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ヴィンランド・サガ:嫌いな何かがいる時にはコレ

【ヴィンランド・サガ:幸村誠】


子供の頃、右手が嫌いだった。嫌いすぎて、何度叩いたか分からないくらい、叩いた。
5歳くらいの頃にピアノを始めた。「始めさせられた」が正しい。
年子のねーちゃんと一緒に。この年頃の1年ちょっとの年の差は大きい。ねーちゃんがすぐできるようになることが私にはなかなかできるようにならない。泣きながら練習しても右手は全然思う通り動いてくれない。私は典型的な左利きで、右手はとんと不器用だった。左手でできるようになることが、右手ではどうしてもできるようにならず、右手をがんぜない子供をしつける様に叩いた。
今にして思えば、小学二年生の頃の担任の先生が自分に従わない子を叩く人だったので、その影響が強いと思う。
いまなら普通に虐待レベルの話だ。

そんな心理状態でやってピアノが上達するわけもなく、10年やって止めた時には、やや器用になった右手と、それを叩いて従わせればいいと思う自分。あの10年は時間の無駄だったんじゃないかと思わなくもない。

「お前に敵などいない」
こんな話は、子供の頃に知りたかったよ。誰か、子供の頃の私に終えてやってくれよ。「右手は敵じゃない」と。
自罰的か他罰的か、なんて、方向性の違いでしかなく、やっていることは一緒。頭で考えるこたえに沿わないモノは罰するという点において一緒。フラットに見ることができず、頭で考えたこたえが「正義」で「正解」でそれ以外は罰するものだと思い込んでいる点でどちらも視野は狭い。


できれば、攻撃する前に「敵などいない」と知りたい。散々殺しあった挙句に多大な犠牲を出した上で「とっくに友達じゃん、俺ら」とかいうたわけた結論を出すのは避けたい。

アイツ、スッゲー嫌い
と思っている時には、自分の中に同じ面がある。


自分で自分のその部分を毛嫌いしているか、見ないふりをしているか、わからないけど、自分の中にヒキガエルのように疎ましく、同じ部分がある。

ヴィンランド・サガ。すごい物語。
読めば読むほど、自分の中に潜っていく。良い物語は深い内省を促す。

ホントに命のサプリメントだな、と改めて思う。
みんながマンガ読んだら、この世から戦いはなくなるんじゃなかろうか。

https://afternoon.kodansha.co.jp/c/vinlandsaga/


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