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遺産相続争いを手伝った話・後編

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知人・山本幸雄氏の遺産相続争いの手助けへのモチベーションは、低下の一途を辿ってゆきます。

恩返しになどなっていない

裁判が開かれ、弁護士から文書が届くと、幸雄さんから私に連絡が入ります。その都度、仕事の後や休日に彼の家を訪ね、打ち合わせを行いました。

そのたびに、ジェーンさんが滅茶苦茶美味しいコーヒーと共に、ケーキやクッキーを出してくれるのです。

しかも、別の日にジェーンさんと会話する中で、彼女自身は幸雄さんの遺産相続争いにはさして興味がないことも分かってきました。「彼は頑固だし曲がったことが許せないから、諦められないのよ」とも。

あれ? と思いましたね。

待て、景介ッ! こんなもの! これっぽっちもッ! ジェーンへの『恩返し』になんかなってねェェぞォォ――――ッ!!

って『ジョジョの奇妙な冒険』の絵柄で叫びたくなりました。頬を伝う汗も下から上に流れました。ジェーンさんへの恩返しのつもりで始めた手助けのはずが、結局ジェーンさんからコーヒーやら茶菓子やらをいただいている。

ぬらりひょん、という妖怪をご存じでしょうか。ゲゲゲの鬼太郎では妖怪の総大将として描かれていますが、あの妖怪ってどうやら、夕方の忙しい時間帯に勝手に人の家に上がり込んでは、お茶とか飲む奴らしいんですよ。

あ、俺か。俺じゃん。ぬらりひょん。

結局金のためなのか?

幸雄さんとの打ち合わせの中で、彼は常に自分が勝ち取るべき金額を気にしていました。

計算によれば父親の口座に振り込まれた金額は合計500万円近くとなり、宮崎氏がそれだけの金額を盗み取ったというのが幸雄さんの当初の主張です。

しかし、ここには大きな勘違いが含まれていました。

宮崎氏が仕組んだ各種保険や手当の受給を受けるには、保険料などの支払いが必要でした。また、父親が日本で終末医療を受けていた際、宮崎氏がその看護のために引き出した必要経費も、幸雄さんは考慮していませんでした。

そもそも、幸雄さんが期待していたほどの金額など、遺産としては最初から残っていないのです。

宮崎氏が私物化した分は取り返さねばならない一方、彼が幸雄さんの父のために用いた金額については引き出しを認めなければなりません。その度に幸雄さんは言います。

「また貰えるお金が減った」
「どんどん貰えるお金が少なくなる」

こうした彼の不満の言葉が、徐々に私の心を削ってゆきました。

だってこっちは、無償でやってるんですよ? アメリカでの貴重な土日や妻との時間を費やしてまで彼の手伝いをしてこれたのは、それが正しいことだと、幸雄さんの父の名誉を守ることになるのだと信じられたからです。なのに聞かされるのはお金の愚痴ばかり。信念が、徐々に揺らいできました。

揺らぐ信念は、以下の出来事で完全に砕かれます。

初夏。私は一週間の休暇を取り、妻と共に旅行に出かけていました。その間は裁判に関する対応はできませんと、幸雄さんには事前に伝えていました。

にも拘わらず。

旅行中、彼は私にメールを送ってきました。
「宮崎氏がさらなる不正な引き出しをしていないか確認したいので、手元にある父の銀行通帳に記帳をしたい。通帳を日本の知人に郵送することについて、どう思うか」

知りませんよ!!!!

お金が大事なのは分かります。心配なのも分かります。でも俺言ったよね。旅行するって。対応できないって。なのにどうして、こっちの事情を一切考慮せず、我々の楽しい旅行中にまで相続争いを持ち込もうとする? メールだからいいと思ったのか? だったら俺の休暇が終わってからでいいよね? 

ここに至って私は、当初のモチベーションを完全に見失いました。

俺はいったい、何のために彼の手助けをしているんだ?
ただただ、彼の金を守るためなのか?

正しさも恩返しも、もはや存在しません。彼の手伝いをすることが、単なる苦痛、時間の浪費としか思えなくなってしまったのです。

「もう嫌だ」という私に、妻は驚いていました。今まで夜でも土日でも献身的に訪問していた私が、たった一通のメールで折れてしまったからです。

それでも、正しいことのために

それでも。もしここで私が手助けを放棄すれば、幸雄さんを助けられる人はいなくなります。今やこの裁判のあらゆる証拠書類と事実関係について、私以上に把握している人間はいません。以前、幸雄さんが別の日本人に助けを打診した際に、「裁判関係の文書は難しいから」と断られている経緯もあります。途中で放棄するには、あまりにも深く関わり過ぎていました。
踏み込み過ぎた、と悔やんでも後の祭りです。

ここで辞めたら幸雄さんが困る。幸雄さんが困ると、きっとジェーンさんが悲しむ。その一点が、私を突き動かしていました。

平日の夜。土曜日や日曜日。
書面を読み込み、整理し、幸雄さんに説明しながら回答文書を作成する。それを毎月繰り返しました。

裁判も大詰めとなってきた今年の10月頃、私の様子の変化に気付いたのか、幸雄さんがあることを提案してきました。

「これからは、私が手助けをするたびに時給10ドルを支払わせてほしい。過去の分としては、全額支払うことはできないが、200ドルで許してほしい」

この提案には、さすがの私も怒りました。

だって私は、そんなことのためにこの2年を費やしてきたのではない。時給10ドル? 過去2年の働きが200ドル? ふざけるな。そんなはした金、誰が受け取るかよ!!

きっと幸雄さん自身、平日夜や休日に何度も私を拘束することへの罪悪感を抱いていたのでしょう。でもだからこそ、私の善意に安易に値段など付けてほしくなかった。金を払うことで、自分だけ罪の意識から解放され、楽になろうとしてほしくなかった。

「幸雄さんは、何のためにこの裁判を戦ってるんですか? お父さんの名誉のためですか? それとも、お金のためですか? お金のためなら私はもう、今後一切手伝いません」

だからそう告げました。不覚にも泣きそうになってしまいました。それだけ私の気持ちは追い詰められていたのでしょう。

しかしこの問いかけは、ギリギリとなった私が唯一取ることのできた戦略でもありました。この問いに対し「お金のため」だなどと回答できるはずがないからです。幸雄さんの真意がどうであれ、私の助けを借りて裁判を続けたいのなら、答えは一つしかありません。

私はもう一度、信じる必要がありました。私がしていることは正しいことであり、故人の名誉を守る人助けなのだと。そう信じることさえできれば、私は再びモチベーションを取り戻せるのです。

そして幸雄さんは、私が望む答えをくれました。戦うのは「父の名誉のため」であり、「正義のため」なのだと。

善行をしたい、という傲慢

正しいことをするという動機を何とか取り戻した私は、それ以降、幸雄さんが時折主張する宮崎氏への過剰な要求や激しい罵倒に対し、それはおかしいと指摘できるようになりました。

宮崎氏側の主張を読む限り、彼とて完全な悪人というわけではなく、ただのズルい奴と思えてならないのです。幸雄さんの父が日本で終末医療を受けている間、宮崎氏もまたお見舞いや各種手配を行っており、ただ金を盗んだというわけでもないのです。幸雄さんが日本へ帰国した時も、宮崎氏から色々な援助を受けた事実もありました。

その裁判も、ようやく終わりを迎えようとしています。宮崎氏が不正に私物化した100万円程度を返却するという形で和解となる見通しです。幸雄さんはそれでも金額に不満げですが、それ以上の金額は、そもそも奪われてなどいなかったのだから仕方ありません。

色々ありましたが、2021年が終わろうとする今、この泥沼の争いも和解へ向かって終結しようとしています。
良かった良かった。

しかし今、私の中にはある疑念が浮かんでいます。

だって私は、そんなことのためにこの2年を費やしてきたのではない。時給10ドル? 過去2年の働きが200ドル? ふざけるな。そんなはした金、誰が受け取るかよ!!

この怒り。”そんなことのため”とは本当はいったい何のためなのか。

私の行なってきた働きに対し、時給10ドルなんてあまりに安すぎる。これは偽らざる本音です。じゃあ、時給50ドルと言われていたら受け取っていただろうか? 答えはNOです。だってそれでは、幸雄さんのお金がますます減ってしまうじゃないですか。

しかしそんなことより私は、自分が幸雄さんのためにしてきたことを金に換算されてしまうのが、なんだかすごく嫌なのです。金を貰ってしまったら、ただのビジネスになってしまう。我々に良くしてくれた人たちから金を巻き上げる、ビジネス野郎に成り果ててしまう。

善行、と自分で言うのもおこがましい態度ではある気がしますが、私がしてきたことは奉仕であり善行なのだと、自分では思っています。

そして、それが奉仕や善行である限り、私は彼から感謝され続け、ある種の優位に立ち続けることができる――こういう思いも、私の中に確かに存在していることに、気がついてしまいました。

それは紛れもなく傲慢であり、英雄願望に近い思想です。
正義と言う名目を取り戻したことでモチベーションを回復するというのも、一歩間違えば危険な諸刃の剣です。十字軍とか魔女狩りの惨劇だって、きっとこうした自己正当化が集まり行なわれることになったのでしょうから。

しかしまあ、この傲慢さをどうにかできるかって言ったら、なかなか難しいんですよ。金なんか受け取れません。金が欲しくてやったんじゃないのは事実なんだし。なんだかんだ言っても幸雄さんの一番の関心事はやはりお金なのだし、そのお金を私が受け取ってしまったら、今度は私が罪悪感を抱えることになるじゃないですか。

正義と罪とは、かくも面倒くさいバランスの上にあるのです。

何にせよ結果的には幸雄さんの助けになり、奪われたお金も戻って来つつあるわけで、ま、あっしの心ン中が汚れているくらいは勘弁していただけませんかね?
ねェ、イエスの旦那。
あっ、先日はお誕生日、どうもおめでとうございました。へっへ。

それでは皆さんも、良いお年を。

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