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人生のお散歩道

お通夜に行った。

こんな時期だけど。

本当に心から尊敬する空手の先生の、お通夜。

門下の師範代(っていうのかな?)からご連絡をいただいても、全然、ホントに全然、言っている意味が分からず、もののけ姫のコダマくらいカタカタと首をかしげ、でもとにかく、お通夜に出たいです、とだけ言い、沖縄から東京へ行った。

喪服もない。

沖縄に行く際にすべて捨てた。

数珠はもちろん、黒い靴もない。パールどころか、ストッキングすら、ない。

でも、とにかく、行きたい、と思った。

全然実感がないから、おなかは減る。親子丼とかカレーとか唐揚げとか普段よりよく食べる。美味しい。

ワタシ、ツメタイナ。

全然、全然。実感ない。お通夜がいつ、お葬式がいつ。予定はちゃんと頭に入ってる。なんならデパートで黒いワンピースを見つけコレ買おと思うくらい計算も働く。

なのに。全然。体感がない。

ワタシ、ツメタイノカナ。

先生はご病気で亡くなられた。入院されていたのに、一度もお見舞いに行かなかった。行けなかった。どこの病院もそうだと思うけど、家族すらお見舞いの制限があり、ましてや弟子など行ける余地もない。

遠くでひんやりと、長くないんだろうな、と思いつつも、見ないふりをしていたのか、見ても見えないのか、体感がなかった。

亡くなった、と知らせを受けても

人って、死ぬんだ

という、今そこなんかい!くらいの感慨だった。※ちなみにすでに祖父・父・祖母の順で見送っており、死は結構身近です。でもたぶん何人見送っても、コダマのように頭をカタカタとかしげるような気がする。

お通夜に行っても、よくわからなかった。なんか泣いちゃうし、知らない宗派のお葬式についてへぇと興味が湧いちゃうし、お焼香の作法間違えないかドキドキしちゃうし。

どこまでも、コモノ感丸出しで、田舎から迷い出たタヌキの様相でポテポテト祭壇に向かった。

最後に先生とご挨拶する時間をいただくことができ、棺をのぞき込んだら、嗚咽が出た。

先生、死んじゃったの

やせちゃった顔立ちは見知った先生の顔立ちではなかったけど、とてもきれいで、どこまでも求道者だった。

私に道を教えてくれた人だった。

空手を通して、生きる道を示してくれる人だった。

ものすごく探求心に満ち溢れ、慈愛深く、求めるならタヌキにすら門を開く人だった。

全然飾らず、誰にでも敬意を払う人だった。

そしてすばらしく空手の腕のたつ方だった。

ひねくれもので論理的ではないことは大嫌いな私に、ものすごくはっきりと道を照らしてくれる人だった。指導者として抜群で、技を極める道とは螺旋階段のように続いている、ということを目に見えるように分からせてくれる人だった。

へっぽこな私がへっぽこへっぽこ型をやっている時には、「いいよ!それでいい!」とほめるのに、ある時何かアレもしかして?と気づき始めた瞬間を逃さずに「こうだ!」と指導が入り出す。慌てて???とワシャワシャ走ると次のステージにいる、みたいな。再び「いいよ!それでいい!」とほめ出す。また次にアレもしかして?と何か気づき始めた瞬間に指導をする、という教え方で、繰り返すことでしか気づない何かを弟子が気づき始め登るタイミングの見極めが、ものすごかった。

私には夢があった。

この先生の物語は、私が描きたい

それは、夢だった。

そこそこ文章は書ける。でもそれで生きてはいけない。この程度の人は履いて捨てるほどいる。

先生の物語を描く、は、遠い夢だった。きっと、このまま、今生の夢、で終わる夢だった。

でも、先生の棺をのぞき込んだ時に、

絶対、描く。

絶対、描くから、待っててください。

そう思った。

だから。描く。

約束をした。

会場を出た後で一緒に空手を習っている方に「先生にお礼言えた?」と聞かれて言葉に詰まった。

棺のぞき込んで最後の挨拶するときに、お礼も言わない弟子にも寛容な先生の物語は、私が、描きます。

のん気にお散歩ばかりしている人生も楽しいけど、この道を進む。

先生の物語はこれから始まる。

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