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ジブン株式会社の定款、設立趣意書

こんばんは。3連休、いかがお過ごしでしょうか?私はコロナからようやく回復してきたので、週末はゆっくり家で家族とすごしております。

さて、本日の木下斉さんのVoicyで触れられていたジブン株式会社(*1)の定款、設立趣意書、早速私も書いてみました。今後、より良い人生?を志向して行くなかで修正されていく部分もあると思います。まずは書くことが大事だと思いますので、恥ずかしながら以下に記します。
 *1: 個人の人生設計をジブン株式会社の経営に見立てて、この会社の定款、設立趣意を書いています。

定款 (目的や目標、日常の行動指針)

①自分をありのままに受け入れ、オープンな心を持つとともに、シンプルで快適な生活を追求する。
②自分自身、家族、そして大切な人々に安心と喜びを提供する。
③自己の価値を向上させるために日々学習し、得られた知見を大切な人々や社会と共有する。
④変化を恐れず、新たな挑戦に積極的に取り組む。
⑤プロフェッショナルとして、海外の人々と協働し、業務を通じて社会に貢献する。

設立趣意書(自分の目標、価値観、方向性。またそれらを決めた事柄)

日本の片田舎で団塊ジュニア世代として生まれ育ち、幼いころは発展する日本の状況をぼんやりと記憶しています。しかし、10代以降は激しい受験競争や不景気に直面し、失意の浪人生活(今考えるとそうでもないですが)や思うように行かない就職活動を経験しました。それでも、自分に合った世界があると信じ、新しい世界を知るべく、大学入学と共に一人暮らしを始め、インターネットが普及し始めた1990年代当初から自分でホームページを作り日本や世界の人とオンライン主体で繋がりを持ったりしました。また、職業選択においては転勤の多い職種に就くことを選びました。

十回近い転勤を経て、日本の異なる地域(北は北海道から南は九州まで)での生活を経験しました。一方で、この間英語を学び、外国人や習慣として学び続ける人たちとの交流を始めました。これらの経験は、視野を広げ、生涯の友人との出会いをもたらしました。

東北に住んでいた時に東日本大震災の被害に遭遇しました。最も多くの犠牲者を出した地域でしたが、幸い家族全員が助かりました。着の身着のままで、身重の妻と子供ふたりを連れて避難して、 寒い校舎で数日間耐えていました。 津波で戦場のようなった惨状において、 お腹の中の子を冷やさないように、また食料が途絶えないように必死でした。一通り生活できるようになってからも、放射能の影響があるのでは?など考える日々でした。落ち着いた後は、僕たちは生き残ったのだから・・・と一生懸命働きましたが、しばらくして過労で心身ともに病みました。そして半年近く会社を休みました。

その間、一人で旅に出たり、当時6歳の息子と2人でアメリカへ旅行したりしました。息子とのアメリカ旅行では、現地の友人と家族ぐるみで交流したり、現地の小学校に短期間通わせたりしたことで、文化、仕事やプライベート、子どもの教育についての考え方などにおいて様々な違いを感じました。同時に日本にいた時に考えていた常識は、海外に来ると全く異なるということを学びました。会社を休んでいた長期間に思い悩み考えついたのは、結局は自分の人生なので自由な生き方を選択してよい、ということでした。日本で生活・仕事をしていると、"こうしなければならないという思考の檻"にとらわれていました(今も十分に気を付ける必要があると感じています)。

帰国後はそれまでの人生を見直し、やりたい海外の仕事をしようと心に決めました。仕事に復帰してから、自ら英語を集中して勉強するとともに、業務で結果を出して、現在は海外関連の仕事を行っています。いま振り返ると、この時(当時40歳手前)、心に決めたのが定款の確立(人生の中で何を大事にしていくか)につながっていったように思います。

このNoteを通じて、これまでの自分の経験や世界にはいろんな考え方があること、また学んだことをシェアしていきたいと考えています。そして、少しでも皆さんの気付きにつながればと思い共有致します。ややもすると思考停止に陥りがちで、まだまだ停滞した雰囲気の残る日本で、自分の子ども達も含めて希望を持って生きられるように、明るく元気よく大きな声で伝えていきたいと思います。ただ、独りよがりならないよう心掛けます(家族への接し方では今も反省することばかりです)。

最後までお読み頂きありがとうございました。
みなさんのジブン株式会社の定款、設立趣意書を拝見させて頂くのを楽しみにしています。

(追伸)
写真は息子とアメリカに行った時の写真です。

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