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小池さんの思い出への註釈

関東の片田舎で生まれ育ったわたしは、チキンラーメンというものの存在を知らなかった。名前は知っていたかもしれないが、それがどんなものかよくわかっていなかった。食料品店(スーパーもコンビニもまだなかった)に行けば売っていたのかもしれないが、男の子は普通食料品店なんて行かないものだ。

チキンラーメンの発売は1958年なので、わたしと同い年ということになるが、そのようなものが学校や仲間内で話題になったという記憶はない。ググってみると全国で販売していたが関東地方では手に入りにくかった状況もあったかもしれないと販売元の広報部では回答しているらしい。

たぶんそのせいで、わたしは小池さんが食べているインスタントラーメンというのは、わたしが生まれる前に食べられていた昔懐かしいインスタント食品なのだと漠然と信じ込んでいたような気がする。

オバQたちが住んでいる町並みもどこか見知らぬ町のようで、だからそれも戦前にそうであっただろうマンガ家の記憶にある町並みなのだと思い込んでいた。ブロック塀が延々と続き自動車がほとんど通らないので子供たちが自由に遊べる道路、土管が積まれた自由に遊べる空き地など、どれもマンガの中でしか見たことがなかった。

その頃のマンガでは、紙芝居屋のシーンを見かけることもあった(たぶん50年代に描かれた貸本マンガ)が、それもわたしは一度も本物をみたことがなかった。

その頃活躍していたマンガ家というのは、戦時中に子供だった人たち(手塚治虫が1928年生まれ、藤子F不二雄は、1933年生まれ)で、うちの両親と同世代であるから、彼らの描く世界は、両親の語る世界と重なり合っている。

子供は自分が生まれる前のことは、大人の話を通して知るしかないが、大人は当然の前提としてわかりきっている時系列的なことはいわないので、そばで聞いている子供はしばしば前後関係を誤解する。

わたしが小学生のころ、『わんぱく探偵団』というTVアニメがあり、それを観た母が、主題歌を一緒に歌い出したので驚いてしまったが、それは『少年探偵団』のテーマ曲だったという。『黄金バット』というTVアニメもあり、こちらは紙芝居がオリジナルだった。どちらも原作が作られたのは戦前であるから、わたしは勝手に母が知っているそれらは戦前の記憶なのだろうと思い込んだ。

それらがごちゃまぜになって、いつのまにかインスタントラーメンも少年探偵団も、漠然と戦前のものだと思い込むようになった気がする。だが、戦前というのは、そのころの少年誌にはつきものだった戦記物の時代(『紫電改のタカ』とか)であり、それと時代が違うことは認識していたので、要するにわたしの頭の中には、戦争をしていた戦前と、戦争をしていなかった戦前が、ぜんぜん別物として存在していたようだ。

たぶん、じっくり考えれば、その戦争をしていなかった戦前というのが、わたしが生まれるまでの戦後であることがわかったと思うのだが、なんというのか、わたしにとっては、未だにそうなのだが、進駐軍がいた時代から、わたしが生まれるまでの時空間がうまく認識できないのである。

だから、たとえば同級生の女子には美智子様が異常に多いのだが、それと皇太子ご成婚がうまく結びつかない。前者は日常だが、後者は非日常で、まったく別世界の出来事のように思える。

お湯をかけるだけのインスタントラーメンも少年探偵団も、わたしにとってはそのような非日常に属するものだったのである。

ある時なにかのきっかけで、非日常が一挙に日常化されることがある。わたしにとってチキンラーメンは、大阪の大学院の研究室でいきなり日常化した。1981年のことである。大阪ではそれは1958年以来ずっと日常だったらしく、中華三昧や楊夫人とまったく同じレベルで存在していたらしかった。

オバQやドラえもんが活躍する、車のほとんど入ってこないブロック塀の町は、わたし自身が多摩に住むようになって日常化された。それはマンガ家たちが住んでいる東京の町(トキワ荘があった西武線あたり?)を多少デフォルメして描いたものだということがわかった。

わたしの生まれ育った町はなんどもいうけど片田舎の小さな町なので、いわゆる住宅街というものが、マンガに出てくる、ということは東京に現実に存在するような形では存在しなかったのである。

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