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自己開示のすすめ〜内容編〜

じゃあ、自己開示って何を話せばいいの?そんな疑問が湧いてきそうだ。

わたしにとって、自己開示をすることで目指すことは「ここちよい関係を築ける人や事と出会うこと」だ。そのためにわたしが実践していることを、ここでは書きたいと思う。

わたしにとって自己開示は、基本的に、自分が感じている思いを素直に話すこと。不安や不満に思っていること(誰かさんへの愚痴、組織への不満、「なんで6月には祝日ないの?」)などネガティブな内容から、「〇〇してもらってうれしかった」、「文化祭の準備、ちゃんとやろう!」というポジティブな内容まで、身の回りに落ちていることなんでも。決して嘘はつかなず、同調圧力に飲まれなくていいの。周りの空気を読むこともしなくていい。

良い子だと思われたいからといって、文化祭の準備で張り切っているクラスで「だるい」と言うことを我慢したり、席を譲ってもいないのに席を譲った話をしなくてもいい。ただありのままに、自分の感情を出してみよう。だるいなら「だるい」と、がんばりたいなら「がんばりたい」と。最初は同調圧力も感じるし、空気を読んでその空気に馴染むように頑張ろうとしてしまう。それは素敵なこと。でも、その同調圧力の中で「すこし浮いている人」はいないか、よくよく周りを観察してみよう。その場で話しかけられなかったら、あとでこっそり「実はわたしも…」と話しかければいい。

自分の感情や価値観を洗いざらい話せば、その内容がどうであれ、相手は「信頼して話してくれたんだ〜」と思うだろう。その内容が多数派の価値観から離れていれば離れているだけ、話すことは難しくなるのが常だから、そんな内容を話してくれたら、相手も「わたしもさ…」と話をしてくれることも多いだろう。これが自己開示の連鎖だ。もちろん自分が話したからといって、相手が話してくれるとは限らないけれど、話してくれたら儲けもの。

結局目指すのは、「かぎりなく価値観が合う人や事を見つけること」だから、思ったことはすべて吐き出すし、相手にも話してもらう。違う家庭で育ったのだから、価値観の相違は当たり前だ。でも、それが限りなく近ければ、自分を大きく・違うものに見せなくても、自然に心地よい関係ができる。

「価値観をすり合わせてなんぼ」というけれど、すりあわせる価値観の幅はせまければせまいほど楽だ、とわたしは思う。すりあわせるということは、我慢したり、ゆるしたり、という行為をすることで、結果的に自分の変化を伴うのだから。それこそが人や世界と関わる意味だと言う人もいるだろうけど、わたしは仕事で関わらなければいけない人たちと十分それを実践しているから、プライベートでまでそれをしたくはない。多くの大人はそうではないだろうか。

どうしても最初は仮面をかぶってしまうものだ。でもそんな仮面はさっさととってしまおう。合わなければ付き合わなければいいだけ。この世界には70億もの人類がいるのだ。どんどん人と出会い、話して、合わない人とはさよならしよう。

約束する。この「ちょっとした勇気」がのちのち、あなたの人生を楽にする。わたしの人生も、こうして「ちょっとした勇気」の積み重ねで楽になった。一度「自己開示」をした人とは、一生楽に付き合えるぜ。

ちなみに、仕事に関しても大きくは同じ。「好きな仕事をして趣味の延長上で食っていく」か「仕事と割り切って『苦手ではないこと』を時間きっちりやって食っていく」かは人によるが、仕事に関しても「違和感」を大切にしよう。仕事上の人間関係は嫌でも切れないことが多いし、職種もなかなか変えられるものではない。だからこそ、「違うかも?」と思ったら、さよなら。その「違和感」は間違いなくあなたが感じているストレスだから。ストレスを溜め込むと、本当に鬱になるよ(経験者)。仕事をやめたって、かんたんには死なないし、大丈夫。迷ったら、ここでも「自己開示」。「自己開示できる人」に話して。

自己開示する習慣があるだけで、自分の感情にも気づきやすくなるし、自分で気づかない矛盾やストレスに人の視点で気づいてもらえるよ。

あなたの人生が、「自己開示」で楽になりますように。

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ちなみに、扉絵に使ったのは、樺沢先生の『ストレスフリー超大全』の表紙。この記事を書いた後に読んだのだけど、精神科医的に見ても自己開示って大事なんだ!、とかやり方的にも合ってるんだ!ということがわかったので、みなさんぜひ。

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