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『探卵患』

ハイデルベルクに持っていく二冊目に選んだのは、『斎藤茂吉随筆集』だった。

斎藤茂吉は『赤光』で有名な歌人だが、医師・医学研究者でもあり、ウィーンに長らく留学していた。その時の思い出を綴ったエッセイがいくつかあり、『ドナウ源流行』や『探卵患』もそのひとつである。

『探卵患』は、1922年12月27日の出来事を綴ったものだと著者は書いている。このタイトルは、著者がその時手帳に記した文字に由来するものだということだが、それ以上の説明はなかった。ネットで検索してみると、正確には「探卵之患」といい「たんらんのうれい」と読むらしい。親鳥が巣を離れた隙に卵を盗られる恐れのことを意味している。

それがわかっても、依然として、なぜそのタイトルなのかは、わたしにはわからなかった。実は今でもわからない。

それはともかく。

記憶が定かでないが、おそらく、ドイツに行くというので、わたしは意識的に、ドイツで役に立つ可能性も念頭に入れて本を選んだのだと思う。それはハイネも同じである。ただ、ハイデルベルクの南に広がる広大なシュバルツバルト(黒い森)にあるドナウエッシンゲンに行きたかったわけでは、かならずしもなかった。実際、母が覚えているドナウエッシンゲンをわたしはまったく記憶していない。シュバルツバルトで覚えているのは、鍾乳洞とカッコウ時計の里くらいである。

むしろわたしは、『探卵患』のようなアヴァンチュールをこそ夢見ていたのではなかったろうか、と思わないでもない。わたしの中では、いつのまにか『ドナウ源流行』と『探卵患』がゴッチャになっていたのだが、それがさらに、タイトルのタマゴから夫人の懐妊について書かれた『妻』と記憶がまぜこぜになり、わたしは勝手に、茂吉が奥さんとドナウの源流を訪ね、そのとき奥さんの妊娠を知ったが、そこに若いオーストリア人の娘が登場して話がややこしくなる、という展開のように思い込んでいた。

もちろん、エッセイのどこにもそんなことは書かれていない。解説にも書かれてなかった。全部わたしの勝手な妄想である。そしてもちろん、わたしにもなにも起こりはしなかった。ずっと妻と一歳半になる息子の子育てで忙しかったからである(ということにしておく)。

ハイネとは異なり、斎藤茂吉はドイツにいる間にも幾度となく読み返した記憶がある。とはいえ、もともと一度読み終わった本を始めから終わりまで何度も読み返す習慣はないし、そもそも茂吉の場合、留学に関するエッセイは全部で十篇もないのである。

わたしだけかもしれないが、お気に入りの本といっても、特にお気に入りの頁は数頁から多くても十頁程度であることが多い。だから読み返す頁は本の厚さに比べると、ほんとうにわずかである。しかも、エッセイのように短い文章がたくさん収録されている場合には、すべてを読んではいないことも多い。読まないものは、何十年たっても一度も読まないままである。

読むのはお気に入りの数頁だけ。それを繰り返し読むのである。例えば、ハイネなら『精霊物語』の冒頭の数頁、茂吉の『探卵患』は全編(といっても六頁ほど)と『ドナウ源流行』のところどころ、といった具合である。

ならばその頁だけを破って持って行けばトランクが軽くて済みそうだが、そういうわけにはいかない。本の体裁も目次も読まない他の本文も同じくらい重要なのだ。パラパラとめくるだけで目に入る活字がきわめて重要なのである、といったらわかってもらえるだろうか。

いつも旅行のたびに、なにを持っていくかあれこれ考える時間のほうが、実際にそれを読み返す時間よりよほど多い気がするが、あれこれ考える時間がなにものにも代えがたい時間であることはいうまでもない。

そうやって考えに考えた末、わざわざ高い飛行機代を払ってドイツまで持っていった文庫本は、したがって、なにものにも代えがたい宝物だと、まあ、言えないこともないのである。


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