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あの短歌ってね 3

X(@carda_mm)で短歌を詠んでいるのですが、noteでは短歌の続きの話や裏話をしながら人生についてぼやくコーナー、題して「あの短歌ってね」をやっていこうと思います。
前回は少し暗いお話になってしまったので、第3回は青春を歌ったこの短歌を紹介します。(画像をタップするとXの該当ポストに飛べます)

放課後の僕たちの頬を染めたのは
夕焼け小焼けの半熟たまご

2024.11.24


先日、「フリースタイル短歌バトル(リハーサル)」という即詠短歌バトルイベントがありまして、その準決勝ラウンドで詠んだ短歌です。
2ポイント先取制で、お互い1-1になり後がない3試合目、「ごちそう」のテーマで詠んだ渾身の一首になります。

「好きな食べ物」と「ごちそう」の違いは何でしょう。わたしはコンビニのツナマヨとか、りんごとかが好きですが、みなさんはいかがでしょう。

「ごちそう」と聞いて、みなさんは何を想像しますか?ハンバーグ、オムライス、お母さんのカレー、あの子と食べたパスタ……いろいろ出てくると思います。この想起を通じて言語化できましたが、わたしにとって「ごちそう」とは食べ物そのものだけではなくて、食べ物と共にある周囲の環境や背景なんじゃないかな〜と思ってます。
ハンバーグが「ごちそう」なのは、それを目標に毎日バイトしたから。オムライスが「ごちそう」なのは、上手に割れずにぐちゃぐちゃになってしまった卵を見て、父親が「オムライスにしよう」と言ってくれた思い出があるから。お母さんのカレーが「ごちそう」なのは、わたしのためを思って作ってくれたから。あの子と食べたパスタが「ごちそう」なのは、他の誰でもないあの子と食事に行けたから。
きっとみなさんが「ごちそう」って思うものたちにも、個人的なドラマが詰まっているのかな、と思います。「ごちそう」は人生を歩むなかで生まれるもの。これからはわたしが誰かの「ごちそう」を作れるようになりたいです。チャーハンとナシゴレンには自信があります。

と、ここまでわたしが思う「ごちそう」の定義について語ってきましたが、今回の短歌でわたしが選んだ「ごちそう」は半熟たまごと青春の時間の2つです。
半熟たまご、確かにおいしいしおでんのメインキャラクターですよね。でも「ごちそう」か? と問われるとハンバーグやオムライスより火力が劣る気がします、半熟たまごは基本的に主食にはなり得ませんからね。
でもその「もの足りなさ」、半熟=「未熟さ」が、もう一つの「ごちそう」である青春を描くのにピッタリだな、と感じました。

青春、わたしにとっての青春は専ら部活でした。中高6年間女子サッカー部でキーパーをしていて、特に強豪校に進学した高校3年間は勉強をほとんど捨ててサッカーに全てを捧げていました(こんな人が今は活字に傾倒しているのも不思議な縁ですね)。
高校3年間の思い出は楽しいことよりも苦しいことの方が多く、この期間をポジティブに語ることは難しいです。人間関係や怪我、下手くそな自分への怒りなど、挙げ出すとキリがありません。
でも毎日登下校を共にした友達がいたから、この期間をなんとか乗り越えられました。高校3年間は地獄の部活に加え、自転車-電車-スクールバスとさまざまな乗り物を乗り継いで通学していましたこともあり、ひたすらに苦しくひたすらに病んでいました。スポーツをしていても病むときは病みます。
だけど放課後に一緒に登下校をしていた友達とタピオカを飲んだり、2人でコンビニに行ってわたしは肉まん、友達はおでんを食べたり、友達がスーパーで買ったちくわの1本を貰ったりと、わたしは友達×食べ物であの地獄を乗り越えてきました。だからこそわたしにとっての青春とは、「ごちそう」=食べ物が創る思い出なのかもしれません。
2人とも全てが嫌になって自転車でありえないほど遠くに行って、ただコンビニでアイスを食べただけの思い出は今でも宝物です。

放課後の僕たちの頬を染めたのは

「放課後」なので、夕方〜夜ですね。また、「放課後」という言葉は基本的に学生時代に使うものなので、ここでその言葉を登場させることで時間軸の指定をしています。
夕焼けが広がり、今日の部活の一幕について文句を言ったり、お互いの悩みを打ち明けたり、恋バナに花を咲かせたりと、高校生時代はこの時間が一番好き=「ごちそう」でした。青春の時間は放課後が全てだと思っています。学校の鎖から解放されて自由を得られる時間。ここだけの話ができる時間ですね。

夕焼け小焼けの半熟たまご

「夕焼け小焼け」でもある程度の時間指定をしています。上でも述べましたが、わたしにとって青春=放課後=「ごちそう」なので、その時間を正確に伝えたかったです。
「半熟たまご」、オレンジ色でとろけていて、断面にはどこまでも広がっていきそうな力があります。だけど「半熟」=未熟な一面もある。夕焼けの色と青春の向こう見ずな行動力、未熟さを「半熟たまご」に託しました。
また、たまごは茹でると固くなりますが、一度固くなったたまご、完全に火が通ってポロポロとした黄身になってしまったたまごを半熟に戻すことはできない。これは青春という時間の不可逆性を表すのにうってつけな表現だなとも思います。

いくらあのときみたいに振る舞いたくたって、もうわたしは「高校生」ではないんです。
わたしは今大学4年生で、来年度から学校の先生として再びあの高校の廊下を踏むことになります。しかし、10代の生徒と同じ場所で同じ空気を吸えたとしても、あのときの「ごちそう」をいただくことはできないんですね。
そう思うと、あの地獄の日々が少しだけ光って見えてきます。

数年後、わたしは今の大学生活を「ごちそう」と捉えて、目を細めながら懐かしむのでしょうね。友達と食堂でご飯を食べたいのに席が空いていなくて近くの公園で鯉を見に行ったこと、サークルでのマリカ大会でわたしがありえないほど下手っぴだったこと、バイト先の後輩を慰めたいのに何故かこっちが苦しくなったこと、疎遠になっていた友達と「親友」と呼べるくらいにもう一度仲良くなれたこと、死にたがりの友達と深夜通話をしたこと、友達3人で明け方までzoom飲み会をしたこと......。
それら全てに、共に時間を過ごした「友達」と「食べ物」が存在しています。
わたしだけじゃなく、みなさんの人生を彩る「ごちそう」もこの2つなのかもしれません。そう思うとなお一層大切に抱きしめたい気持ちになります。

最後までご覧いただきありがとうございました。今週末の12/15(日)にフリースタイル短歌バトル(本戦)の決勝トーナメントが控えているので、リハ決勝トーナメントでの5分の即詠で考えていたことを文字化してみました。
こんな感じで、わたしが詠んだ短歌を通じてとある22歳大学生(2024年12月現在)の世界を楽しんでいただけたら幸いです。
最後に該当ポストのリンク貼っときますね。

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