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I-12)新卒で働いた会社を、4年目の年末で辞めました

こんにちは。ここに見に来て下さりありがとうございます。

 連休だし、そもそもStay Homeだしで、みんながノートを見ている?ノートを始めて今日で14日目、ビュー数がまもなく1300。スキもその10%近くなり、書く励みになっています。

 嬉しいのは離れて暮らすひとり息子とその友人から、楽しく読んでいるらしいと聞けたこと。好意的に受け止めてもらえるのは、ありがたいですね。さて、退職のこと書いたらまもなく出産のことを書きます。あ、その前に転職のエピソードでした。よろしければ、またしばらくおつきあい下さいませ。

 まず、今回の記事は「年次統計」のご紹介から。大卒の初任給について。

私が退職して転職したくなったことに、実は少しばかり関係があります。1989年ころの数字をご覧下さい。二年卒で入社した私が、二年や三年頑張って働いても、数年後に入社してくる社員(すなわち同い年や若い方)にはどうしたって追いつかなかったのはしょうがないにしても、私特有の事情で心に棘がささってたんですよね。

 当時私の勤務先はアメリカ企業で、生産拠点を除いたほとんどの社員は中途採用で入った方たち。秘書も含めジョブマーケットの需給を考慮して年収が決まってました。それに前給アップで入社されていらしたかと。かたや、社内には給与規定があり、”年齢給の表”があって100円単位まで額が決まっていました。成果主義なんて出現前です。なので、自分が何年働くといくらだと明快でした。

 一方、この表にもあるとおり、年々新卒給与の上昇率はすごかったです。それはオープンになっているので既存社員も知っていました。仕方がないことなのですけれど、私は二つの理由でへそを曲げていました。

一つ目。外資系の給与は割と弾力的で、一般的にポジションがあがるとペイはアップ。秘書もついている上司のポジションで給与が変わったことも。なので私に対して、若いのにいい給与をもらえているでしょ、と言われて悲しかったのです。(事業部内で最も若い部類でしたので、ほぼ最低金額でしたから。)いちいち聞き流せなかったのは若さゆえ、ですね。 

 もう一つは、私が思うところあり、自分なりの判断、覚悟をもって18歳の夏からとった進路選択からでした。早い話が受験をして、一応希望の大学(英米文学科)に合格したのですが、2年制で学ぶことにし、その(文部省認可にすらなっていない)各種学校扱いのところでの学びを経て就職したからでした。この学校は今はもう存在しませんが、二年間で外資系企業に採用されて使える人材になるために、と色々なスキルを身に着けさせる訓練所のようなところでした。

 女子大生がメディアによく登場していた頃ですが、私はごく真面目に勉強をして二年間過ごしました。高3の夏休みに学長から日本の将来の人口減や年金の問題、女性の経済的自立並びにキャリア形成の重要性などについての話を聞き、そこそこ進学校だった県立高校でその後も大学受験の準備をするうちに、自分の大事な将来について、自分はどういう選択をするのがベストか、と考えるようになったのでした。当時はコネヨンといって女性は大学を卒業すると(コネがあっても)採用試験は4倍なほど困難、と耳にした頃でした。

 何のために自分は大学に行くのか。夢に描いた職業もあったけれど、経済的にも進学はできたけれど、なんだか絶対大学生になりたい、と思いきれず。悩みに悩んだ末、とりあえず大学受験をして合格の結果を出してから(受かっても迷わなければ)その専門学校のようなところに行けばいいさ、と迷いまして。結局、合格通知を頂いた大学にはどこにも行かないことにしました。一週間悩み抜いた末の決断でした。

 そうして結局、気になっていた各種学校に二年間通ったのでした。(通学なのに通学定期を買えない学校でした。)高校の先生には、複数の大学に合格しておきながら進学しないとは理解に苦しむ、と言われたので、卒業式はギリギリに式が執り行われた体育館に行って卒業証書だけ受け取り逃げるようにして学校を後にしました。

 さて、その各種学校では全ての指導が厳しく、速く正確なタイピング技術習得の他に、英文速記も習いました。こんなものです。(まだ教科書を捨てずに持っている私。)

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 ミミズが這ってるようですよね?耳で聞く英語を発音(音)で書きとるんです。当時はボスの話す英文を速記ノートで素早く記録し、それを見てあとでタイプする、というのが秘書の仕事の一つでした。(私は就職後、使いませんでしたが。)SalesのStaffのEngagementとか、みんなささっと(自分でしかわからない)メモを今でも書きますよ。あ、今はそんなに頻繁に英語の会議には関わらなくなりましたが。

 そんなこんなで、自分で選んで四年制大学に行かなかったことが、勤め先でいくらハードワークしても、待遇面でこうきますか?と思ったので、不要に心がざわついたんですよね。以前の記事で書いたとおり、求められず辛く思った背景は、こんなことも関係していたのです。

 ところで、前の記事で体調不良に悩まされたと書きましたが、言うまでもなく体の不調は心から。もっと言えば、出発点は物事、出来事に対する捉え方、考え方が大きく影響しますしね。ま、他にも転職すれば給与のアップは期待できる時代でしたし。それに退職(転職)しようと思ったのには、もう一つ理由。社内結婚だったこともあります。幸い、「当時としては」すすんだ会社でして、夫婦のどっちかに辞めろ、と言われたりはしませんでした。(私の友人は当時この理由で多くが専業主婦になりました。そういうことが普通の時代でした。)しかし帰宅後、会社のことをあたまの中から切り離せるようにしたかったので、私が辞めることにしました。新卒で入社して4年目の年末のことでした。

 

 

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