「コロナウイルスによって崩された大学生活」からの脱却

こんにちは。閲覧いただき、ありがとうございます。

このノートは、大学や日常での学びを自分なりにまとめたいと思い、始めました。もともと日記をつける習慣はついていたものの、他人に公開するわけではない、自分しか見ない文章であるため乱文になってしまっていたからです。

インターネットの利便性を最大限に活用しよう思い、始めました。自分が大学を卒業し、社会人として働きに出る際に、このnoteは私自身にどう響くのでしょうか。それが非常に楽しみです。

また、私と同じ大学生の方にも何かヒントを得ていただけるようなnoteにしていきたいと思っております。

さて、初投稿ということで今回は、本noteのテーマである「コロナ禍での大学生活」について執筆していけたらと思います。

私は、在日韓国人です。日本で生まれ育ったため母国語は日本語ですが、中高は東京の新宿区にある「東京韓国学校」という少し特殊な学校に通っていました。この学校は小・中・高等部で構成されており、生徒は私のような在日韓国人、または親の仕事の都合により、韓国から日本へ来た子供達がほとんどでした。中には、アメリカで生まれ、韓国で育ち、日本へ来たといったグローバルなバックグラウンドを持つ友人もいました。

日本の小学校を卒業し、中等部から入学した私は、全くわからない韓国語の飛び交う空間に、非常に戸惑いました。しかし、幸い私の2つほど上の世代から、韓国語で授業を行うK班、日本語で授業を行うJ班に分類するという制度ができたため、友達をつくることが出来ました。

私のように、韓国語が全くわからないという子もごく少数ですがいたため、その子たちと一緒に韓国語を勉強しました。先生が放課後に、無料で補習をしてくれたのを、今でも鮮明に覚えています。今思えば、先生にはとてもお世話になりました。周りには韓国語ができる子がたくさんいて、焦っていた私に優しく指導をしてくれたからです。

中学3年生の頃、私は進路のことで非常に悩んでいました。私は、1時間半かけて学校に通っていたのですが、その際に利用する鉄道に惹かれ、JR東日本への就職を夢見ていたからです。そのため、鉄道科のある高校へ進学するべきか、このまま韓国学校の高等部に残るべきか、頭を抱えていました。

そこでもまた、多くの学校の先生に相談に乗ってもらい、私は大学進学のために韓国学校の高等部に進学することを決意しました。もともと勉強は嫌いではありませんでしたし、もっと様々なことを学びたいと思ったためです。「大学は出ておくべきではないか」という考えも大いにありました。

そして、私は多くの先生や大人たちに支えられ、ずっと夢見ていた大学に合格し、進学が決まりました。私は自身の、先生に支援してもらった経験から教育に興味を持ち、また多様な観点から「人間」について学びたいと、キャリアデザイン学部という、日本に1つしかない学部を設ける大学を志望しました。「自分が大学生になっているのなんて想像できないな」なんて思いながら、最後の高校生活を謳歌しました。

2020年2月、新型コロナウイルスが発生、日本でも流行し始めました。当初は、すぐにおさまるだろうと、そう思っていました。

4月、大学の入学式の中止が決まりました。そして、オンライン授業が始まるため履修を行わなくてはならなくなりました。ガイダンスも中止となり、配布された資料を何度も何度も読み直して履修を進めました。「単位」「ゼミ」「履修登録」… 見知らぬ単語が羅列した資料を読み、使い慣れない大学のシステムを使い、なんとか履修をしました。

そして、本格的にオンライン授業が始まりました。幸い、小学生の頃からパソコンをいじっていたため新たなアプリケーションの取得や活用は何不自由なくすることができました。

しかし、授業はほとんどが資料配布型でした。解説の動画を撮影して公開してくれる先生もいれば、プリント2枚で終わらせる先生など、様々でした。

そんな中で、ZOOMを使って授業をする先生が2人だけいました。直接会ったことのない同級生とオンライン上で顔を合わせ、ディスカッションをするという、自分にとっては前代未聞な体験をしました。人生で2番目くらいには緊張したと思います。しかし、いい経験になりました。また、ZOOM上でプレゼンをするという授業の課題もありました。オンラインでの話し手と聞き手、双方を担うことで見えてくる、新たなコミュニケーションのかたちについても学びました。これについては、今後noteに書く予定です。

授業に課題と、春学期は極めてハードでした。起きてすぐ課題を確認し、授業の資料を読んだのち、課題を遂行する。食事や入浴時を除いては、1日中机に座っていたと思います。取り組んでも、取り組んでも減らない、無くならない課題に疲弊していました。

だんだん私は、自分のことが可哀想だと思うようになりました。コロナのせいで、私の大学生活は奪われた、と。本当だったら今、大学で友達と一緒に勉強をしていたはずなのに、私の目の前にはパソコンと課題しかない、と。どんどんネガティブになっていきました。

特に辛かったのは、6月くらいの時期です。小中高は対面授業が再開し、7月からはGo Toキャンペーンが始まることがわかりました。

大学は始まらないのに、どうして?弟は高校へ行き、父は外で友人と外食をして帰ってくる。孤独感に苛まれました。ストレスが溜まり、過食してしまったことも少なくありませんでした。課題が多い、疲れたと家族に相談しても、ろくに取り合ってもらえず、父には、大学に行っていないため怠慢していると誤解されました。

夏休みには、弟が「夏休みでも学校に行きたい!」と言っているのを聞き、苦しくなりました。私は一度も登校したことがないのに、と。自粛しているのは、大学生だけではないか。目が痛い、課題はもう懲り懲りだ、大学に行きたい。

そんな時、同じ大学の生徒と繋がっているTwitterで、同じ学部の1年生がオンラインイベントを企画・開催していることを知りました。「オンラインだからこそできる学びを」というコンセプトを掲げたイベントを、同じ年齢の学生が開催していたのです。これではいけないと、はっとしました。

現実に文句を言っても、何も変わらない。どんどん堕ちていくだけだ。愚痴を言うよりも、今しかないこの時間を最大限に生きることが、今私のするべきことではないのか、と考えるようになったのです。

私は、誰かに自分の辛さをわかってほしい、自分が一番辛いのだと幼稚な感情を抱いていました。この世の中に、大変で辛い思いをしている人はたくさんいるのだ、そのような人を救いたくて、大学に入学したのに、と。自分がだんだん恥ずかしくなっていきました。

そして、私は春学期の最後に、「コロナが私に与えてくれたもの」というレポートを執筆しました。

コロナは、私たちの生命を奪い、脅かし、生活を壊しました。

しかし、私はこれからも生きていかなくてはなりません。過去を振り返っている時間はないのだと、私の大学生活はもうとっくに始まっている。今、やるべきことをやらなければいけません。

この経験は、私にとって大きな財産となりました。現在は、例のオンラインイベントを開催するコミュニティーに参加させてもらい、友人もたくさんできました。イベントやTwitterを通して、多くの人と接する機会を手にしました。

これが、私の大学生活のスタートでした。少し遅れをとってしまいましたが、かけがえのない大学生活を悔いのないよう生きようと、強く決心しました。

そして、ずっと始めたいと思っていたnoteを、今日始めます。

私のアウトプットの場です。

自由にのびのびと、私の学びについて綴っていきます。

ご覧いただけると幸いです。よろしくお願いいたします!(^-^)


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