ゲーセンの出会いとクソガキ伝説の始まり

ゲームセンターの存在を知ったのはかなり幼少期で、近所にあった喫茶店みたいなゲームコーナーとか。
兄貴に連れられて自転車のニケツで門前仲町とか森下に行ってた。
でも当時の俺は4歳、1982年ごろどんなゲームをやってたのかすら覚えてない。

初めてゲーセンソロデビューした店、マック



自力でゲームセンターへ行き始めたのは小学二年生くらいのときで、しかもそれがよりによって小学校の真ん前に戦時中も無事?に生き延びたアパートの一階に出来ていた。
(ゲーセンになる前は薬局、その後ゲーセンも潰れて現在はバーみたいなのになってた気がする)
店の構造がなかなかブッ壊れてて、便所の下水が詰まりよく店の中で逆噴射してとんでもないことになっていた。

その店で出会ったゲームは少ない。ファンタジーゾーン、源平討魔伝、グラディウス2くらいしか理解できるゲームがなかったからというのもある。
当時の小遣いは100円/日だったので、大体2クレで終わる。しかし、当時の俺はゲームが下手くそだったのでグラ2は一面クリアすら出来ず、源平も最初の義経すら倒せずってくらいだった。今でも抱えているシューティングへの苦手意識はこの辺から始まっているのだろう。

しかしすぐ学校に同級生がチクり、バレて行くなって話になって行けなくなった。

人生を狂わせたおもちゃ屋との出会い

次に居場所を求めたのは森下と清澄白河の間にある高橋商店街のアーケードの中にあったおもちゃ屋の「まさみや」。
50円で10分くらいファミコンを触らせてくれるシステムを採用していて、ファミコン持ち込みも応相談だった時期があったが盗まれたとかでファミコンは厳重にガムテープに巻かれ取れなくされてた。
結局ここもすぐ同級生やら先輩やらが先に居着いていて嫌だからすぐ行かなくなった。

その後新天地を求めようにも、どこに行けばよいか分からずにいたら昔兄貴に門前仲町へ連れて行かれたのを思い出し、自転車で片道10分という当時の俺には大旅行でもあったゲーセン探しの旅に出た。

デパートの屋上にあったテンプレみたいなゲームコーナー


まず最初にたどり着いたのはよく母親の買い物ついでに連れてこられた赤札堂の屋上にあったゲームコーナー。よくここに併設されていたペットショップで当時飼っていたセキセイインコの餌を買いに来たりしてたので何がおいてあるかは把握済み。ここも同級生(今で言うウェイ系小学生)の巣窟になっていて、大体一緒になってパンチングマシンをやったりくにおくんのドッジボールのやつをやったりしてた。あと、当時vsエキサイトバイクがあった数少ない店。
お年玉を持ってここにしかなかったコナミ版のX-MENのアクションを同級生と連コインしながらクリアしたり、スケベなクイックスを鼻息フガフガしながらやる和田くんを横目にやった。
管理人みたいなじいさんが台パンするサラリーマンにドロップキックしてたのを覚えてる。

数年後Beeメイツが巣食う店となったおもちゃ屋

次に行ったのはおもちゃ屋のアカクラ。当時あの辺のガキンチョどもはディスクシステムの書き換えをする為にこの店に通っていた。
ゲーム自体はなく、ファミコン以外にも他には置いてない700円くらいのジオラマ風ガンプラがあった。ちなみにこの店で買った最初のガンプラはザクフリッパーとガンキャノンⅡである。

いろいろな意味で世話になったゲーセンの出発点の店

そして最後に行き着いたのはオレンジハウス、という一階、中二階、地階の三層に別れたゲーセン。ハンター世代の時は週末以外はここに通っていた。
まだ格闘ゲームが流行る前から拠点にしていて、ここにしかなかったファンダムっていう主人公がおばけで敵に取り憑きながら戦うというなかなか新しいアクションゲームにはまっていた。
主に店主?が二人いて、しかもその二人と滅茶苦茶ゲームが上手かった。片方はどの上海をやらせても大体ワンコインクリアする通称ボスジャン(いつもBOSSジャン着てた)、もう一人は宇宙船サジタリウスに出てくるラザニアが大好きなやつにそっくりな親父で、ハングオンの達人。暇すぎて練習してたらクリア出来るようになったと言ってた。
一応本業が店番だから、客に呼ばれるとちゃんと捨てゲーして対応してくれる。しかも、ちゃんとゲームするときは自腹切ってた。

ここでよく会うやつが二人いて、一人は柳田。彼はものすごい教育ママの元に生まれたもののゲーム大好きで後にハンターでも3大ビシャモンくらいにまでなってたと思う。

もうひとりは名前も知らぬ少年で、彼にリュウケンの遠大Kにキャンセルが掛かることを教えてもらったのでスト2ダッシュくらいまでは来てた。ある日一緒に遊びに行った時に彼がうんこ漏らしてしまい、その後一切見かけなくなった。

つづく

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