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コーラス会の会計報告 ~前編~

せっかく新しい曲の動画を登録したばかりだったのに、新型コロナウイスルのせいで、二月からいつものコーラスの練習場が使えなくなった。

会員の中には、高齢であることを逆手にとって、コロナになればさっさと逝けて都合がいいのに、と冗談なのか本心なのかよくわからない意見もあったそうだが、さすがに、うちの母は反対した。普段からピンピンコロリと言ってはいても、本気で死にたくはないらしい。

そりゃあそうだろう、とわたしも思う。

TVで某有名コメディアンの死が報じられたときも、「コロナなんかじゃ、死にたくないわね」と真顔で言ってニュースは見ずにさっさと台所に行ってしまった。もっとも、これは某コメディアンのことが嫌いだったせいもあるかもしれない。

別にこの有名コメディアンが特に嫌いだというのではない。母はおよそすべてのコメディアンが嫌いなのである。理由はもちろん知る由もない。昔、わたしが大阪に住んでいたときに流行っていた大助花子を、たまたま実家で何の気なしに観ていたら、「いつの間にか、こんなに下品なものを平気で観るような子になって!」と吐き捨ているようにいって立って行ってしまったのを覚えている(まあ確かに、当時の大助花子は上品とは言い難かったかもしれないが)。その中では、亡くなった超有名コメディアンはそれほど嫌っていはいなかった。と思っていたのだが、思い違いだったようだ。

話がそれた。

というわけで、二月から当分の間、コーラスの練習はなく、六月にするはずだったシスターたちのためのミサ曲も、そもそも高齢者ばかりの修道会への出入りが禁止されてしまったので中止となったのだが、年度末なので、会計係の母にはやらないわけにはいかない仕事が残っていた。会計の年次報告書の作成である。

実際に会員に渡すのは収入と支出を別々に集計した一枚紙の収支決算報告書だけであるが、歌唱指導の先生とピアノの先生に月々払う謝礼や旅費があり、練習会場もただではないので、大した額ではないのだが、それなりに面倒臭いものではあった。なぜかというと、母はいまだにすべてを手書きとそろばんでやっていたからである。

父が亡くなった六年前から、わたしがエクセルで打ち直してプリントアウトしたものを使うようになったが、それは清書だけであって、下書きは計算も含めてすべて今でも母が手書きで作るのである。計算はそろばんで電卓は使わない。わたしがいくらエクセルがあるからいらないと言っても、母はすべてそろばんで検算しないと気が済まないようだ。

母は昔からそろばんが得意で、電卓があってもそろばんを使う。昔商売をしていたときには、電卓で計算した結果をそろばんで検算していた記憶がある。わたしにはとても考えられないことだが、自分の指ではじきだしたものでないと信頼できないようだ。だからもちろんエクセルなんて論外なのである。初めてエクセルで収支決算表を作ったとき、母の計算結果と同じだったと言うと、「その電卓は使えそうね」と言って笑った。

それくらいそろばんには自信があるので、計算が合わないことはまずなく、あるとすれば、それは元の数字が間違っているということになる。実際、そうやって元の記録の方が間違っていることはよくあった。ほとんどが、レシートを写し間違えたり、電車賃を人数分かけてなかったりといった些細な記入ミスである。金額も大したことはなかった。たまに記入する月を間違えて、月ごとの集計が大きく狂ってしまい、間違いを見つけるのに苦労したこともあったが、それでも、最終的には、銀行の預金残高と収入・支出がすべて一致して万事めでたしめでたしなのであった。はずであった。去年までは。

去年の平成最後の収支決算報告は、万事めでたく終了にはならなかったのである。というのも、知らない間にお金が増えていたからだ。しかも大幅に。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。