲット層を貶めていると捉えられかねない書き方」「ステレオタイプな批判・皮肉の主語を大きくする」「あるあるの頻度に大きな差異のあるネガティブなあるあるネタ」といういくつかのタブーを起こしてしまった。

加えて購買意欲をそそられる要素がどこにもない事も非常に大きなポイントで、何がどうしたらこれで買いたくなる、店に行きたくなるというのが全く見えてこないのだ。せめて何かロフトに向かうような描写があれば変わったものを。

あと女の子のパンツが丸見えになってるイラストの絵を持ち歩きたいかといえば、老若男女問わず大なり小なり恥ずかしく感じる人が多数のような気もする。

この辺りを総合すると、ターゲット層を喜ばせたり欲しがらせたりする要素がまるでない事に気が付くのである。

基本的に広告というのは、大雑把にはターゲット層を喜ばせるか脅すかのどちらかである。中にはじっと考えさせるとか、じらして上手く吊り上げるとかというものもあるがそれは少し高度だ。あろうことかこの広告はターゲット層をdisった上で何の関連効果もないという驚きの方法を実践している。


一体何がしたかったんだ……。


昨年「ポプテピピック」が一世を風靡したように、シニカルなブラックジョークを楽しむ人も多い。だからこの騒動で「ブラックジョークが楽しめなくなった世の中なんだな」とコメントする人もよく見かけたが、どう考えてもそんなはずはないのだ。

問題はこれが広告だった事だ。

表現の自由は保証されている。だが、これがフィクション作品とは違うのは、広告というのは何か商品を売る為の宣伝物であるという事である。つまり広告に自由勝手にやる権利はあるものの、宣伝として機能しない場合はその役割を果たしていない事になるし、それは悪い広告だという事になる。

宣伝になっていれば何をやってもいいのかという逆は成立しないが、少なくとも宣伝になる事が広告の最低条件ではある。ではないと金をかけてネガティブキャンペーンをする事になってしまうから。



そんないばらの道を敢えて進むのだからロフトには我々から見えない何か大きな志や意図あるのかなと思っていたら、ついにその広告が撤退したらしい。無いのか。本当にただのミステイクだったのか。

「楽しい女の子にみられる、茶目っ気やユーモアさを表現しました」


………これを茶目っ気と表現するなら、もしかしてむしろちょっと感性が新しすぎてついていけなかったのかもしれないなあ。

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