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私がnoteを始めるまでの変遷

私は今からずいぶん前にいくつかのブログを書いていました。

例えば、ライブドアブログで始めた、会社辞めるまでのカウントダウンをつづったブログ。
そこでは、会社に「辞めようと思います」とに伝えてから約1年間、社内の出来事や上司の反応、部下の反応、自分がやってきたことなどを綴っていました。新卒から25年間務めてきた会社だったので、会社が好きだったし、会社への思い入れがあったのですが、10年後を考え、会社を辞めて次の道を考えようと思っていました。
当時、私はこれから自分は人生の大転換をするのだ、という強い意気込みもあり、それを書いていこう!と思っていました(苦笑)。

例えば、アメブロで始めた、遺影について思っていることをつづったブログ。
私はずっと、年齢を重ねた顔(顔つき)にとても興味がありました。目鼻立ちだけではない何かがにじみ出た顔。その究極が遺影だと考えていたのです。超高齢な人の顔には、時には男女がどちらかはよくわからないこともあるけど、「いい顔してるなあ」とつくづく思うことがあります。一方でそうでない顔もある。そういう顔とそうでない顔を何が違うんだろう? そんなことがずっと気になっていました。
芸能人の遺影や、出席したお葬式で見た遺影などについて、勝手にああだこうだと書いていました。当時は家族葬なんてなくて、仕事関係など、ある程度お付き合いがあればお葬式に行くのが普通でした。知らない故人の葬儀では、ただ目の前の遺影を見て、いろいろ想うことがあったんです。

例えば、Googleのブログサービスを使って、会社を辞めてから日々思うことを書き始めたブログ。
広告業界でずっと働いてきた私は、気になる世の中の動きについて、意外に会社の人とよく話していました。こんなことがあった、時代は〇〇だよね、これからは〇〇なことが始まりそう、と。でも会社を辞めたらそういう相手がいなくて、今思えば、どこかで吐きたかったのが、書き始めた最初かもしれません。特にテーマを設定するでもなく、時の経過とともに私の興味対象が変わり、ブログタイトルもコロコロ変わり、とりとめなく書いていました。

いずれのブログも一度書いたものを見返したり書き直したりすることもありませんでした。誤字脱字が多く文章もひどいし、まさに誰にも見せない昔ながらの日記のようなものです。
ネット上で公開しているくせに、何のために書くのかが自分の中では定まっておらず、それでお金を稼ごうなど考えたこともないし、そういう仕組みがあることも知りませんでした。

何年か経つと、「目的もなくブログを書いてどうするの?」と言われるようになり、初めて自分でも何のために書いているのかを考え始めました。
そのころ、注目されていたのがWordPress。WordPressなら、ブログシステムだからホームページも自分で作成できる、修正も簡単。
ブログも、WordPressで書けば、自分の資産になる、との話に、ではやってみようかと、自分のホームぺージをWordPressで作成し、そこにコラムとしてブログを書き始めました。会社を辞め、個人事務所として仕事を続ける中で、そろそろ自分のホームぺージをきちんと持たなくてはいけないかなと思い始めていた時期でもあったからです。
ところがいざ始めたら、なぜかブログを書こうというモチベーションが上がらない。従来から書いていたブログをやめたのに、結果的には自身のコラムもほとんど更新さえないものになってしまいました。

noteの存在はずいぶん前から知っていました。
私が知りたい情報を検索すると、note記事が出てくることも少なくないので。でもこれまでのブログ遍歴や、自身のホームぺージ上のコラムの更新がまばらになったことを考えれば、自分がnoteで記事を書くつもりなど、当初はありませんでした。
でも、始めてみよう!と思います。

ふりかえってみると、かつてブログを書いていたころは、自分がどこに向かいたいのか、何を思うのか、自分の頭や心を整理する時間になっていた気がします。
当時より今の方が時間がないし忙しいのですが、今、私は自分のことを考える時間が極端に減っている。そのせいで忙しそうな感じに自分でなっているような気もする。ここは、以前のように「自分をふり返りながら書く」時間が必要なのかも。でもどうもなかなか続かない・・・

でも、noteにはモチベーションを上げてくれるいろんな仕組みが揃っているのだとか。そんなことを最近教わりました。
それなら書かなくなってきた私が、続けられるかも…。
果たして新たにnoteを始めて記事を更新し続けられるのかどうか。
もし続かなかったら、やっぱり駄目だったのねと、どうぞ笑ってください。

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