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Outer Wildsと戦車とCOTEN RADIO

ひどく寒い夜だった。だが開けてしまえばやはり空は春の光を落としていて、冷たい風も真冬のそれとは違う、春の空気を届けてくる。暖かな春の金木犀の香りと同じくらい、これはこれで気持ちのよいものだ。無論、花粉も届けるので、喉も花も目もぐしゃぐしゃだが。

季節が進む中、まだ俺は余暇を消化している。
今日は近所のマックで久々に日記をしたためている。

先日は、前々からクリアしたかったOuterWildsのプレイが一旦完了した。
操作感にもストーリーにも癖があるゲームだ。俺も初めて触ったときは何をしたらいいかもわからず、宇宙船を壊して終わった記憶があるが、改めて、落ち着いて触ると、制限時間の中で徐々に徐々に進むストーリーと、同じ道を何度も辿る事で上がっていく操作の練度がシンクロし、強い没入感を得られたゲームだった。
本当に久しぶりに、紙のノートを持ち出して、登場人物とストーリーを手元にメモし、整理し、相関図を描きながら謎を解いていく。操作や進行がやさしいゲームばかり触ってきたここのところで、この体験ができた事は本当に尊く、記憶を消してもう一度やりたいと言われる所以も理解できるところだ。
万人に勧められるゲームではないが、俺は俺の太鼓判に、間違いなく面白かったと押せるゲームだった。

また別の日には、ずっと下塗りで放置していたタミヤの1/48スケール戦車の塗装を仕上げた。
ドライブラシで段階的に色を立ち上げながら、違和感がある場所を面相筆で手直しして、時間を重ねて完成に近づけていく。一晩で完成したそれは、過程を知らない人からすればただの小さなミニチュアだが、俺が、俺だけはこの戦車のミニチュアから過程の重みの記憶を引き出すことができる。だから、何度眺めても自分が作った模型は興味深く、飽きず、そして尊い。

晴れた日には散歩をしている。
単純に家にいるだけだと一日の歩数が500歩とか、もはや人間として大丈夫なのかという量になるから、健康のために歩いているという側面もあるのだが、今好きで聞いているPodcast、COTENRADIOを聞くのにとてもよい時間という事もある。
去年の暮れくらいにSpotifyのおすすめに出てきて聞き始めたのだが、ものすごく聞きやすいのに、内容が濃く、聞いたあとの学びがとても深い、歴史というものを改めて考えながら今の自分に学びの大きいラジオで、出会えたことに感謝できる稀有なラジオだ。
これが家で聞こうとすると中々難しい。耳から大量に情報は入ってくるのだが、体は止まっている。そうなると、おそらく鍛え方の問題なのだろうが、眠くなってしまう。なので、家事をやったり、片付けをしながら聞くとこれはとても良いのだが、家の中の家事なんてさして多くはないので、さてどうしようかと言うときに、散歩をしながら聞くというのが一番頭に入ってくるとわかったのだ。(ちなみにパソコンをつけながら聞いたりすると、まったく頭に入ってこず、これができる人はどういうことなんだろうかと不思議に思ったりもしている。)
歴史の普遍性や、偉人の生涯は学びが多い、今起きていることを理解しようとするときに、1世代の時間で理解しようとしていたのが、歴史を学ぶ事で人間の普遍性や、事例から照らすことで数百世代の歴史の中から理解できるようになる。
COTEN RADIOを聞いていると何か一つの歴史を学ぶなかで、今起きていることとの結びつきが発生する瞬間が多々あり、物事の理解の解像度がグンとあがるような感覚があるのだ。
一方で、そんな繰り返しの中で何が一体できるのだろうか、できるわけがない。というような諸行無常のような諦観を抱くこともある。ただ、このラジオの素晴らしいところはそう思う事も踏まえて、現代の人々に伝えるためのフォローを忘れない。今の目の前の事に一生懸命になることの大切さも感じさせてくれるのだ。なんというか、すごいラジオだ。これも俺の感情や考えを刺激して止まない。

一人で、俺の感情を、丁寧に、時間をかけて動かしながら得る体験は、やはり尊い。
俺は器用な人間ではないので、仕事という一本の柱があるときは、やはりそこから遠く離れたり、分身して別のことをするということは中々できない。
今はそれが無い事、一方でそんなに友達もいないという事で、状況から自分が好きだと思うことや興味深いと思うことを、丁寧に噛み締められているような気がする。

なんと時間の尊いことか。なんと余暇の尊いことか。

日を追うごとに日差しの角度は高くなり、風の運ぶ香りはすでに春の装いだ。
余暇の時は少なくなっていくが、それでも噛み締めながら、焦らず、尊い時間を過ごしたい。

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