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「語れる環境」が人生を変えてくれると思うエピソード

はじめに——「語れること」の大切さ


話を聴いてもらえる環境が、人生を変えてくれるのではないかと思っています。

今回は、家でも学校でも、どこか「語りづらさ」を感じていた僕が、のびのび話せる環境に出会って「人生の意味を見出せる」ようになった過程を書こうと思います。

まずは、勉強を中心に、張り合いのない人生を送っていた中学3年生の僕のエピソードからお付き合いください。

張り合いのない中学3年生の夏休み


僕は、ぼんやりと勉強をしていた、ごく普通の中学3年生でした。
サッカー部を引退して、夏休みは1日勉強しかやることが無い日々です。

当時は、勉強への価値を見出せなかったこともあり、夕方に開校する塾の時間まで、家の机で勉強しているんだか、寝ているんだかよく分からないボケっとした時間を過ごしていました。

そんな僕を見かねた母親は「朝は図書館、夕方は塾で勉強しなさい」と提案してくれます。
家にいても怒られるだけなので、朝8:30に炎天下の中、2つ隣駅の図書館へ向けて自転車を漕ぎ出します。

30分間、汗だくになりながら図書館に着くと、まずはトイレでTシャツを着替えます。
次に、大好きな小説コーナーに行って、面白そうな小説を3冊選びます。

小中高生限定の勉強コーナーに座ると、どの小説が面白そうかを見極め、まずは1冊読み始めます。
時間を決めることはありません。気づいたら夕方になっていることもザラでした。

流石に危機感を覚えたときには、塾のテキストを開くもありましたが、5問解く前には寝ていました。
警備員のおじいさんに「体調悪いですか?」と声をかけられては、何度起こされたかは分かりません(笑)
あの夏、僕は確実に図書館のブラックリストに載っていたことでしょう。

塾では怒られる日々


夕方になり、最寄り駅の塾まで自転車を漕ぎます。
勉強に退屈な僕には、何も考えずに風を切っていく往来の時間だけが、唯一の楽しみだったように感じられます。

まいばすけっとで68円の板チョコを買うと、塾の自習教室に行きます。
通っていた塾は、テナントの関係で教室が離れていました。

僕は、先生たちの職員室から1番遠い教室に陣取っては、壁にもたれかかり、時間の経過を待つだけのような勉強をしていました。
塾長の目に入るたび、怒られていましたが、彼女の声は僕の耳には届いていませんでした。

学力の急激な低下に伴って、志望校も下げてしまったものですから、高校にはなんとか合格。そんなしょーもない成功経験も相まって、高校では塾にも入らず、ますます怠惰な勉強を続けていきます。当時通っていた公立高校で、塾にも入らず、大学進学を考えていた人は、僕くらいだったと思います。

でも、それほどに僕は勉強の価値をすっかり見失っていたのです。

勉強に意味を見出すようになったきっかけ


転機が訪れたのは、ロクに勉強もせず進学した大学でのことでした。
レポートを出すたびに「面白い!」と言ってくれる先生がいたのです。

僕は、もっと面白いものが書きたいと思い、勉強をするようになりました。
19歳になって初めて勉強の楽しさが分かってきました。

大学3年生の頃は、授業の上限を消すために教職を取得し、朝9:00~夜22:00まで大学に居続けるという生活をしていました。

大学で出会った先生は、僕のどんな話でもよく聞いてくれました。
自分の話を聴いてくれる人がいると、勉強でも人生でも張り合いが出てくるものです。

話を聴いてもらえることで、人は変われると実感した僕は、カウンセリングを教育に活かす方法を研究したいと思い、教育系の大学院へ進学したのです。

聴かれ、語れることで、人は変わるのではないか


現在僕は、本事業と兼任して運営している塾での仕事に強い意義を感じています。
塾に通う子どもたちが、勉強を通じて人生に向き合えている様子を見ているからです。

塾では、生徒1人1人を呼んで話をする機会を取ります。

𠮟咤激励という言葉の通り、励ますような声をかけることも、時に厳しい声をかけることもありますが、勉強や人生におけるいろいろなことを対話します。

進学塾に通う彼らにとっては、勉強≒人生みたいな側面がありますから、対話は人生観を交わすような内容になることも少なくありません。

一生懸命、話を聴いていると、子どもたちは自ら確実に変わっているように感じます。

話を聴いてもらえることでみるみる変わっていった、かつての自分のように、です。

語る環境の無さと忙しさ


自分の思いを正直に語り、それを受け容れてくれる環境があることで、人は変わっていけるのだと、僕は本気で信じています。

中高生の僕は、対話してくれる人を渇望していましたが、周りそんな大人はいませんでした。
…忙し過ぎたのです。

中学・高校は1,000人近くを有し、中学時代に通っていた塾は200人近い在籍があったようです。学校のクラスには40人、塾のクラスには30人の同級生がいました。
個別に話していては、時間がいくらあっても足りません。

現在、塾の1学年の最高在籍数は、10人です。
1人1人と、きちんと向き合う時間が取れます。

対話することで変わりゆく卒業生の話


塾の卒業生は高校生になっても、顔を出したり、勉強しに来てくれたりします。
少しオーバーかもしれませんが、勉強を通して人生に真摯に向き合った過去を、味わいに来てくれているのかなと感じています。

中学3年生の夏休みから来てくれた1人の少年がとても印象的です。
来た当初は、眼を離せば寝ているような生徒でした。

半年間、ことあるごとに呼んでは話し、今ではすっかり勉強のトリコになっています。
高校1年生になった今も、土日に来ては黙々と勉強し、帰っていくような生活ぶりです。

おわりに——語り続けるためのアート


中高時代 ⇒大学・大学院時代 ⇒現在(塾講師)を振り返り、「語れることの大切さ」について書かせていただきました。

アルコールインクアートは、言葉にならない思いを聴きたいという思いから選んだ手法で、テクニックをほとんど必要としません。

今回の記事に共感いただける方はアルコールインクアートをきっと楽しんでいただけると思うので、ぜひAbstract Thought(アブストラクトソート)に足を運んでいただければと思います。

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