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自分と人を比較することは

人は小さいときから何かと比較されて育つ。
身近なところでは兄弟や姉妹であったり、学校の同級生だったり。

それは社会に出てからも続く。同僚との比較だったり、ライバル企業の担当者だったり。

社会の中では、人と比較するからこそ、自分の存在をわかりやすく感じることもありますが、比較が行きすぎると苦しくなることも多い。

今回はざっくり「人と比較すること」を考えてみました。

1.「取りっこ」によるチーム分け

自分が学生時代にあったのが、この「取りっこ」というチーム分け。
(正式な名称はわかりませんが・・)

今、改めて振り返ると、けっこう残酷なやり方だったかも。これは、例えばサッカーとかのスポーツで、2つのチームに分けるときに使われます。
まず、その種目のウマい2人がリーダーとなって、じゃんけんをします。
勝った方が、みんなの中から、ウマいと思ってチームに加えたい人を選びます。じゃんけんで負けた方は、次にウマいと思う人を選びます。
そして、またじゃんけんをしてチームメンバーを次々に選んでいく。

このとき、自分がいつの段階で声がかかるのか、けっこう不安になる。子どもながらに、メンバーの中で比較され、序列をつけられる。特に最後のほうになると「〇〇くんなら、いらなーい」とか「こっちもいらなーい」なんて言葉も出てくる。今、思えば厳しい言葉であり、言われた子どもは傷ついていたのではないだろうか。
今でもこの「取りっこ」によるチーム分けがあるのか、わかりませんが、最後の方まで残る子どもにとっては、比較されるつらさを感じる瞬間ですね。

2.デジタルな世界が進むと

社会に出ても、もちろん人との比較は続く。
働いている人が「自分はダメだ」「できていない」と話すときには、誰かと比較して話していることも多い。同じ部署で働く「〇〇先輩のように働けない」「同期と比較されて、自分が劣っている」とか。

これからさらにIT化が進み、AIが身近に使われる時代を考えると、ますます、わかりやすいカタチで比較されることも増えるのではと思います。
例えば、仕事のスキルや日常の行動もデータ化され、数値化することで、より比較されやすくなるとか。「この人の生活指数は〇点」とか「この人の社会人スキルは〇点」とか。
まあ、まだまだ先の世界かもしれませんが、IOT技術が進展し、簡単にデータが集められるようになると、これまで曖昧だったものが、いろいろな場面で比較しやすくなるかもしれませんね。

3.比較することは悪いのか

カウンセリングの世界では、「一人ひとりは誰にも代えがたい存在であり、尊重されるもの」といった人間観をもつ。その人の独自性を認めて、受け止めることから始まります。

なので「Aさんがこうだから」という比較をして、自分自身を理解するようなやり方はあまりしない。カウンセリングの場面では、クライエントが自分自身の存在をきちんと認められるよう、サポートすることが多い。

だからといって、日常生活を「人と比較するな。自分は自分だ」という考えだけで、押し通すのも、ちょっと難しい気もします。

私自身は「自分自身をきちんと持って、人と比較すること」ができれば、悪いことではないと考えます。単に「優劣」を決めるのではなく、自分のことをより客観的に理解するために、考える材料にすること。
自分をより深く理解するため、ポジティブな気持ちで「比較」を使えたらいいですね。
もちろん「人はひと、自分は自分」という基本的な前提を理解したうえでになりますが。







感じて、考えて、表現します。「そんな考え方もあるね」と思ってもらえたら幸いです。