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子育て、お金。つまり人生に正解はない。という話

そして今日の日記でもある。

お金の話について、妻と言い争いになった。
発端は妻が高フレッシュレートのゲーミングモニターが欲しいと言い出し、それを購入した帰りに、家計の管理について話になったことだ。とはいえ、話は別に建設的な話ではなく、自分は好き勝手にライブや通販で金を使うのに、私の買い物はなんで嫌味をいわれるのか、確認をすればよいのではないか、自分の金なのだから好きに使わせろというのは、反論を塞ぐ一方的な言葉で大変遺憾である(意訳)という話だ。

つまり、建設的な話の中で発生した議論ではなく、あくまで主観と感情のぶつけ合いがあったわけだ。
正直に言うとここ数年は経済的に余裕が出てきたので、家計をすべて一手に握っている自分の中では、様々な金策を行いながらも、余裕のある範囲で色々とやれているつもりでいたが、それでも常に金銭の利用については、検討をはさみたいと思っているし、一馬力で進めている、この視点だけで言えば負担をすべて一手で担っていることへの不満も感じていて、そういった理論と感情の入り混じった状態が、いらぬ嫌味を産んでいて、そしてそんな嫌味を妬みから発しているなんてことは、男のプライドが認めたくなかった。から、本当にそれは必要なのか?という経済的な、論理的な、確認として彼女に伝えている。という体を取ってしまっていたと思う。

という事まで口に出してしまった。
妬んでいる。本当は金策もしたくないし、仕事だってしたくないという事を口に出して、言ってしまった。 それはプライドを捨てた事だったし、明日立っているための詭弁を投げやってしまった事だったから、泣き出す寸前だった。でも、それがどれだけ彼女に伝わってどうなったか、俺にはわからない。わからない事の歯がゆさがまたつらかった。

そんな事を思いながら、今日の日記をつけるわけだが、結局のところ金も仕事も人生で、人生に正解はないから、このつらさは受け流すしかないのだと思う。

よく、子育てに正解はないという事が言われる。
これは私も現在進行系で子育てをしていて、とても実感のある言葉だ。
何をしたことが、どう因果が発生するか、そして出来上がった結果が子供が置かれる未来において、正解となるのか、不正解となるのか、全ては未来と、本人の解釈で決定づけられるから、そこには過程しかなく、個人の価値観が個人に帰結するかぎり、これは一生正解にはたどり着かないのだ。

そして金についても同様だ。
結局豊かさとは価値観によるもので、経済的な不安がある程度取り除かれても、不安がなくならないのは、価値観が変わっていくからだし、お金の使い方とはつまりなんの価値をどう考え、お金で得るかということだから、最終的には個々人の価値観が全てで、家族であっても理解し得ない余地が多分にある。

だから、つまり、今日のところはこのいざこざは忘れるべきなんだと思う。
妬ましい気持ちも、それでも自分を甘やかしたい気持ちも、どう伝えたって誰かに伝わるものでもないし、それを整理したところで何かが変えられるわけではないのだ。だから怒られたり、誰かを不満にさせたところで、明日同じ一日がすごせるなら、もう忘れて寝るべきなのだろう。

今日の日記はこれくらいにする。おやすみなさい。

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