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黒アゲハの足あと

台風の翌朝、風はまだ強かったが空は晴れ渡っていた。
私はつっかけを履き背伸びをしながら外へ出た。

台風の後の空気はなぜこうも清々しく感じるのだろう。

大きな台風が来るというので植木鉢やら日頃は庭に置いてある諸々を慌てて倉庫にしまったが幸いにこの辺りはそれほどでもなかった。
風は強かったが雨は伴わなかった。
倉庫にしまった植木鉢を早速庭に出して日に当ててやろう、そう思い私は倉庫の扉に手をかけた。
勢いよく開けると、どこにいたのかヨレヨレの黒アゲハが足元に落ちた。

死んでる?

二枚の羽がよれてシワシワでアイロンでもかけねば戻りそうには見えない様相だった。
羽を持って摘み上げると黒アゲハの足がわずかに動くのが見えた。

台風でやられたのか。

素人目にみてももう死を待つだけの蝶に見えた。
もう飛ぶことはできそうにない。

そのまま地面に戻そうか一瞬考え、私はその黒アゲハを持って歩き始めた。

うちの庭に唯一咲いている花があった。

私は夏の暑さの中でもへこたれずに咲いているマリーゴールドのところにその黒アゲハを連れて行ってやることにした。
ただの気まぐれだ。

黒アゲハはマリーゴールドの花の上に乗せるとちゃんと自分の足で花にしがみついた。
どうにか歩くくらいはできるようだ。
花はそれなりにある。
数日間の食糧くらいにはなるだろう。

黒アゲハがどんな最後を迎えたかったは知らない。これがいいことなのかも分からない。
ただの自己満足でしかない。
誰もがそれぞれが考え良いと思う選択をして生きるしかない。
私の良いと思う選択が誰かにとっての禁忌のことも当然ある。
それを意識した上で、そのときどきで私が考える良いを選ぶしかない。

しばらく後にもう一度マリーゴールドのところへ行ったら黒アゲハはマリーゴールドの葉の影に移動していた。
葉を掻き分けると慌てた様に逃げようとする姿が見えた。

ごめんごめん。
おどかすつもりはなかった。
ただ気になっただけ。

これ以上かまっても蝶にはストレスのようだったので私はそれきり黒アゲハを忘れた。

それから四日後、思い出してマリーゴールドを見に行った。
葉影に黒アゲハはいなかった。

かわりに。

あ、そっか。
…そっか。

マリーゴールドの根元あたりに黒アゲハの羽のカケラが落ちていた。
…そっか。

なんとも言えない感情が浮かんでは消えた。
後悔、懺悔、悲哀、驚き、納得、虚無、虚心。
どれもそうのようでどれもぴったりではなく、なんとも言えないとしか言いようがなかった。

そっか。

生きているといつかなにかの形で死ぬ。
黒アゲハは誰かの血肉になったらしい。

そっか。

私の気まぐれの行動が黒アゲハにとって何か意味があったのかわからない。
ただの自己満足に感謝を求めるほど厚顔ではない。

ただ。

私にとって台風明けの黒アゲハとの邂逅はなんらかの意味があった。

なんの意味なのか今は分からないしもしかしたらずっと分からないかもしれないけれど、たぶんなにかの意味を感じた。
私の中に黒アゲハの足あとが残った。

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