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イ・スラ著「29歳、今日から私が家長です。」読書感想

本を読んで自分の思っていることを作者の誰かが言語化してくれていると、「あ。私1人じゃないんだ」って安心する。内容がみんなの思うようなことではなければ尚更。
私のことをよくそうやって安心させてくれるのは吉本ばななとイ・スラの文章だ。

図書館でこの小説を見つけて即座に借りて、夢中になって読んだ。
すぐさま2回目も読んだ。(私は気に入った本を続けて2回読む)
人気作家であり出版社の社長であるスラと、共に暮らし出版社の従業員として働く彼女の両親のホームドラマ調な話だけど、さらりと大胆で新しい価値観を提示している。
娘のスラ、母ボキ、父ウンイ。
家長は娘であり社長のスラ。
母ボキは家事全般と出版社の業務をこなし、
父ウンイは事務所兼住居の掃除や運転手をする。
ここで面白いのが、
代わりがきかないという面で母ボキの方が父ウンイより給料がずっと高いこと。
女たちの家事労働が無償なのが当たり前だった時代に終わりを告げて、
「家事労働ができる=能力であり才能」という考え方をしている。
従来家庭という単位の中で何の疑問もなく女達にあてがわれていた家事労働を金銭労働として見なす。そうすると、ヴィーガンの娘が好むご飯を作れるボキの労力には価値がある。それは掃除や運転手をこなす夫よりもはるかに。
家事を外注すればどれだけ仕事が捗るか、スラはよく知っている。
読みながら、「いや、そうだよな、女って家事労働がすごく多いのに何一つそれに対する報酬がなくて私もそれに苛立つことがあるな」としみじみ共感した。

読みながら私が共感するのは時にボキ、時にスラ。
スラの「客人のように生きない」姿勢にはとてもうなずける。
この本の中でスラが動画の撮影の仕事をする際、スタッフに言われるがままに服を着たり何かを演じることが好きな理由を、「自分で決めることに疲れたから」と話したときにはっとした。個人事業主の私も社長であるスラと同じく自分で決めないといけないことが多く、決めることに疲れちゃってる。休日くらい何も考えずにいたい。そう思うことが増えた。休みの日に夫と出かける時は基本的になんでも良いよ、どこでも良いよって気持ち。ぜーんぶ決めてもらって、エスコートされたらどれだけ良いか。心の中ではそう思ってるけど実際にはそうはいかない。決めるのが得意なのは私の方だから。
そんな自分の言語化できていない気持ちに文章の中で出会って、ああ私はそれで疲れてたのか。と腑に落ちた。分かってるようで分かってなかった自分の気持ちを代弁してくれて救われるような気持ちだった。

登場人物の中で私があまり共感しないのが父ウンイ。
理性と秩序の中に暮らし、労働の内容に関わらず淡々と仕事をする男性。長い労働の歴史の中で培ってきた彼の知識はひけらかされることなく静かに誰かを助けている。そんな様子が便利屋である私の夫に似てると思った。自分が何をやりたいとかそういうことではなく、できることを仕事にする。それによって誰かが助かる。とても地味だけど美しいこと。
創作して自分の手で生み出したものを堂々と売り出すスラや私とは違って、利他の心に溢れた仕事。記録には残らない美しい瞬間を沢山生み出す仕事なんだろうなぁと思う。どちらが良い悪いということではなく。
ウンイの仕事に対する姿勢を自分の夫に重ね合わせて、改めて尊敬した。

男女の格差、古くなった家父長制、新しいジェンダー、etc
今の時代にぴったりのトピックを次々に取り上げながら、全体を通して心温まるホームドラマ調ですごく楽しめる小説だった。でもこれを読む前と読む後では、何かが変わった。
我が家は夫婦共働きで、私がボキとスラの両方の立場、夫はウンイに近い。そう考えると従来の家父長制=男が大黒柱で女は家事労働をする、という構図には当てはまっていない。だけどなんとなく女の私がやらなきゃいけないと思い込んでいる家事は多く、それって本当にそうなのかな?と疑問を持った。
新しい家庭の形ですったもんだしながらも愛をもって暮らす三人の姿に感化されて、私達も色々と試しながら我が家らしい家庭の形を2人でゆっくり考えていけば良いや、そう思わせてくれたこの話に感謝している。


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