自責と他責
「なんでも自責で考えよ」と、新卒の時に教わった。勤めている会社は、そういう社風の会社だった。当時はこんな言葉はなかったけど、今で言うなら、メガベンチャー的な立ち位置の会社だった。
売れなければ自責で考えろ、自分の行動に何が問題だったか考えろ、顧客の言う「実績が乏しい」で受注ができないのは、その本質を考えて理由を自分が変えられることに置き換えて考えろ。実績を上回るほどにクオリティの高いサービスが提供できなかったから売れなかったんだろう、じゃあ何を変えるのか考えろ。
自責思考は、売れない理由を商品力に求めがちな自分にとっては、売れるようになるまで、物事の構造を複数の視点から捉えられるようになるまでに、必要なプロセスだった。
けど、数年経ったとき、
「なんでも」自責で考えたら、身の破滅をもたらしてしまう
こともあると気づいた。
筆者の経験だが、自責思考が「自分を責める思考」になってしまった。テレアポが取れないのは自分のせい→だから、自分が悪い。という、思考停止をもたらし、負の感情に支配され、考え方までネガティブになってしまったのだ。結果、「自分を責める」ことが辞められず、成果も出ない。その後、その悪癖が解消されるまで、半年ほど費やしてしまった。
この経験はいくつかのポジティブな出来事を自分なりに解釈し直すことによって、解決した。しかし一方で、そのようなポジティブな出来事がなかったならば、そして、それをきっかけに振り返りの仕方を変えなければ、筆者は本当の意味の自責思考に気づけなかったであろう。
では、自責とは何か。他責とどう違うのか。
この問いに対して、行き着いた答えはこうだ。
「自責・他責とは、責任範囲の話であり、
責任範囲の一直線上の
どこまでを自責と捉え、
どこからを他責と捉えるか、
の違いである」。
例えば、冒頭の「売れない理由」のモノサシの
左端には、「自分の営業力不足」が存在し、
右端には、「商品力不足」が存在する。
このモノサシのどのあたりに、「売れない理由」をプロットするのか。
営業マンだったら、その匙加減が、左寄りであればあるほど、自責の念が強く、右寄りであればあるほど、他責の念が強いと言えるだろう。
これが逆に、商品開発の担当者だったら、売れない理由はどうなるか。
同じく、左端に、「営業力不足」、右端に「商品力不足」が存在する。
このモノサシの、左寄りにプロットすれば、今度は逆に他責の念が強いことになる。右寄りであればあるほど、自責の念が強い人となる。
今、モノサシを職種という「横軸」で考えてみたが、今度は職責という「縦軸」で考えてみよう。
「売れない理由」を考える際に、左端に「営業力不足」、右端を「戦略の欠陥」と捉えた時に、
営業マンの立場で、「戦略の欠陥」の方にプロットすれば、他責傾向にある人材となるが、もし営業部長だったらどうか。戦略決定者であるため、戦略の欠陥はまさに自責の責任範囲となる。
と考えたら、「なんでも自責で考えろ」という指導は、ある種
大きな苦しみの種にもなりえる、と同時に、やっぱり、成長のために必要な思考でもある。
大きな苦しみの種になりえるというのは、「自分では変えられない(変えるのに莫大な時間や労力がかかる)物事に囚われる」かもしれないからである。営業力に問題はない営業マンが自責で考えて、営業力を伸ばそうとしても、限界まで伸ばし切っていたら、売れない問題の根本解決にはならない。にもかかわらず、そこに囚われる可能性がある。
一方で、成長のために必要な思考というのは、「視点の切り替え→役割を超えた新しいナニカを得るチャンス」かもしれないからである。営業マンであれば、商品に問題があればそれに対して意見を述べたり、より良い商品の開発をリードする役割を担う機会が得られるかもしれない。また、戦略に問題があれば、それに対して意見したり、戦略立案の一助を担うことができるようになるかもしれない。
つまり、自責で考えることによって、悩まなくてもいい問題に悩まされることもあれば、自らの新しいナニカの機会を掴み取ることもできるかもしれない。それに、「成長=できなかったことが、できるようになる」と定義するのであれば、自責で考える≒役割を広げる なので、あらゆる昇格候補者の成長や、キャリアチェンジをするときにおいては、「自責思考で考えさせる」ことは重要であると思う。
同時に、ビジネスの現場において「育てる側」が「自責で考えろ」という言葉を使う時、その危険性は理解しておかなくてはならない。
他責にしがちなメンバーにおいては「自責で考えろ」は効果的な指導(とはいえ、まだいくぶん乱暴さは残る気がするが)と思うが、素直なメンバーは、自責で考えろという言葉をうまく自分なりに使いこなせるほどに、感情と思考を切り離せるかというと、そうでもない。時として「自分のせいでうまくいかないんだ」という感情に苛まれ、自責が「自分を責める」という誤った使い方をされてしまうことだってある。
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