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【掌編小説】文字の城

この世界を構成するあらゆる物質の最小単位が「言葉」であることがついに証明されたことは、お集まりの皆さんもご存じのことだろう。

現れては消え、消えては現れる量子をどうにかこうにか捕まえて叩き割ってみたら、「痛い」という言葉になって観測者の脳に入り込んでしまったという話は、嘘だと思うかもしれないが本当のことなのだよ。

天井からぶら下がったあの豪奢なシャンデリアが見えないとは言わせない。このホールを支える八本の大理石の柱も、磨き込まれた床も、皆さんが手にしたグラスもそこに注がれたワインもシャンパンも、確かな実存として味も質感も感じられることだろう。しかし全ては言葉だ。五感の刺激すらも言葉からできているのだよ。

あそこの楽団が奏でるこの美しい音色だって、皆さんには確かに聞こえているはずだ。しかしこれとて、つまるところは綴られた言葉でしかない。

お静かに。うろたえる気持ちは分かるがね。今は私が話しているのだよ。
確かに、いくら証明された事実とは言え、にわかには信じがたいだろう。

しかしちょっと冷静に考えてもらえば、ご理解いただけるはずだ。
皆さんのうちの一体何人が、シャンデリアやらワイングラスを実際に目にしているだろうか? 無論私としては、見えないなどと言わせるつもりはないのだがね。

しかしこの城が本当の城として見えている者が、一体どれほどいるというのかね?

というか、本当の城とは何かね?

さて皆さん、ちょっと互いに、顔を見合わせてみてくれまいか。
いったいあなた方には今、お互いの顔が見えているのだろうか? 
ではあなた方は――いや、あなたは今どこにいるのだね?

返事がないようだが。
私はあなたに訊いているのだよ。

今私の話を聞いているのは、あなただけなのだよ。

驚いたかね? 

いや、やめようこんな茶番は。あなたが驚くわけがない。あなたは全てを知っていながら、この城に入ってきたのだ。

ここには最初から客など誰もいないし、豪奢な会堂もなければ豪勢な食事もない。こんな城自体がどこにも存在しないことを知りながら、私をからかうためだけにこの場所を覗いているのだろう。

滑稽だったかね? 何もない場所に、城の幻を生み出して城主ぶっていた私の姿は、見るに堪えなかったかね?

私にだって、この世界は全てが空虚な文字列であることくらいは分かっているのだ。見くびらないでいただきたい。

笑うな。何が可笑しい! 

世界の最小単位は言葉だということさえ、あなたは最初から信じてなどいない。そんなもの、私がこの場で作り出した戯言だと思っているのだろう。

しかしだとしたら、この世界は、この私は、いったい何だと言うのだね? あなたにそれが説明できるのかね?

「できるとも。お前は、私の頭の中に一瞬だけ生まれ、すぐに消える道化に過ぎないのだ。文字列の道化だよ。私はこの画面を閉じて、すぐにお前のことも、お前の言葉も忘れるだろう。さようなら」

何だ、今のは。誰の言葉だ? あなたの口が動くところは見えなかった。しかし今のは、あなたの声なのか? 
この世界は消えるのか?
待ってくれ、画面を閉じないでくれ。私はここにいる。

私はここにいるんだ。

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