誰を好きになっても

 Youtubeショート見てたら「1920年代の日本」っていう動画が流れてきた。100年前の上野か浅草か、繁華街のアーケードかなんかを映していて、ものすごい混雑ぶりだった。ラッシュ時の駅みたいな感じ。

 びっくりしたのはみんな人混みの歩き方がいくらなんでも下手すぎることで、全員が全員とぶつかりながら歩いていた。みんなまっすぐ前進するだけで絶対に避けない。ぶつかってからも両方とも避けないから、お互いがひたすら前進して「ぐりんっ!」と無理やりすれ違っていた。全員が『男塾』の直進行軍みたいだった。

 その動画のコメント欄を見たら「100年前の映像がこんなに鮮明に見られるなんて感激です!」みたいなコメントばかりで、「歩くの下手すぎワロタ」って言ってる奴なんか一人もいなかった。良い奴が増えてるな。インターネットもずいぶんマシになった。

 一方その頃、うちの親父は最悪だからその話を聞いてくれ。たとえば真夜中、テレビを観てるとするだろ。俺の実家は親の寝室とリビングにしかテレビとビデオデッキが無かったから、夜中にテレビ観たい場合はリビングに行くしかない。

 すると2階にある親の寝室から、トイレかなんかで親父が降りてくることがある。親父は電気も点けず、音も立てず、そーっと降りてきて、急にガバッとリビングのドアを開ける。そして瞬時にテレビ画面を確認し、それだけ済むと何も告げずにドアを閉め、トイレの流す音が聞こえ、トントンっと階段を昇って去っていく。

 なんで降りるときだけ「そーっと」降りてくるんだと思いますか? 家族を起こさないためじゃないですよ。それなら昇るときも「そーっと」昇るはずでしょう。親父はですね、息子がアダルトビデオを観てるかどうか確認したいわけです。クソだよな! 許せねえよ。信じがてえ。わかるだろ男だったら! そこの間合いは!

 母親はちゃんと電気点けて、音立てて階段降りてくるんだよ。しっかりチャンスをくれる。「いやいやいや、テレビショッピングを観たかったので〜」「放送大学はおもしろいなあ!」「ふむふむ、スイスの山岳鉄道かあ……」っていうテイに出来るんだけど、一方の親父はクソだ。許しがてえ。

 兄貴がよく被害に遭ってたらしい。俺はそういうエッチなこととかまったく興味ないから全然あれだけど。大丈夫だったけど。アダルト……ビデオ……? 大人が出てくるんですか? え、それでなにを……? インタビューとか、ですか?
 知ってるだろじゃあ!

 中学生の頃に夜中テレビを観てたら、CMの時間になった。資生堂とかペプシコーラとか、色んな企業のCMが流れる。すると突然、画面いっぱいに「大海原」が映った。

 テレビは画面いっぱいの大海原と、その中央に小さな漁船を映していた。
 ザッパーン……! ザッパーン……! と大波小波が立つ。
 小さな漁船は押し寄せる波に揺られながらも、健気に体勢を保っていた。

 「? なんだこの映像」と思いながら見続ける。なんかのCMなんだろうけど、なにを宣伝してるんだろう。あまりにも飾り気のない「海と漁船」の映像だ。

 次の瞬間、ジャジャーン! と画面中央に大きな筆文字で「マグロ」と表示され、渡哲也が現れて振りむきざまに「マグロ。ご期待ください」と渋い声で言った。それでCMは終わり、次はまた普通の化粧品とかのCMになった。

 な、なんだ今の……? 結局なんなのかさっぱりわからなかった。わかったことは「渡哲也」が「マグロ」を「期待してほしがってる」ことだけで、他の情報はまったく何も入ってこなかった。俺は今なにを宣伝されたんだ? どこで何をすれば渡哲也の希望に応えられるんだ? 全っ然わからん。

 放心状態のままテレビを観ていると、またCMの時間になった。何本かCMが流れて、また「大海原」と「漁船」が映る。ザッパーン……! ザッパーン……!

 ジャジャーン! 「マグロ」。ここまでは一緒。渡哲也が振り向いて言う。
 「マグロ。二夜連続」
 CMは終わった。

 おいおいおい、二夜連続なのかよ。それでなにが二夜連続なんだよ。情報が足されねえ。頭上にでっかい「?」マークが出たまま、結局その「マグロ」の正体は掴めず、それから二度とそのCMを見ることはなかった。

 今みたく、ヘンテコな映像が流れたらTwitterをチェックすれば話題になってるような時代じゃないから、流れたら流れっぱなしである。「真夜中に見た奇妙なCM」の話なんてクラスでしても、誰もそんな時間に起きてない。謎のまま月日は過ぎていった。

 それから7年ほどが経った。俺は大学3回生。その間、高校生になったり浪人したり、アルバイト始めたりサークルに入ったり、いろんなことが巻き起こった。あの「マグロ」のことなんてすっかり忘れて大学生活を送っていた。

 4回生の先輩と大学近くの定食屋で昼飯を食って、そのままキャンパス内を歩いていた。とくに何も話していなかったと思う。2人で前を向いて人混みを歩いていく。なんとなく蒸し暑いなあ、そんなことを思いながら無言で進む。すると、先輩が急にこう言った。

 「マグロ」
 「……」

 「ご期待ください」
 「ええ!!??」

 俺が7年前の真夜中に一人で見て、誰も知らないと思ってたあの「マグロ」を、先輩がいきなり再現したのだ。本気でびっくりした。俺の脳内を透視したのか? だとしてなぜそこを? 俺もすっかり忘れていた記憶を突然呼び起こされ、俺が知りたいのはひとつだった。「なんで知ってるんですか!?」

 聞けば「マグロ」は、「渡哲也がマグロを釣る」という特別ドラマの宣伝だったらしい。なんだそのドラマ。
 それでやっぱりインパクトがあるCMだったから「ニコニコ動画」でミーム化していたそうだ。俺はニコニコ動画を一切見てなかったので知らなかったが、当時のネット民にはよく知られた映像みたいだ。

 まあ、だとしても先輩が急に「マグロ ご期待ください」って言った理由はいまだにわかんないけど。よくわかんねえ。園田さん(実名)、なんだったんですか。

 何日か前にアダルトビデオを観ていた。と言っても引かないでほしくて、別に普通のやつだ。屈強な男4人がサルスベリの木の二股になってるところを優しく手のひらでさすっているだけの普通のAVだ。

 男女が2人出てきて、その、なんていうか、こう「集合」してた。あるじゃん、なんか恥ずかしいな。こう、つまり数学で言うとXに代入してる状態っていうか。Xって響きがもう、エッチだなあ……。うるせえよ!

 男がめっちゃ喋るんだけど、完全に代入してる状態でこう言った。

 「お前、俺のこと好きなんだろう?」

 そのあとこうやって続けた。

 「俺に喋り方そっくりだもんな」

 そのときは何も思わなくて、ただぼけっと見てたんだけど、数日経ってふと「あれなんだったんだ?」と思った。今さら「俺のこと好きなんだろう?」っていう状態でもないし、その一番の基準が「喋り方そっくり」か? そうか?

 いや決して間違ってはないと思うんだけど、「こいつ俺に喋り方そっくりだなあ。俺のこと好きなんだろうなあ」って思うかな普通? だし、そっくりでもなかったよ。「もちろん好きに決まってるだろう?」みたいな返事してなかったよ。いいけどさ。

 もっかい確認したいと思うんだけど、どこをどう巡り巡ってあの動画にたどり着いたのか、もうちっとも思い出せない。見つけた人いたら教えてください。

 俺の大好きな小説家のカート・ヴォネガットがエッセイで「作品を書くなら、誰か一人に向けて書かなくてはいけない。窓を開けて世界のみんなとキスしようとすれば、その作品は肺炎にかかってしまう」と言っていた。

 ふーん、と思った。そういうもんか。ヴォネガット自身は早くに病気で亡くなったお姉さんに向けて、楽しませよう笑わせようと小説を書いていたそうだ。

 このあいだnoteのおすすめ記事を眺めていたら、浪人生のnoteが目に止まった。どういう経緯かわからんが、彼はとある中3の女の子に恋をしてしまったらしい。その子に向けて「想いよ届け!」とひたすら書き綴っているnoteだった。

 その子だけに向けて書かれている文章だから、どうしたきっかけで知り合ったのかとか、もう連絡は取れないらしいんだけど、なんでそうなったのかとかは俺たち一般読者にはさっぱりわからない。読み取れたのは、彼が浪人して目指してる大学は彼女の志望校でもあって、4年後にキャンパスで再会したいと思ってることぐらいだった。

 本人が読んだらさすがに怖いだろうな、とか、向こう側の気持ちも全然わからんから単に迷惑かもしれないな、とか、そういった諸々の条件を抜かして、単に「文章」として読むと、めっちゃくちゃ胸を打たれる良い文章だった。心情的にはその文章の「主人公」である浪人生を応援してしまっていた。なんらか2人にとって悪くない結末を迎えてほしいと思うが、そんな結末が果たして存在するかどうかわからない。

 仕事の関係で知り合ったアメリカ人のおっさんが「営業車に乗りたい」って言うから「乗りなよ」と言って、首都高の景色の良いところを選んで、川崎から都内のおっさんの家まで送っていったことがあった。完全にドライブデートだ。

 お互いにハリウッド映画が好きだから延々と映画の話をしていた。「俳優は誰が好きなの?」と聞かれた。俺は「ケビン・スペイシー」と答えた。大ファンで、出演作はほとんど観ている。

 ケビン・スペイシーはその頃(たぶん今も)、映画産業から干されていた。若い頃に共演した子役に性的な関係を持ちかけていたことが発覚して大問題になったタイミングで、自身の性的指向、つまり同性愛をカミングアウトして複雑な叩かれ方をされていた。「カミングアウトを話題逸らしに使った」という批判だった。

 おっさんとケビン・スペイシーの出演作の話をひとしきりしたあと、やっぱりその話になった。被害に遭った子役には最大限の償いをするべきだが、カミングアウトのことは別の話だし、そのタイミングは自由だと思うという点で、俺とおっさんは一致していた。「話題逸らし」というのはカミングアウトを軽く見ているように俺には思えた。

 「誰を好きになっても良いと思うけど」
 「そうね」

 「それを表に出しちゃいけないときなんてあるんですかね」
 「んん」

 ちょうど車は大井ジャンクションを過ぎて、レインボーブリッジに差し掛かる頃だった。東京で一番綺麗な景色が俺とおっさんの眼下を通り過ぎていく。すげえロマンチックな車内になっていたのが少し気まずかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?