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MBTIに助けられた話

私は一言で言うと女性らしい性格ではない。即ち男性脳な性格だと思う。そして実際の年より上に見られることも多く、18歳の時に「20歳超えてますよね?」て言われ、同級生に敬語を使われ「先輩ですよね?」と言われたこともある。自分ではなぜそう思われることが多いのかよくわかっていないが、友達には「わかるかも」と言われるからそうなのだろう。
自分の性格がなぜこうなのか探ったことがある。遺伝的なものもあるが、育ってきた環境も影響していると思うからだ。

ここで自伝的な話になるが、幼少期から私は一人で三輪車に乗って家から飛び出し行けるところまで漕ぎ続けていたらしい。ある時は一人でふらっと家を抜け出し、知らない女子高生に「この子一人で歩いてましたよ」と家に連れて帰ってこられたこともあると母親から聞いたことがある。
もう既にやばい行動をしているのは確かだが、この行動には何か幼いながらも理由があったのではないかと考えている。
それは障害を持った姉に母親は付きっきりで、私は一人で遊ばなければいけないことを理解していたから一人で飛び出していたのだと思う。親に注目してもらいたかったり甘えたかったという気持ちは全くなかった。姉を恨んだことも一度もない。人見知りも全くなかったし、いろんな人に話しかけたり笑かしたりしていた。
そんな幼少期を過ごしていたからか性格が強くなりすぎたのかもしれない。良く言えば最強のメンタル。悪く言えば容赦ない性格。

小学校から高校まで部活で副部長、部長というものを任され、自分的にはその役目が楽しくてその役目のおかげで毎日が充実していて輝いていた。強い性格が役目と合っていたからだった。

しかし傲慢な部分があった。今は全く思わないが、学生の頃は「自分ができるから他の人もできる」「自分ができないものは他の人もできないはずだ」というすごく恐ろしい考えを持っていたことは事実だ。だからできない人を見たらイライラしていたし、なぜできないのか?と思っていた。その人にはその人の輝く場所があり、苦手な部分は当たり前にあるはずなのに。こう気づくまで相当な時間がかかった。気づくまでに色んな人を傷つけた。自己嫌悪に陥りそして反省した。

大学生になってほぼ人と会わず家にいる生活の中で、自分の性格を分析した。そして四年生の時に流行ったMBTI診断。16の性格タイプに分かれていて、私はその中のENTJだった。特徴にほぼ当てはまり腑に落ちた。
友達の性格タイプを知って、自分に持っていないものを持っていたり、自分の苦手な部分が得意だったりすることを知って、人のことを理解し、知ろうと思った。そのおかげで、イライラすることも減ったし感謝することが多くなった。
これまで傷つけている人達には良いようには聞こえないかもしれないが、自分にとってこうなった過程は大事なものだったと思う。じゃなければここまで変わることはなかった。自分以外の人の大切さ、自分以外の人がいるから自分が存在していること、生きていけること、より感謝して生きていけること。
こう思わせてくれたMBTIは自分にとって大切なツールであった。

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