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遺産相続争い終結と、友人からの言葉に泣かされた話

こんにちは、師之井景介です。
私はここアメリカで、友人・幸雄さんの遺産相続争いの手助けをずっと続けてきました。

遺産相続争いを手伝った話
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もともとは我々に親切にしてくれたジェーンさんという女性への恩返しのつもりでした。
彼女の夫である幸雄さんが、日本の親戚・宮崎氏に対して父の遺産相続に関する訴訟を起こしており、その裁判の手助けをこの2年半の間、行なってきたのです。

今回は、それがようやく終わるというお話。
※基本的に、ただの愚痴と自己正当化です。お暇な方のみ、お付き合いください。

これまでのこと

4年半のアメリカ生活の半分以上、この友人の遺産相続争いに関わってきました。

弁護士からのメールを読み、資料を整理し、幸雄さんからヒアリングした状況をまとめ、弁護士への返答を作成する。以前の記事にも記載しましたが、200時間以上もの時間を、この争いに費やしてきたのです。

自分で言うのもアレですが、私はお人好しな上になまじ仕事ができてしまうタイプなので、思わず深入りし過ぎてしまいました。それで苦しむことになったのだから、これは悲劇なのか喜劇なのか。泣き笑いです。
とはいえ、日本語をよく読めない幸雄さんが、難解な日本語で書かれた資料や書面のやり取りをしなければならないのだから、私が取れるスタンスは、2つしかありませんでした。

全面的に支援するか、見捨てるか。
つまり、実質1つしかなかったんですよ。

幸雄さんに資料の整理等をやってもらうより、私自身がやった方が早く済むと自ら手を出し、結局全てを背負い込んでしまう、典型的間抜けの失策。

しかし、しかしです。

客観的な立場から私を間抜けと評価するのは容易いでしょう。しかしいざ渦中に入ったら、本当に正しい選択をできる人など一握りじゃないでしょうか。

弁護士から送られてくる資料は山のようにあって、幸雄さんにはそれらが読めない。だから整理を頼んだってできない。相手方の主張に対する彼の反論すら、誰かが資料を読んであげない限り作成できないのですから。

これは恐らく木こりのジレンマの一種なのでしょうが、資料の整理を幸雄さん自身に頼むためには、まずは日本語の読み方を教えるか、各資料に何が書いてあるか、英文のインデックスを作成する必要が生じます。
そんなことをするくらいなら、整理そのものを私がやってしまった方が早い。言うまでもなく圧倒的に早いのです。

ゆえに、ますます幸雄さんは私に頼らざるを得なくなる。
ゆえに、私は全てを背負わざるを得なくなる。

雁字搦めのスパイラルが完成することなど、最初から見えていた話でした。
まあ私は、見もせずに飛び込んでしまったのですがね。仕事ができても、視野が狭いのです。

(裁判とかに巻き込まれたことないし、こんな泥沼化するとは思ってなかったんだからしょうがないじゃん!!)

裁判が終わって

何だかんだありましたがその裁判もようやく終結、宮崎氏が不正に掠め取った分は、無事に返済されました。
まあ、当初幸雄さんが期待していた金額よりも、遥かに少ない額ではありましたが…それは仕方のないこと。もとより期待しすぎだったのです。

先日、幸雄さんと弁護士間での、弁護士への報酬がいくらで、和解金はいつどの口座に振り込んだ、などというやり取りを支援したのですが、いやはや、もうね、全くやる気が出なかった。この裁判最後の手伝いなのに、自分でもびっくりするほど気が進みませんでしたね。
だってさあ、ここまで来るともう完全にただの金の話なんだもの。

しかも俺の金じゃないし。
もう正義とか関係ないし。

幸雄さんの金勘定を、何で俺が貴重な時間を犠牲にして手伝わなきゃいけねえんだよ。こちとら、アメリカで過ごせる時間はあと2ヶ月しかないのにさあ。
などと思いましたが、まあそれでも私は仕事ができる男ですから、サクッと済ませました。
これにて、私がすべき仕事は全て完了です。めでたしめでたし。

虚しさの限界と救済

さて、時間を3ヶ月ほど前に巻き戻します。
当時は裁判も大詰め、和解にあたって、双方が認める取り分をどうするかということで、幸雄さん側と宮崎氏側が再び揉め始めていました。
これが、心理的に一番辛い時期でした。
ようやく終わりだと思って安堵していたところで、双方が再び金のことで揉めだしたからです。
遺産を残して亡くなったお父さんのことを差し置いて、ひたすら続く金の話。

金。金。金。
金。金。金。

自らの取り分と弁護士へ支払う報酬金額を気にかけ、宮崎氏の言い分に激昂する幸雄さん。
こちとら只働きだぜ、と思いながら宥める私。
誤字脱字だらけのメールを送ってくる弁護士。
虚しい。本当に虚しい時間でした。

ある夜、幸雄さんとのやり取りを終えて帰宅した私は、ふと妻に「もう辞めたい、代わってくれないか」と愚痴をこぼしてしまいました。
彼女は彼女で優しいがために「じゃあ今から私が引き継ぐ」などと言い出します。
そんな彼女に私は「そういうのは俺の求める言葉じゃない。引継ぎなど面倒くさ過ぎてできない」などと言いがかりをつけ、挙句喧嘩になってしまいました。代わってくれと言ったのは私なのに。
まったく、何をやってるんでしょうね。

そんな折、同年代の友人Kを夕食に招待する機会がありました。
彼はことあるごとに我々夫婦を遊びに誘ってくれる、とても気の良い男です。

何でも話せる間柄のKに、口外厳禁とした上で、ちょっとした愚痴のつもりでこの2年半のことを話しました。

「今までずっと人助けのつもりでやってきたけど、幸雄さんが気にしているのは結局お金だ。正義だ何だと言ったって、結局何もかも金の話でしかなかった。私がこれまで費やしてきた時間が、全部無駄に思えてきたよ」

そんなことを、自虐と皮肉を交えて彼に伝えたのです。
幸雄さんは我々の共通の友人です。そして、ここでは幸雄さんがあたかも守銭奴であるかのような言い方をしていますが、彼とて実際は、正義感に溢れた優しい人なのです。
なのに私はKとの会話の中で、愚痴という形で幸雄さんを非難しました。そのことへ罪悪感があったし、きっとKもそのことを諫めるだろうと思っていました。

しかし彼は、正面切って言いました。

「景介がやってきたことは紛れもなく人助けだ。それは誰にでもできることじゃないし、間違いなく良いことだ。無駄なわけがない」

体勢を崩されたような感覚と共に、やられた、と思いました。
上段を必死で防御していたら見事に足払いを食らったような、あるいは衝撃に備えて頑丈な盾を構えていたら真後ろから攻撃を食らったような、そんな感覚。
一点の曇りもない全肯定。クリティカルヒットでした。

それこそ、私が欲していた言葉だったのです。
私がずっと求めていたものはかくも単純で、しかし力強いものでした。
それをKという男はいとも容易く、初球からドストレートで投げて寄越したのです。

少しは堪えようとしたんですけどね。しかし急所を撃ち抜かれてしまっては、もはやいかなる処置も間に合いません。
私は年甲斐もなく、みっともなく泣いてしまいました。

いやーダサかったですね。

しかし驚くべきことに、私の中に溜まっていたもやもやのほぼ全てが、彼の言葉で成仏してしまったのです。
いやはや言葉というものは、時として人間を救うものですね。
私も、そんな言葉の使い方ができる男になりたい、と強く思いました。

そして金の話だからと言って拒否反応を示さぬよう、もう少し大人にならなければなあ、などとこれを書きつつ思うなどした、アメリカ東部の、とある初夏の夜なのでありました。

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