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演劇鑑賞〜わからなさと向き合う〜

こんにちは!今日は演劇を見てきました😊

今年1月に、この台本・演出をされている山口茜さんの朗読劇ワークショップに参加して、すっかりファンになり、山口さんの作品があれば行きたいなと思っていました。で、今日の「透き間」で実現したわけです。

毎日書くと宣言したけど、またもや22時過ぎ・・観劇後に一緒に見に行った夫と感想が食い違い、THE大阪の地元中華料理屋さんであつくわいわい話してしまったために帰りが遅くなり、眠い時間に書くこととなってしまった・・書けるかどうかわからないができるところまで書く・・

あらすじはこんな風に紹介されていました。(HPより引用)
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母に遊びを禁じられて育ったネリネは、透き間風の吹きすさぶ荒涼とした心を隠して生きてきた。有名な小説家の恋人の座を得た彼女は、とある“しきたり”に縛られた山岳地帯への取材旅行に同伴する。山の権力者たちはネリネの正体を本能的に察して恐れ、排除しようと躍起になるが、その抑圧をバネに次々に山人たちの心を掌握し、しきたりをも操る座を手に入れるネリネ。しかし彼女がそこで観たものは、彼女自身も気がついていなかった原風景だった――。
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6名の俳優さんが最初から最後まで身体を使い、言葉を使って演じた2時間半(休みなし)。すごく濃厚な時間でした。ダンス、ラップ、演技がすごい・・呼吸が聴こえるくらい近くで表情、手の動きをみることができて満足。

観終わった後の私の感想は、「OH久々にわからない感じのおわりキター!結局、どうなったってこと〜!」でした。それでも私は上映台本・演出の山口さんと感覚が近い気がしていて、あまり違和感はなかった。こういうことかな?いや、こうかもしれない・・もうちょっと自問自答しよ♪と思っていたが、夫はもやもや戸惑っていた様子。

そしたらアフタートークがすごくおもしろくて、結果的に解説になった部分もあり、思わず話を聴きながら「おーそういうことね」「その解釈同意。」「そっちかー」と心の声をもらしながらきいて、夫も私もそれぞれに納得が深まった感じでした。

明日もあるようなので、ここからはネタバレ注意。アフタートークで聴いたこと、思ったこと。ゲストスピーカーの泉宗良さんという方が、一生懸命言葉を探しながら自分の思ったことを伝えていてとっても素敵でした。それを聴いて「なるほど!ありがとう!」という山口さんも素敵で、息をのんで聞き入った。

・この劇は「透き間」というテーマで、舞台芸術にもさまざまな透き間があった。人間の社会の透き間って何を指しているのか。そして透き間があると埋めようとしてしまう人間のサガ。そもそも、アフタートークという形で、この公演の透き間を埋めても良いのだろうか問う疑問を感じてしまうくらいだ By 泉宗良さん  izumi sora @sora_usagi19

・透き間を人間は(大人は)どうしようか・・って右往左往するけど、自然は、子どもは透き間をいともたやすく乗り越えたり埋めたりそのままみつめていたりする。

・「意味がわからない」ことは誰の責任なのかと考える。意味がないものが存在してもよいのに。言葉にしない・できない人間もいる(劇中では村人は文字を読み書きできない)そういう存在を守りたい気持ち。

・人はおきてをまもって人間になる、人間然としなくてはならないと思っているんだろうな。

・結局・・社会を変えられるのか。社会を変えようというのは独善的な利己的な正義感なのか。社会は変わらないけれどもせめて、内面は変わったという捉え方をすることはできる。この劇中では私の正義感を一回殺したのだ。(!!!)

・最近「やさしさ」をリソースと捉え、分配するという考え方をよく見聞きしていて、それについて考える。国家が個人の内面にも入り込んできている。やさしさには限りがあるのか・ないのか。自分がやさしさと思っていたことも相手にはそうではなかったり逆もあるのだ。自分が与えたい・届けたい・全力でできることをやるということは、相手が与えてくれること・できることを阻害することもあるかもしれないという視点もある。

・子どもを育てる中で自分が変化をした。この子を守らないと。この子のためによりよい社会を!と思ってきたが、それって、この子を含めた若い人たちの力を信じていないことかもしれないと思う。1人1人ができることがあるのだから、私がやらなくたって自分でやるよねってこと。

という感じでした、あくまで私の捉え方です。最後に居ても立っても居られない感じで客席から手を挙げて感想を言った方がいらして、それもすごくよかった。身体性と女性の主体性について。他人の欲望に従う自分と、自分が生きたいように生きる自分がいる。この前の授業でもやったけど、いろんな自分がいるんだよね。関わる人や場所によって変わって当たり前だし、矛盾や葛藤がありながらも、自分を表現しながら生きるしかないのだ。

というわけで、それを中華屋さんで延々とノンアルコールで話してたんだけど、「前にも演劇の感想が大きく食い違ったことあったね」と夫に言われたけどしばらく思い出せなかった。一緒にいろいろみるけど概ね近い感想を持つことが多いんだけど、そんなことあったかなと。で、後で思い出したけど詳細は思い出せなかった。やはり、思ったことはすぐに言語化しないと忘れてしまうのだ!で、今日のことはいろいろ書いてみました。書こうと思ったらやはり「あれ、これでよかったかな」と振り返れるので、はやり描くことは大事。明日からもたんたんと継続します!おやすみ!


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