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成果主義とパワハラ キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(46)

 先週の木曜日はひな祭りでしたね(註:毎回のことで申し訳ありませんが、このメールニュースを出したのが2005年3月9日だったもので)。
 いつも仕事にかこつけて家を空けているので、その罪滅ぼしにと子供にアップルパイを買って帰りました(なぜひな祭りにアップルパイか? それは私が好きだから)。

 帰りの電車は車両故障があってとても遅れて、しかも満員。
 やっとの事で駅について階段に向かうと、後ろから来た人が私の大切なアップルパイにぶつかって抜かしていって知らん顔。
 改札口では「何で遅れたのにアナウンスしないだ! (-_-メ) 」と駅員に怒りをぶちまけて、一方的にまくし立てたあげくに、何も聞かずに去っていく人(「何で」と聞いたのに返事をもらわないという…)。
 外の階段を下りようとすると、踊り場の真ん中で立ち話する若い女性二人組、のいてくれない。
 避けようと思うと、今度は前から来た女性がアップルパイにぶつかって、そのまま何も言わずに去っていく。

 なんだかみなさん怒ってますね。
 怒りのパワーがみなぎっているといいますか。
 なんだか怒りをエネルギーにして生きていこうとしている、怒りというエネルギーでしか動けなくなっているのではないかと、ちょっと心配‥‥

★ハラスメントは成果主義のせい?

 自分の地位や権限をかさに着て、自分より権限の低そうな人に圧力を掛けることをパワハラ(パワー・ハラスメント)というのですね。
 先の駅員さんへの暴言なんかそうではなかろうか。

 モラル・ハラスメントというのもあります。
 3年ほど前にこれをテーマにした本が発刊されて以降、最近よく耳にするようになりました。

 ところでこうした嫌がらせが横行するのその原因の一つに「成果主義」があるのだそうです。
 また成果主義のせい?
 何でもかんでも成果主義なのねぇ。
 パワハラについていえば、そんなことをしそうな無能な人を上司に祀り上げたのが原因なのであって、それでいえば「年更序列の人事制度」の結果なのではなと思うのですけれど…

 ハラスメントの源に成果主義あり! の論拠は、
「結果が求められるあまり、自分の仕事ばかり考えるようになり、職場がぎすぎすする」
「お互いに助け合うということをしなくなる」
「求められる結果はこの経済環境であるから当然厳しく、同僚や部下の面倒を見るような暇もない」
「ストレスがたまるが、うち明ける相手もいない。なぜならみんな忙しいし、そうでなくても、もしリストラになったら最後のいすを巡って争うライバルになるかもしれないから」
というようなものです。
 厳しいノルマに追い立てられて心を失っているというわけでしょうか(ここで報道番組などでは「そうですね、忙しいという感じは心を亡くすと書きますからね」という分かったような分からないような合いの手が入ります)。

★目先のことを追う上司

 はたしてそうでしょうか?
 何度も触れているように、成果とは「求める結果」です。
 組織が求めるところの成果というのは、当面の利益もあるでしょうけれど、来年も再来年もその次の年も利益を出し続ける、株主に配当し続ける、つまりgoing concernということのはずです。
 組織が常に成長し続けようと思えば、目先の収穫ばかりにとらわれず、土を耕し、種をまくということが不可欠です。
 目先の結果を追い求めていて将来があるとは思えません。
 結果に追いまくられて・・・というのは「成果主義」だからではなく、目先のことにとらわれすぎだからです(それこそノルマなんて本当に当面のことでしかありません)。
 そのようなマネジメントしかできないという、マネジメント力、組織力のなさを露呈しているに過ぎません。

 「お互いが助け合うことをしなくなる」のは、個別に求める結果を割り当てる方がよいと管理職が誤解しているからです。
 一人だけでは達成できることが知れているけれど、チームにすると相補作用、相互作用が働いてより大きな成果を達成できる-それが組織として仕事をする理由です。
 その組織の良さを引き出せるような「成果」イメージを、メンバーに共有させるのが管理職の役目です。
 組織でありながら自分のことしか考えないメンバーばかりになっているとしたら、それはその組織の管理職、あるいはそのさらに上の上司に問題があるのです。

 それに、管理職ができないならメンバー自身がどうにかするしかない。
 そのためには、自分たちが達成すべき成果とは何かを、考えられなくてはいけない。
 厳しい言い方だけれど、無能な上司を持つことに愚痴を言うなら、その事を打開できずにいる自分たちのことも愚痴るべきだと思います。
 いや、組織にいる以上、上司には逆らえないだろう。きれい事をいうんじゃないよ、と仰るかもしれませんが、これまで組織を変えてきた人はみんな、どうにかしなくちゃと思ってできるところからこつこつ変化を積み上げていった人たちばかりです。
 誰かがどうにかしてくれると思っている限り、誰もどうにもしません。ほかの誰かが「誰かどうにかしてくれ」と思うときのその「誰か」が自分だったりするわけです(註:あ、もちろんどうにもならない状況というものもあります。その場合、身を守るために、ちょっと古いですが「逃げるは恥だが役に立つ」なので、「早めに名誉ある撤退」も検討しましょう。ちょい早めがミソです。遅れると考える気力さえ削がれますから)。

★目先を追っているのは上司だけ?

 一方、個人の側も、目先の成果しか追えていないことが問題です。
 個人にとっての最終的な成果とは、「なりたい自分になること」です。
 そのために何をすべきか、ブレークダウンすれば今日やることが分かるのです。
 具体的に今日やることまでブレークダウンできなくても、遠い視点になりたい自分があれば何とかやっていけます。
 やりたかないけれどこの仕事を完成させて評価を勝ち取って、そして次はあの仕事にトライしよう。
 そう考えるから今の仕事にも我慢できたりするんです。
 そりゃ、やりたかない仕事だと、へこんでしまうときもあります。
 そのとき、へこみ具合を少なくしたり、へこみからの回復を早めるのは、自分にとっての長期のキャリアの方向性が分かっているとき、「なりたい自分になろうとすると今は・・」という割り切りがあるときです。

 また、先週も書いたかもしれませんが、ぼろぼろになるまで働かなくてはならなくなるのは、「ここまでやれば自分としてOK出せる」というめどを持っていないからで、あの人から見たらどう思われるかと他人の尺度で考えるからであったりもします。「先に帰ったらなんと思われちゃうだろう」とか。
 自分の身を守るのは、自分にとっての長期、短期の成果をはっきりと認識しておくことです。
 それができていれば、誰に何をいわれようが、自分なりにOK、満足感が感じられるのです。
 え? その自分なりにというのは自己中心的すぎないかって?
 そんなことを気にする前に、まずそれからできるようになりましょう。
 それができるようになったら、今度は周りの期待にも目を向けてみましょう。自己ゴールを達成した勢いで、今度は周りの期待レベルを超えてみようじゃありませんか。

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