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誰からも見えない存在になりたかった。

私の中には
「見られたくない」という思いがある。

それと同時に
「もっと私を見て欲しい!」という思いもある。

相反する思いたち。


見られることには慣れている。
演じ続けることにも慣れている。

だけど「見られたくない」。


私は一人っ子だから
両親の視線を常に浴びていた。

分散することなく
一心に浴び続けていた。
従兄弟もいないため
親戚の視線も私一人に注がれていた。

気に掛けてもらっていると言えば
そうなのだけれど。

私にとっては
「監視」されているのと変わりなかった。


子どもの頃からだから慣れっこなんだけど
本当の本当は
自分のテリトリーを
ちゃんと守りたかったんだと思う。

守りたかったから。
だから目立たないようにひっそり
生きようとしていた。

彩鮮やかに咲くこともなく
色の無い虚ろな存在であれば
興味関心を向けられなくなって
監視の目が薄らぐだろうと思ったから。

ずっとずっと見られたくない、と
誰からも見えない存在になりたい、と
そう、願っていた。


それと同時に
「見て欲しい」という私の思い。

私は、母に心の領域を明け渡していた。

だから私の心の中には『私』が存在しなくて。

ほんの一欠片残った「小さな私」が
深い深い奥底の方から
光を求めて
足掻いて、藻掻いて
それがきっと
「私を見て」という思いに繋がっている。


ずっと「見られて」いたけれど
それは「その人たちが見たい」ように見て
その人たちの型にはめ込むためでしかなくて

本当の
まっさらで自由な私を
見てくれていたわけではなかったから。

「都合のいい私」ではなくて
ただのありのままの『私』を見て欲しいと
願っていたんだ。


常に「見られている」感覚が付き纏っていたし
それは今でも残っている。

いつだって「見て欲しかった」し
これもまだ今でも残っている。

だけどね
どちらもだいぶ薄らいでいるみたい。


それはきっと
私が『私』の領域を
守ってあげられるようになって

私が『私』を
見てあげられるようになったから。

『私』の領域を守ること。
『私』を見てあげること。
これだけで随分と生きやすくなるように
思うんだ。


いつも読んでくださってありがとうございます。
あなたがいつも愛に包まれていますように。


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