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【ピリカ文庫】ピクニック【ショートショート】

「サンドイッチ、もう1つ食べる?お父さん」
子供達が家を出て今は2人きりなのに、つい作り過ぎてしまう。だから出来れば食べてほしいなあと思いながら、少し控えめに聞いてみる。

「うん、もらう。この人参とツナの、旨いね。少し甘みがあってさ」
やった。嬉しい。
夫はいつも、私のすることや作るものを、こうしてさり気なく褒めてくれる。
優しい人と巡り会えて結ばれて、何十年も共に歩めて、晴れた秋の日にピクニックにも来られた私は、本当に幸せだと思う。多分、そうなんだと思う。

十年と少し前、夫は恋をしていた。多分、周りも見えないほどの激しい恋に身を置いていた。
あの頃、子供達はまだ小学生と中学生で、自宅から遥か遠い地域の担当になった夫は、1人単身赴任をしていた。
初めの頃は、週末や連休を利用して月に2度3度と帰ってきた夫。やがて帰宅の間隔が少しずつ開くようになり、予定していても「外せない急な仕事」で帰れなくなり、気がつけば前回の帰宅から、4か月以上経っていた。

ある時、夫から「急だけど、週末帰るわ」と電話が入った。「子供達から忘れられたら、困っちゃうからね」と。
子供達もそうだけど、私は?
私はいつまでも忘れないと、ただ黙って待っていると、もしかしてそう思っている?

そんな風に聞ける筈もなく、受話器を置いたとたん予想もしなかった寂しさが塊となって押し寄せた。

週末に予定通り帰宅した夫は、暫く帰らなかったことへの罪滅ぼしのつもりなのか、普段より多めの本と玩具を子供達へ差し出した。
夜になり、煙草を吸いながら庭先へ出た夫が、かれこれ1時間ほど携帯で誰かと話している。ガラス越しに斜め後ろから見る夫は、何だかまるで知らない人みたい。私の中の微かな靄が、確信へと変わった瞬間だった。
家の中へ入るや否や「長距離移動は、さすがに堪えるな」って独り言みたいに言った夫は、早々と1人で寝室へ入っていった。

それから4〜5か月に1度の帰宅が定着して、ちょうど2年の時が過ぎた。
その頃になって夫は突然、月に1〜2度ペースの帰宅を復活させる。「不景気で仕事が暇でさ」なんて、さり気なく理由付けして。

あの時、何も聞かず問い詰めず、騒がずにいたから、今がある。
穏やかでのどかな、今日のピクニックがある。

だけど、それは本当に正しかった?
答えは、今もわからない。
今わかるとするならば、あの頃の寂しさを、私はこの先もきっと忘れない。そしていつか大きな波となり、溢れ出る日が来るかもしれない。

もしその日が来たら今度は、もう1度ちゃんと考えたい。
夫には夫の、私には私の、たった1度きりの人生なのだから。


〈了〉


ピリカさんから「ピクニック」というお題を頂いて、光栄にも「ピリカ文庫」に参加させて頂きました。
貴重な機会に大感謝です。
どうもありがとうございました。

もしもサポートして頂けたなら、いつもより少し上質な粉を買い、いつもより少し上質で美味しいお菓子を焼いて、ここでご披露したいです🍰