ガザ日記

ついこの間までジェノサイドという言葉の意味を知らなかった。
“民族浄化”これは戦争じゃない。


イスラエル軍によるガザ侵攻について、初めて意識を向けたのは去年の11月頃だった。

「ある医師が、自分の息子の脚の切断手術を麻酔せずにおこなった。痛みによるショックで彼は亡くなった」というニュースをツイッターで見た。
また戦争か、酷い話だ。と思った。

それからも、ちょくちょくSNSでガザの話を目にしたような気がするけれど、自分の生活に必死なうえに、関係ないと思っていたから正直あまり覚えていない。
人の死も暴力も、タイムラインの上をサラサラと流れていくだけだった。

仕事をやめ、暇ができ、ツイッターを開く時間が増えると、ガザの現状を知らせる投稿に意識が向くようになった。

“遠い国で起こっている自分とは関係のない話”から、”関係ないと思っちゃいけない話”という認識に変わったのは、イスラエル軍が残した散乱したマクドナルドのゴミの動画を見た時だ。
イスラエル軍が難民キャンプの学校を軍事施設として利用し、12人の市民を殺害した後に撮影された動画だった。
ただのゴミの動画が、あまりにも生々しくて、グロテスクだった。

マクドナルドがイスラエル軍に食料提供をしているということは知っていた。
でも、私は数ある飲食店からマクドナルドを選び、買って、食べていた。
だって、それとこれとは関係ないじゃん、ここは日本だし、私1人がマックを買わないことで何か変わるの?と思っていたから。
だけど、あの動画を見てから虐殺と自分の生活との繋がりが見えてしまった気がして、ショックで、もう食べられないと思った。

それから、見たくないもの、知りたくないことも見ようとしたし知ろうとした。
出来ることを探さないと人間でいられなくなる気がした。
人が沢山殺されていることに、間接的に関わっていることを知ってしまったから。

インスタにパレスチナ関連のことを投稿することにも抵抗や葛藤はある。
誰かを責めたいわけでもないし、マックを買うなと言いたいわけでもない。
自分の精神を守るために情報を遮断している人もいると思う(そういう人はミュートをしてね)。
他人の思想や行動に口を出すつもりはないし、他人の心の内なんて誰にも分かり得ない。
ただ、私が何を思って、何をするかだけ。
だから、投稿する。
私に出来ることとして、情報をシェアする。

ガザ日記を読んでいるのもそう。
現状を知ってほしいと文を綴る人がいるのなら、読む人がいなきゃいけないと思った。
だから、読む。

本の中で、自分の死を知られず、埋葬や追悼をされないことへの無念さが書かれていた。
世界は何も知らないと、作者は言っていた。
だから生きた軌跡や死の瞬間を記すのだと。
それならば、読んで、知って、思いを馳せて胸を痛めて、遠い日本から追悼しよう。

早くこの虐殺が終わるように、出来ることを探そう。

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